カイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿(1)

2022年04月29日付 al-Quds al-Arabi 紙

■想像されるカイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿について

【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】

今から約10年前、アメリカの文化人類学者リサ・ウィンは、その興味深い著書『夜の観光・昼の観光』において、カイロを訪れる人々について通常描かれる二元的なイメージの解体を試みた。というのもこのステレオタイプ的イメージにおいて、湾岸の人々は夜にバーやハラム通りに繰り出す観光客として現れる。一方ヨーロッパの人々は、朝からピラミッド遺跡の見物に出かけるようで、遅い時間になるまで起きない怠惰な湾岸の人々とは異なり、カイロの地理と歴史を学ぶために滞在の時間を費やしていることが伺える。リサ・ウィンは当時、このようなイメージあるいは現実があるのは東洋人が、文化を好む西洋人とは異なり、性と踊り子の世界を好むからではなく、湾岸の人々の思考の中にカイロのイメージが映画を通じて形成されていったからであることに気づいた。それゆえ観光の際、彼らはこうした映画の主人公と同じ行程を辿ることを決めるのである。フィーシャーウィー・カフェ、あるいはシュブラー通りに佇み、フールの屋台で腹を満たし、映画で見た通りのエーシュ(生活)を送る。そして、ピラミッドを訪れて異国らしさを感じる。なぜなら湾岸の人々にとってのカイロは、アーディル・イマームとナビーラ・アビードのカイロであり、雰囲気と踊り子たちのカイロであるからだ。

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翻訳者:下宮杏奈
記事ID:53358