故イルベル・オルタイル、墓所はメフメト2世のそばに
2026年03月15日付 Hurriyet 紙


3月13日に死去したトルコの歴史家・作家イルベル・オルタイルは、彼にとって最愛かつ、あらゆる対談のなかで敬意を表していたオスマン帝国のスルタン、ファーティフ・スルタン・メフメト(メフメト2世)霊廟のすぐそばに埋葬されることとなった。オルタイルが生前、常に敬意と称賛を込めて言及していた知識人らの墓も同じ霊園に並んでいる……。

イルベル・オルタイル教授は、ファーティフ・モスクの霊園に埋葬されることになる。この霊園の中心にはファーティフ・スルタン・メフメトの霊廟がある。また霊廟の周りには、オスマン帝国の重臣らに加え、オスマン帝国時代を代表するウラマー(選り抜きの学者や知識人)らの墓がある。ひとつひとつが芸術作品のような墓石で飾られた墓地は「シャーヒデ」と呼ばれ、、オスマン帝国時代には「国営墓地」としての性格を有していた。そして特別な著名人だけが、特別な許可を得て「セラティン」と呼ばれる大規模モスクの墓地に埋葬されることができた。今日でも、こうした歴史的な霊園への埋葬は当然ながら大統領府および関係省庁の承認が必要となる……。

■師らもそこに眠る

ファーティフ・モスク霊園には、近年の著名な歴史家らも眠っている。オルタイルが「彼の業績以外、オスマン帝国史学の名のもとに残るものはほとんどない」とまで称賛し、「シェイヒュル・ムヴェリヒン(歴史家の極)」とあだ名される歴史家ハリル・イナルジュク教授の墓もここにある。また、オルタイルが「オスマン帝国末期と近代トルコについて、世界で発言力を持つ数少ない歴史家の一人」と評したケマル・カルパト教授も2018年にこの霊園に埋葬された。さらに、オルタイルが「イスタンブルの生き字引き。であり、彼のような師はもう現れない」と称えたセマヴィ・エイジェ教授の墓もここにある……。あるいはオルタイルがとりわけ敬意を込めて言及し、娘にもその名を付けた露土戦争における、ドナウ川防衛戦の英雄ガーズィ・オスマン・パシャの霊廟もここにある。

■ファティーフとパシャらの傍らで

オルタイルとの会話の中で記者は、「先生、どのスルタンの時代に生きたいですか?」と尋ねたことがあった。オルタイル教授は「ファーティフか、あるいはマフムード2世の時代かな……」と答えた。「軍隊でですか、それとも学問の分野で?」と続けると「学問のほうだ」と返ってきた。

さらに「どのパシャとなら気楽に仕事ができますか?」と聞くと、オルタイル教授はためらうことなく「アフメト・ジェヴデト・パシャか、メフメト・エミン・アリ・パシャだな」と答えた。アフメト・ジェヴデト・パシャの墓もファーティフ・モスクの霊園にある……。オルタイルは最後の安息の地でも、最愛のスルタンであるファーティフ、最も敬愛するパシャたち、深く慕った恩師、そして大切に思ってきた同僚らのすぐそばに眠ることになる……。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:61799 )