管財人ギュルセル・テキン、仕事はじめ
2025年09月14日付 Medyescope 紙


共和人民党(CHP)党内で、CHPイスタンブル支部代表に任命された管財人をめぐる議論が続いている。
ジャーナリストのルシェン・チャクル氏は、(代表に任命された)ギュルセル・テキン氏の「我々の職務は心理戦に応じることではなく、CHP内の分裂・確執を修復すること」発言を取り上げ、こうした主張は党内の結束を固めるどころか、さらなる緊張を生み出すと話す。

■管財人ギュルセル・テキン、仕事はじめ

ジャーナリストのルシェン・チャクル氏が、『管財人ギュルセル・テキン、仕事はじめ』と題した論考のなかで、テキン氏が管財人としてCHPイスタンブル県支部代表に任命されたことを取り上げた。チャクル氏によれば、CHP党内の分裂を修復するというテキン氏の主張と使命感は、党結束を固めるどころか、さらなる緊張の引き金となった。

チャクル氏は論考のなかで、テキン氏と彼の派閥が警察の強制力を借りてCHPイスタンブル支部代表本部ビルに居座っており、テキン派以外の党員が入れず、CHPのオズギュル・オゼル党首もバフチェリエヴレルに事務所を移したと強調。
チャクル氏自身も、オゼル党首へのインタビューのため代表本部ビルに入ろうとした際、警察のバリケードのせいで苦労したと語った。また、このような事態を、「CHPにとって最も重要な場所に党員が入れないという状況は、大変な危機の兆候にちがいない」と評価した。

■行動は失敗に終わった

チャクル氏は、テキン氏が党内の分断を解消するどころか、さらなる分断を招いたと指摘。「結果的に、テキン氏は自らの行動のせいで身動きがとれなくなった。彼のCHP内での活動生命は絶たれた」と述べた。また、同氏は、バイラムパシャ市庁捜査事件や、一部のCHP党員が政権政党である公正発展党(AKP)へ移籍したことについても触れ、「政権はCHPとの対立を続けている。理由はこれまであらゆる行動が失敗に終わっているから」とコメントした。

■ルチェン・チャクル氏 論考全文(編集:ギュルデン・オズデミル)

こんにちは、よい一日を、そしてよい週末を。今回、論考タイトルを『管財人ギュルセル・テキン、仕事はじめ』としたが、私は彼が具体的にどんな仕事をしているのか詳しく知らない。彼はCHPイスタンブル県支部代表「管財人」と呼ばれており、彼自身は自らを「招集委員会(のメンバーのひとり)」と位置づけている。
この委員会には、当初5人のメンバーがいたが、初日から3人に減った。委員会は、CHPイスタンブル支部内の組織として設置されている。いや、しかしどうやって? 答えは警察の強制力によって、だ。テキン氏を受入れなかったCHP党員は警察による妨害を受けた。そして委員会は党ビル2階に居を構えた。こうした動きにCHPはどのような対応をとったかというと、イスタンブル県支部としての党組織をバフチェリエヴレル地区に移し、そこが党総裁執務室であると宣言した。

党ビルの3階、つまりかつての県代表オズギュル・チェリキ氏が使用していた階はオズギュル・オゼル党首が使用している。あるいは、常ならばイスタンブルを訪れた各支部の幹部らが使用する。しかしご存じのとおり、騒ぎ以来、(テキン氏の)ビル訪問頻度は増え、本部ビルの利用も頻繁となった。たとえば11日木曜には人民平等民主党の共同代表を迎えた。

昨日はCHP中央執行委員会が同ビルで開催された。そうした際、テキン氏は事前に本部ビルを出るか、訪れてもすぐに帰る。彼の下男(私が知る限り女性メンバーはいない)31人分のリストが警察当局に提出されており、この31人も本部ビルへの立ち入りが許可されている。全員男で、彼らはビルに居座っている。

彼らは何をしているのだろう? 職務にあたっているのだろうが、その職務とやらは一体? ここで、ギュルセル・テキン氏が自らの職務をどのように定義しているか見てみよう。
テキン氏曰く、「我々の職務は心理戦に応じることではなく、CHP内の分裂・確執を修復すること。汚れたメディアにどう見られるかより、党の結束に焦点を当てた。忍耐と信念でもって、我々の過去は未来を保証する」。

このようにテキン氏は、彼に対する心理戦が展開されていると主張する。そして自身にCHP内の分断・確執を修復するという使命を課している。
しかし、そもそもCHP内に分断や確執は存在するのだろうか? もちろんある程度はある。どんな政党にもあるだろうし、CHPにもある。他の党よりは多いかもしれない。まぁ、仮にそのようなものがあり、テキン氏がこの責任を引き受けて修復するのだとしよう。ここで彼にそんな責任感を生じさせたのは誰だろう? 党だろうか? 党員が集まり「党内の分断・確執・憤りを解消してください。経歴も明らかなあなたは党とって非常に重要です。どうか解消してください」などと言ったのだろうか? 答えはノーだ。

以前、とある人物、もとい、とある代議員が裁判所に申し立てたところ、裁判所は管財人としてギュルセル・テキン氏とほか4人の名を挙げた。管財人という言葉をギュルセル・テキン氏は好まないが。そして裁判所は暫定判決を下して彼らを解任している。トルコには、不和・確執の解消をめざす第一審裁判所がある。第一審裁判所は、CHP内の問題が解決されることを望んでいる。しかしその結果はといえば、ギュルセル・テキン氏は、分断や確執を解消すると主張して登場しながら、党をさらなる分断、確執、緊張へと導いた。

