≪巻頭≫乞食物語(10-36:3-5)
2014年09月23日付 The Voice 紙

「私は生まれて間もないころからこの仕事をしてきた」と話す彼女はヤンゴンのバスの中で紙切れを配って乞食をしている、14歳のマ・ヌーヌーエーである。
 年齢も容姿も様々な乞食は、ヤンゴン市の賑やかな通りやパゴダ、市場、自動車や汽車の上など、いたるところでその境涯につなぎとめられている。その中にマ・ヌーヌーエーもいる。
 マ・ヌーヌーエーの両親はハンセン病患者を収容していたヤンゴン管区域フモービー郡区マヤンチャウン村の出身である。母親は皮膚病を患っており、マ・ヌーヌーエーを産んだ後に亡くなった。
 父親も片方の足を失った障碍者であり、妻を亡くしてから生活困窮のため、マ・ヌーヌーエーが生後2ヶ月のときに思い切ってヤンゴンへ出た。マ・ヌーヌーエーの父親はシュエピーダー郡区に住み、乞食をして生計を立てなければならなかった。
 大火事の際には息子すら踏みつける(訳者注――背に腹は変えられぬ、の意の慣用句)と言うように、生活の困窮は生後2ヶ月のマ・ヌーヌーエーが物心もつかないうちに乞食の人生へと自然と足を踏み入らせてしまった。
 マ・ヌーヌーエーの父親は2ヶ月の娘マ・ヌーヌーエーを近所にいた同じ境遇の乞食の女性たちに1日50チャットで貸し出した。マ・ヌーヌーエーの人生には幸運が一つあった。それは母親のハンセン病はマ・ヌーヌーエーに伝染することなく、健康な身体であったことである。
 ヤンゴン市の乞食業界では、乞食たちは座り屋と通り屋という二種類に分かれて活動している、と賑やかなヤンゴン市中心部周辺を縄張りにしている乞食の一群が話す。
 バスに乗って物乞いをする通り屋の中にマ・ヌーヌーエーはいる。
 浅黒い肌で、頬にはいつもタナカを円く塗っており、ショルダーバッグをいつも下げているマ・ヌーヌーエーの外見は一般の若い女性の姿である。ふと見ても誰も乞食だとわからない。
 バスの中で仕事を始め、手に持つ小さな紙切れを乗客に配り出してはじめて、マ・ヌーヌーエーがまぎれもない乞食だとわかるであろう。
 バスの中でマ・ヌーヌーエーが配る紙切れにはマ・ヌーヌーエーの名前や哀れな生い立ちがパソコンで綴られている。
 そうした紙切れはマ・ヌーヌーエーらの乞食集団のガウンバウン(訳者注―後述)が準備しておくのである。
 「一部の人は本当の名前ではないように、生い立ちの話も真実だけというのはあり得ない。とにかく私たちは本当に大変な目にあったから乞食をしている。父も以前のように乞食をすることはできない。父を養わなければならないのは本当だ」とマ・ヌーヌーエーが打ち明けた。
 マ・ヌーヌーエーたちの業界でも、ある人の場所、領地、縄張りというものが定められている。場所ごとに人が重ならないように、場所を振り分ける制度も存在する。行き当たりばったりで入ってきて乞食をすることはできない。
 「時折、通り1本を1ヶ月ぐらい割り当てられる。私はこの1ヶ月はこのソーブワーヂーゴウンから8マイル以内だ」とマ・ヌーヌーエーは自分の縄張りを眺めながら話した。
 そのように縄張りをガウンバウンという乞食たちの首領が定めているのである。1日の仕事を終える日没近くになると乞食たちは彼らの集会所であるヤンゴン市内のとある陸橋のガウンバウンの所にやって来て、1日中乞食をした収入の一部を納めなければならないのである。
 そのようにガウンバウンに分け前を支払うとき、縄張りごとに決まった比率で払う者もいれば、1日の請負額を払う人もいるとヤンゴン市内の乞食たちは言う。
 マ・ヌーヌーエーはガウンバウンへの分け前を請負額で1日あたり2000チャット払わなければならない。
 「ガウンバウンに支払うのは、あの人が私たちにはどうしようもない問題が起きたときにそれを解決してくれるからだ。ときには、逮捕されるようなことがあっても来て解決してくれる。それから、あの人たちはならず者だから怖い」とガウンバウンに分け前を払わなければならないことに関してマ・ヌーヌーエーが説明した。
