タイビン省:枯葉剤被害の長く続く苦しみ
2013年10月17日付 VietnamPlus 紙

 ベトナム戦争から40年近くが過ぎたが、枯葉剤/ダイオキシン(以下、「枯葉剤」に統一)という名の有毒な化学物質はいまだに出現し、多くの人の命を痛めつけている。
 4度出産した母親がいる。しかしどの子供も生き続けることができなかった。また、足が不自由で目が悪いのに、35年間、知的障害であり麻痺状態にある女の子の世話をしている人もいる。これは、タイビン省における枯葉剤被害の女性たちに関する話のごく一部である。
 タイビン省ヴーチン村では、多くの村民が、村の枯葉剤被害者の会の幹部であるグエン・スアン・コアン氏(1951年生まれ)を「枯葉剤のコアン氏」と呼んでいる。
 コアン氏夫妻は、一部は(戦時中の)仕事のため、大部分は同村に居住していたため、有毒な化学物質である枯葉剤の散布という敵の悪業を最も明瞭に体現した被害者であり、最も辛酸をなめてきた人たちであった。我々との話の中で、コアン氏の妻、ファン・ティ・ガン夫人は、涙で喉をつまらせながら繰り返した。「4人の子供を産み育てたけれど、子供たちは皆、私たちを残して死んでいった」。
 1970年、軍隊に入隊したグエン・スアン・コアン氏は、第51大隊、第471師団、第33連隊などに属し、運転手として、チュオンソン山脈のルート(訳注:いわゆるホーチミン・ルート)で戦場に供する食糧、食品、武器、弾薬を輸送する任務を遂行した。ホアン氏の車両は、決勝20号線、9号線、14号線、ケサン、ラオバオ(訳注:いずれもベトナム戦争時の中部地方を中心とする激戦地)をすべて通り抜けた。
 コアン氏は、1972年頃、チュオンソン山脈は米軍による激烈な爆撃の重点地区であったと語る。山沿いの木々は禿げて枯れゴツゴツとしているのは、アメリカ軍が毒物を散布したからだと分かっていた。しかし、それは唯一の道であり、通行可能であったため、通り抜けなければならなかった。
 従軍から8年後、1978年までにホアン氏は体力の衰えを感じたことから、退役して故郷に戻り、ヴーチン村小学校の教師であるファン・ティ・ガンさん(1954年生まれ)と家庭を築いた。1979年に小さな家族の幸せは花開く。夫妻にとり最初の子であるグエン・ティ・ゴックちゃんが誕生した。
 しかし、幸せな日々はほんの束の間だった。生まれて3週目にゴックちゃんは糸球体腎炎に罹り、身体が腫れた。夫妻は子供の治療のために県から省まで歩き回ったが、ゴックちゃんはまもなく亡くなった。
 1982年、夫妻に二番目の子であるであるグエン・スアン・タンくんが産まれた。生まれたとき、タンくんはほかの新生児に比べて体が弱かった。夫妻はタンくんが肝臓癌だと気づいた。苦悩が小さな家族を襲い続けた。闘病の末、6年後の1988年にタンくんも両親を置いて逝ってしまった。
 不幸は度重なった。2000年に三番目の子供であるグエン・テイ・フオンちゃんと、2006年に末っ子のグエン・スアン・タインくんも亡くなった。フオンちゃんは肝臓癌であり、タインくんは肺癌だった。「4度も出産の痛みに耐えたが、今は誰もいない」とガンさんは打ち明けた。
 ここまで語ると、ガンさんは嗚咽し、長い間うずいていた苦痛のように途切れ途切れに言葉を繋いだ。「もし…私が子供に代わってやれたら・・・」。コアン氏は我慢強く涙を流さなかったが、苦渋に満ちた、皺の多く刻まれた顔もまた、苦悩を隠すことはできなかった。
 コアン氏は、「傷病兵には足を失い、手を失う人もいるが、私にはもう何もない。私の子供は私を置いて皆逝ってしまった。1982年、二番目の子供の病気が分かったとき、私自身もまた、枯葉剤の被害者であることに気づいた」と述べた。
 2006年末、5歳になったばかりの愛らしいグエン・クアン・ソンくんは孤児であったことから、コアン氏とガン夫人は、死んだ子供たちへの想いをいくらかでも静め、(孤児という)気の毒な境遇を世話してあげるため、ソンくんを孤児養育センターから引き取った。家の中に子供の声があれば、幾分でも苦しみは緩和されるからだ。
 また、タイビン省クインフー県クインザオ村のベンヒエップ集落のグエン・ティエン・チエン氏とヴー・ティ・ガイ夫人は10回の妊娠を経たが、4人の子供しか残っていない。このうち、お腹の中で死んだ子供もいる。チエン氏は1965年から従軍し、クアンチ省の戦場で戦い枯葉剤に汚染した。つまり夫妻の子供は間接的な被害者なのである。
 夫妻の二番目の子供であるグエン・ティ・ヴァンさん(1978年生まれ)は、ポリオに罹っており神経が正常ではない。35歳になるが、ポリオの影響で手足が麻痺している。叫ぶだけで話すことができず、自力でトイレに行くこともできず、一か所にじっとしていることができない。(娘が生まれて)今年で35年を経るものの、夫妻は毎日、不幸なこの娘の世話を行なっている。
 民族解放の革命事業と祖国防衛のための抵抗戦争の中で、タイビン省は、戦場の最前線にのべ40万人以上を送るなど、大きな貢献を果たした地方省の一つである。全省には、32,000人以上の傷病兵、51,000人以上の烈士(訳注:戦死者)、30,000人以上の枯葉剤被害者がいる。
 この数字の中に、ガン夫人やガイ夫人のような女性は実に多くいる。彼女たちも間接的あるいは直接的な枯葉剤の被害者なのだろうが、彼女たちの苦しみは永遠だ。抵抗戦争の中で、彼女たちは侵略者に対し強固に不屈の精神で抵抗し、積極的に労働生産を行い、盤石な銃後の守りとなり、平常の時もこの精神を貫いてきた。彼女たちは、これまでも、そして現在も、苦しみを乗り越えて生活を向上させている。

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( 翻訳者:佐久間凱士、相野那奈子、樋口由里子 )
( 記事ID:348 )