映画「The sixth day」 国の試練か女性の試練か

2020年03月25日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■The sixth day 国の試練か女性の試練か

【本紙:ヒヤム・ウライエル教授】

 1986年にユニークな映画(The sixday)を作ったとき、ユーセフ・シャヒーン監督は世界的な監督では無かった。

 彼はただエジプトの学生たちが反英運動を行っていた時代のある時期を歴史に残したかっただけで、1947年にエジプトを揺るがした伝染病(コレラ)流行の悲劇や、コレラに対処できないエジプト政府の脆さを露呈した(負の)連鎖、つまりコレラで数千人のエジプト人が亡くなり、とうとう治療法は(コレラが流行した地域の)住民をその地域から収容所に隔離することくらいで、しかもいったんそこに入ると二度と戻ることのない状況を記録したかったのではない。

 シャヒーン監督は、何よりもまず、2つの痛ましい試練(戦争とコレラ)に耐えるヒロイン(サッディーカ)の生きざまを描きたかった。彼の考えでは「女性であること」が最大の試練である。なぜなら恐ろしく虚無的な瞬間に肉体的屈辱に耐える「女性」など存在しないからだ。

 サッディーカ以外の誰もがそこに場当たりの快楽を得ようとした。しかし、エジプト方言とイタリア語が混じったアクセント、彼女の心に溢れる細かい日常や人間に対する愛、彼女の心を捉えた映画によって、サッディーカは、蔓延した感染病、占領下の醜悪な生活、夫の裏切りと彼の肉体的不能(麻痺)、彼女の美しさゆえの男たちからの誘惑に立ち向かい、うまく乗り越えていた。


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翻訳者:中村観月
記事ID:48748