 ガウンバウンたちが物乞いのできる通りや場所を決めておくから、物乞いをするときにひったくり事件がなく、うまくやっていけるのだとヤンゴン市内の乞食が語った。
 そのようにヤンゴン市の乞食の縄張りがガウンバウンの権威の下にあることは、ある乞食が新しい別の土地へ入っていって縄張りを変えることを難しくもしている。
 「1ヶ月ほど前、パズンダウン陸橋の下で子どもの頬を大人が平手打ちするのを見た。みっともないため私たちが話をしに行くと、その人は逃げていった」とガウンバウンと子どもの乞食との関係を見たことのあるヤンゴン市イェーヂョー地区に暮らす人コー・ポーチョーが述べた。
 パズンダウン陸橋の下で大人に殴られたという子どもはその橋の付近で乞食をしていると一部のパズンダウン郡区住民が語った。
 「子どもはこの付近で乞食をしている子ども。あの大人は彼らのボスだそうで、毎日の支払いが滞っていたので、今みたいに殴りに来たのだと子どもが言っていた」とコー・ポーチョーが補足した。
 ガウンバウンたちは乞食の上前をはねているのではなく、庇護を与えているだけだとチャウッダダー郡区とボータタウン郡区で乞食のガウンバウンをしたことのあるコー・ゾーレーが反論した。
 ガウンバウンたちは乞食の間で発生しがちな縄張り問題などのあらゆる問題を責任をもって解決する人たちであり、縄張りを侵した乞食のために問題が起きれば暴力的行為を用いて解決せねばならないこともあるとコー・ゾーレーが述べた。
 ヤンゴン市内には乞食の組織が少なくとも5つほどあり、郡区ごとにガウンバウンがいて、彼らの間で調整がなされたり、了解事項があったりする、と同氏が明らかにした。
 入国管理・人口省の調査により、ヤンゴン市の乞食人口は2400人以上おり、その中に高齢者が含まれる率は約8%であると発表された。
 コー・ゾーレーは、物乞いで生活する人が2400人以上いる乞食業から足を洗うことに成功した。
 コー・ゾーレーは現在では乞食業をやめ、バインナウン郡区でトラック2台ほどを所有し、自らも運転している。彼は生活を変えたのだ。
 乞食のガウンバウンという人たちは乞食の間での場所の割り当てのみならず、物乞いの役に立つ物資や条件の用立てもする。
 ガウンバウンの仕事には乳児の貸し出しも含まれる。
 ヤンゴン市中心部スーレー・パゴダ付近の繁華街では、乳飲み子や年端もゆかない子どもを、ももの上に乗せる人は乗せ、おんぶする人はおんぶして、母親と子どもという体で物乞いをする乞食を見かける。
 その中には実の子どもも含まれるけれども、借りた子どもを使って物乞いをしている人もいるとコー・ゾーレーが話した。
 母親と子どもの体で乞食をする人は、子どもの貸し主から子ども1人を1日借り出すための料金として1000チャットから1500チャットほど支払って使うことが多く、子どもの1日のミルク代と睡眠薬代なども子どもを借りる乞食たちが負担しなければならないとヤンゴン市の一部のガウンバウンが語った。
 子どもを借りて物乞いをする人たちは、借りている子どもをいつも寝かせておくために睡眠薬を粉にしてミルクと混ぜて飲ませていると子どもの貸し主の一部から知ることができた。
 ヤンゴン市などのミャンマーの大都市では、睡眠薬の力で常に眠らされている子どもがどれ程いるのだろうか。将来の花が常に寝てしまっている。誰が揺り起こすのだろうか。
 子どもに睡眠薬のような反応をにぶくさせる薬を飲ませることで、子どもが本来すべき運動をせず、記憶力が欠乏したり、食事の時間が不規則になることで栄養失調になったりするとある医師が説明した。
 「成長しても、このように脳の反応がにぶくなる感覚が癖になっていると、麻薬中毒にまでなる可能性がある」と子どもに睡眠薬を飲ませることに関してヤンゴン市の慈善診療所のチョーズワーウー医師が問題を指摘している。
 睡眠薬でいつも眠らされていた子どもの中にマ・ヌーヌーエーがおり、生後2ヶ月のときから物乞いをする子どもとして貸し出されていたのである。
