イスラエルのために働いたエジプト人スパイの死(6)

2021年11月24日付 al-Quds al-Arabi 紙
■1967年戦争下のエジプトでイスラエルのために働いたスパイの死

【本紙】

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さらに同紙によれば、「ムーサーはハイファ市の女子トイレで働いているが、本人はイスラエルの諜報員として再びエジプトで働くことを切に望んでいる。息子のハイムは工場の夜間警備員で、長男はイスラエルでの生活に耐え兼ねて、ユダヤ人の妻とともにカナダへ移住し、共に衣服のクリーニング店で働いている」という。

1974年11月25日、ムーサーに絞首刑、長男のナビールに懲役5年、またムハンマドとアーディルの二人に少年裁判所での拘留処分を言い渡す判決がエジプトで出された。

イスラエルの『ハダショット』紙の報じたところによれば、1989年11月26日、故アンワル・サーダートエジプト大統領に対して、個人的な命令を出しムーサーの死刑を延期するよう圧力が働いた結果、ムーサーに大統領恩赦が布告された。(詳細は公表されていない取引により)、ムーサーは3人の息子を連れてイスラエルに再入国することができ、全員のイスラエル国籍の取得も認められた。そして彼らはユダヤ教徒となり、名前を変えたのである。

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翻訳者:下宮杏奈
記事ID:52104