イラン:卓越した「プレイ」によってアラブの4首都を掌握したイラン

2025年07月09日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イラン、過去10年の「プロの戦い方」 カーセム・ソレイマーニーが描いた戦場地図とアラブの4首都

【テヘラン:本紙】

過去10年間、イランは高度に「プロフェッショナル」な手腕で中東情勢を操り、「アラブの4首都」を掌握することに成功した。イラン革命防衛隊のカーセム・ソレイマーニー元司令官は、テヘランからコムへ向かうように、イランからイラク、さらにシリア、レバノンへと国境を越えて移動していた。

イランの「プレイ」は周到であり、これを可能にしたのは、国際的な大国による看過、あるいは共謀であった。当時、イランのプレイヤーと国際プレイヤーとの間には共通の目的が存在していたためである。

その結果、両者はアラブの国々と人々を犠牲にして、多くの利益を積み重ねていった。そこには、地域的・国際的プレイヤーが拡大していく空白を埋める「アラブ的な計画」が欠落していた。

イラン政府は常に「破滅の縁」でのゲームを展開していたが、完全な転落は避けてきた。事態を深い崖のふちまで押しやり、適切な瞬間に一歩退くことで、大きな利益を抱え込みながら、何も失うことはなかったのである。

カーセム・ソレイマーニーはイラクからシリア、レバノンへと越境し、アレッポやムースィル(モスル)の戦場地図を広げていた。テヘランにいる専門家たちはマアリブの戦いを計画し、「断食はその町で行われ、イフタールはそのデーツで口を開くだろう」と自信を持って語っていた。

ソレイマーニーとその同盟者らが創設した軍団は、米国をはじめとする国際的な後ろ盾を受けながらムースィルを砲撃し、同じ軍団がアレッポやヒムスをも攻撃していた。彼らは「国際的対テロ戦争」の空の星となっていたが、その定義のもとで当時「テロ」とは「スンナ派」のみを指すものだった。定義は流動的であり、まさに「水銀のような」テロ概念に沿った戦争が進められていたのである。

(後略)


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翻訳者:二見裕斗
記事ID:60698