串本沖沈没エルトゥールル号の秘密、仏教寺から発見

2013年10月05日付 Radikal 紙

訪日からの帰路、和歌山県串本町沖で海に沈んだフリゲート艦エルトゥールル号が沈没した頃に記された公文書が、とある仏教寺院から発見された。

日本の明治天皇の元を訪問した後、帰路和歌山県串本町沖で1980年に540人の乗員とともに海に沈んだフリゲート艦エルトゥールル号が沈没した頃に記された公文書が、とある仏教寺院から発見された。

日本で発掘と引き上げの作業を続けるプロジェクトのリーダー、トゥファン・トゥランル氏は、約4年間続けてきた引き上げ作業で取りあげられた8000近い資料を保管していると述べた。トゥランル氏は、「トルコと日本での展示でこれらの資料の紹介を始めた。さらにある仏教寺院で見つけた、エルトゥールル号が沈んだ日に記されたことが明らかになった文書が、この惨事について新たな発見と情報を明るみに出す助けとなる」と述べた。

セルダル・クルチ駐日トルコ大使は、フリゲート艦エルトゥールル号から持ちだされた資料が保管されている串本町のエルトゥールル号研究センターを訪問した。クルチ大使は、フリゲート艦エルトゥールル号への新たな潜水の準備を続けていると述べた。

トゥランル氏も、今日までにフリゲート艦エルトゥールル号に関する7566の資料が発見され、大部分の保管作業が完了し展示が開始されていることを明らかにし、「ある仏教寺院の保管庫で見つかり、大惨事の発生した1890年9月に現地の役人によって記され、保管のため僧侶たちに託された記録が記されているこれらの文書は、私たちに託された。フリゲート艦の沈没や、負傷して救出されたトルコ兵の治療の過程での出来事について、さらに非常に広範で新しい情報を得ることができる。これらの文書の調査を始めた」と話した。



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翻訳者:永山明子
記事ID:31616