レバノン:故郷クファルスィルワーンへの想い(2)

2019年09月24日付 Al-Nahar 紙

■聖テクラ祝祭日に度重なる苦難:「私は自分の村であるクファラスィルワーンに帰りたい」

【ベイルート:本紙】

人々は呆然としながら私に尋ねてきます。「自分の町のことを知らない人がいるなんているのか」と。はい!私リーン・ローニー・ハーリス・ブームーサーは自分の村のことを知りません。1日たりとも破壊された自宅に入ったことない上、隣人が誰なのかさえ知りません。そして1日たりとも村の中心を訪れたことも、果樹園からリンゴを盗んだことも、ミサに参加したこともありません。何にもありません。この村には私が帰属する場所はどこにもないのです。ただし、私のIDにはその名称が印字されています。「出身地:クファルスィルワーン」と。

祖母のノートの中には、村にいる父や兄、他にも叔父らの写真、そして道路脇に積もった雪の写真などが挟まっています。私はそれらを友人たちが「フェイスブック」に載せている写真と見比べながら、たとえそれが想像上のものであれ、村の痕跡を掴み取ろうと試みるのです。

数年来、私は記述することを試みていますが、毎年自分の感受性の強さに手が止まってしまう。しかし今年は違います。聖テクラが我々の帰還の守護聖人となってくださるよう、喜んで書きます。祖母のものであるこれらのノートは、過ぎ去った時代、そして今も人びとの心の中に残る苦しみを語る言葉による悲痛な記憶のままです。そして、当時の苦しみの集積の記録者であった祖母が書き記したように、今日も過去も未来も「アッラーはすべてを見ている」のです。

これが、自分の村であるクファルスィルワーンに帰還したいと願う最後の記事になりますように。そして私たちは来る年、彼の地から聖テクラの祝祭日を祝います。その時には、欠席はもはや許されないでしょうから。

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翻訳者:片居木周平
記事ID:47626