私は木曜日(9月11日)にCHPイスタンブル県支部本部、つまり旧イスタンブル県支部本部を訪問した。オズギュル・オゼル党首にアポをとり、インタビューを行ったのは知ってとおりだ。インタビューのため、建物内に入る際、かなり苦労した。というのも、CHPにとってイスタンブルでの最も重要な場所、つまり現在の名称では総裁執務室に、警察のバリケードがあって立ち入ることができないのだ。あちこち回ったが警察は決して入れてくれない。「あっちへ行け、いや、こっちへ行け」と言うばかりだ。暑いなかでのあんな経験はもうたくさんだ。

そしてもうひとつ考えてみてほしい。あの場所で警察の催涙ガスやあれやこれやに曝された人々のなかにはCHP党員もいたということを。彼らは自分たちのビルなのに入ることはおろか忍び込むことさえできず、その状況は今も続いている。その理由はやはり、とある人物がやってきて「私は党の分断やあれやこれを解決しに来た」と言ったせいだ。しかしその結果どうなったかと言えば、テキン氏は自分の行動の結果を受け入れざるを得なかった。おそらく、彼のCHP生命は絶たれた。どのような結末になろうと、明日の党大会決議、つまり裁判所決議がどのようになろうと、彼は自分で自分の時代を終わらせた。それは明らかだ。

では、彼はなぜそんなことをしたのか? 彼の職務とは何だったのか? CHP内の問題解決が目的でなかったのは明白だ。むしろクリアになったのは、彼がCHP内に問題を作り、CHP内にすでにあった複数の危機的状況を深刻化させるために利用された人間だということだ。

彼は役目を果たし仰せたのだろうか? むろん、彼と31人の取り巻きと2人の管理人仲間はCHP内に問題と緊張をもたらした。34人でなにをかしたのだが、望む結果を得られなかった。イスタンブル事件と9月2日事件は、9月15日にむけた予行演習のように見えた。9月15日、つまり、明日起こること、党大会訴訟の絶対的な無効判決は下されるのだろうか? クルチダルオールは再び党首に返り咲くのか? もっとも予行練習だったとして、それ自体は失敗に終わった。CHPはイスタンブルでさらに結束を強め、結束はトルコ全土に拡大している。たとえばイスタンブルでは二度の集会が開かれた。一つはゼイティンブルヌで、もう一つはカドゥキョイで。集会もそうだが、CHPの注目度は非常に高まり、話題を独占した。仕事を請け負ったギュルセル・テキンとその仲間たちは、手を汚し、面も汚したにもかかわらず何も得られなかった。

おそらくテキン氏らは今も党ビル2階で、彼らなりの掃除を続けているのだろう。なんの掃除かはわからないが。この騒ぎは、政治を、特に(CHPのような)野党を司法の手でデザインするのが、そんなに簡単ではないことを、今一度我々に示してくれた。そう簡単に思い通りにはならないということだ。誰に目をつけたとて、そううまくはいかない。もちろん、見つけうる範囲でもっとも理想的な人物だったのだろうが、初日からその大役を果たせないことが明白となった。そして現在、何が起こっているかと言えば、昨日はバイラムパシャ市役所の大規模捜査が行われ、市長ほか40人以上が拘束された。これは何を示唆しているのだろうか?

依然、政権はCHPと対峙せざるを得ない状況だ。つまり、これまでのあらゆる手立てが失敗に終わっているため、常に新しい措置を講じる必要に迫られているということだ。たとえば、ベイコズ市のオズレム副市長は(CHPから)AKPに移籍加入した。つい昨日のことだ。なぜ移籍加入したのか? 彼女に対する侮辱行為があり、ほかにもあれこれとあり、それらが理由となってAKPに加入したということだ。つまり、CHPから離脱しえた者を政権側が懐に引き入れている。その最たる例が最近のアイドゥン市長の一件だ。他方で、CHPから離れられない者を刑務所に投獄している。特に自治体職員を。また一方で、トロイの木馬のようなことをしようともしている。明日、その最終幕、少なくとも、今のところの最終幕を目にすることになるだろう。さて、どうなることやら。

イスタンブルで9月2日に起きた騒ぎを振り返って、「彼らの行動は、今後の行動の兆候」として考えてみよう。9月2日の失敗をもってしてもなお同じ思考回路で9月15日にも介入を繰り返そうとするなら、エルドアン大統領は、また失敗に直面する可能性が高い。

さて、締めくくりに入る前に、一つ言っておきたい。毎回私は混乱してしまう。前回もそうだった。もし今回も間違っていたら訂正させてほしいのだが、CHPイスタンブル支部代表組織はバフチェリエヴレル地区に移転した。前回、ゼイティンブルヌと書いてしまった。年をとるとこういうことが起きる。バフチェリエヴレル地区だが、実際は我々がよく知るあの場所のあの建物だ。

さて、今回、本論考の献辞はシリン・テケリ氏に捧げたい。トルコでフェミニズムといえば真っ先に思い浮かぶ人物の一人がシリン氏だ。彼女の貢献は本当に大きかった。学者として、作家として、翻訳者として、そしてフェミニスト活動家として、トルコにおける主要な女性イニシアチブのほぼすべてに関わり、そのうちのいくつかは彼女自身が立ち上げた、あるいはアイデアの提案をおこなった。彼女は非常に優れた社会科学者だった。私は彼女と面識がある。彼女が素晴らしい人間だったと証言する。今日、トルコで話題になるフェミニスト運動があるとすれば、その背景にはシリン先生の多大な貢献がある。彼女は2017年に亡くなった。シリン・テケリ氏を敬意と愛情を込めて追悼したい。今回は以上。それでは、ごきげんよう。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:60768 )