アルジェリア:1988年にアルジェの人民宮殿を爆撃する計画が存在したことを初めて公式に認める
2025年10月12日付 al-Quds al-Arabi 紙
■アルジェリア、初めて正式に「パレスチナ国家樹立宣言がなされた会合を爆撃する計画」があったことを公表
【アルジェ:本紙】
アルジェリアのアブドゥルマジード・タッブーン大統領は、1988年のパレスチナ国家樹立宣言がなされた会合に際して、首都アルジェの人民宮殿を爆撃する計画が存在したことを明らかにした。
この発言は、国防省本部で行われたアルジェリア軍の高官らに向けた演説においてなされたもので、昨夜国営テレビで放送された。
タッブーン大統領は、パレスチナ問題に対する自国の立場を明確にしつつ、「ここアルジェリアで、当時危険があったにも関わらず、パレスチナ国家樹立宣言がなされた。しかし、あなた方軍将校は、つまり人民宮殿に対する爆撃も含め、当時アルジェリアに対して何が企てられていたかよく知っているでしょう」と述べたが、この爆撃を計画した勢力については明言しなかった。
1988年11月15日、アルジェリアは首都アルジェの人民宮殿でパレスチナ民族評議会の第9回会合を主催し、その際、(パレスチナ解放機構の)故ヤースィル・アラファート議長がパレスチナ国家の樹立を宣言した。
アルジェリアは大統領を通じて、パレスチナ国家樹立の宣言行事が開催される会場を爆撃しようとする計画が存在していたことを初めて公式に発表した。
過去数年にわたり、非公式な媒体が、1988年にパレスチナ国家樹立の宣言がなされた直後に、イスラエルが航空機を用いてアルジェの人民宮殿を爆撃する計画を企てていたとの情報を伝えてきた。
しかしアルジェリア軍は高度な防空システムやレーダー装置を配備し、さらに迎撃戦闘機を国境付近の空域に展開することで、この陰謀を未然に防いだ。
この文脈のなかでタッブーン大統領は、1982年にパレスチナ情勢が極めて危ういものとなった際、アルジェリアがヤースィル・アラファート議長をはじめとするパレスチナ指導部を受け入れるなど、「良心と正義への支持という立場から、パレスチナに対する義務を果たしてきた」と明らかにした。
(後略)
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( 翻訳者:藤田琉生、加藤心寧 )
( 記事ID:61035 )