 多く人々から憐憫の心を引き出すことは簡単ではない。2003年あたりにヤンゴン市の乞食業界では偽のハンセン病患者、大量のハエによって出来物ができた病人の偽物など、偽造乞食が流行した。そのように物乞いに役立つ偽造の分野などもガウンバウンたちの仕事であった。
 普通よりも多くの施し金を望む者は、ガバーチョー・グェフラインを避けては通れない。ガバーチョー・グェフラインとお近づきにならねばならない。怪我の偽装や変装の分野ではガバーチョー・グェフラインが有名である。
 ガバーチョー・グェフラインは、扇椰子の液汁やパテなどの材料を用いて、偽のハンセン病患者や偽の怪我を仕立て上げて料金を受け取る、とガウンバウンをしたことがあるコー・ゾーレーが語った。
 偽装によって施しを巻き上げる時代は終わった。マ・ヌーヌーエーらの時代には乞食のスタイルが変化してきた。
 マ・ヌーヌーエーは夜が明けると、安物の古い上着と色あせたロンジーをきちんと着て、タナカを真っ白に塗って仕事場へ赴く。マ・ヌーヌーエーが仕事場へくるときの姿が、近頃、流行してきている乞食の新しいあり方である。
 バスに乗り、単に紙切れを配るだけである程度のお金を得らえる時代には、乞食の世界から脱出したいと思う人がいる一方で、抜け出すための努力もせずに流されるままにいる人もたくさんいる。
 しかし、不自由なく食べられる生活に流されるまま、一生歩き続ける人たちの中にマ・ヌーヌーエーはいない。人から施しを受けて初めて食べていける境涯にマ・ヌーヌーエーは嫌気がさし、失望し始めているのである。
 「私はいつかこの生活から抜け出す。幼い頃からこの仕事をしてきた、ガウンバウンたちの手の中だけで様々な状況で乞食をしてきた」とマ・ヌーヌーエーが口にした。
 十代で思春期のマ・ヌーヌーエーは将来のことを考えると心配になる。所帯を持って、確たる拠り所となる家族を築き上げたいと考えているようである。
 「このままだと、世帯を持つことも素敵な旦那さんを見つけるのも難しい。可能ならば、縫製の仕事をしたい。私は字も読めないので他の仕事は難しい。この仕事をしたくなくても他の方法でお金を稼ぐことができないので、この世界であっちへ行ったりこっちへ来たりしている」とマ・ヌーヌーエーが愚痴をこぼした。
 ヤンゴンにいる乞食の1人あたりの日収は平均して5000チャットから7000チャットの間である。これも仕事の機会がまだ少ないミャンマーで乞食を更に増やす魅力の一つのようだ。
 ヤンゴンの乞食の中には年端のゆかない子どもや高齢者だけでなく、障碍者も多くいる。あらゆる年齢や容姿の人たちが乞食をしている。前世の積徳によってまともな仕事で暮らしを立てている人がいる一方で、食事に困らないで堕落する人もいる。
 「私の店の前に片足のない人が毎日来て座る。朝にその人の妻と思われる人がタクシーで送って来るのだ。1日中この近くにいる。彼のショルダーバッグの中には弁当も入っている。夜7時頃に彼の妻がタクシーで迎えに来る。私たちでさえ毎日タクシーには乗れない」とヤンキン郡区の飲食店経営者コー・チョーチョートゥンが語った。
 そのように楽をして金を稼げるために人々から蔑まれると考えられるこの乞食の仕事を、自ら進んで選んでいる人たちも、ヤンゴンの大通りのあちらこちらで見受けられる。
 賑やかなヤンゴン市中心部で乞食をしている老婆の娘は地区内で金貸しをして暮らすことができるまでに裕福である、と自らの見聞を語るのはシュエピーダー郡区タンチャウッピン地区の住人コー・アウンリンソーである。
 様々な姿かたちで様々な来歴をもつ乞食たちの業界には、外国人旅行客を標的にする乞食も現れてきているとヤンゴン市にいるツアーガイドたちが述べた。
 「彼らは持たざる者だから物乞いをするのだとはいえ、国家の体面を著しく損なっている。外国人というのは色々な人がいる。彼らを哀れんで手を差し伸べる人もあれば、気分を害して、君たちの国はこうか、と言う人にも出会ったことがある。いずれにせよ、自分たちの民族を貶めているのは間違いない」とフランス語ツアーガイドのマ・ラッラッソーが口にした。
 空腹を抱えている人々のために国の品位を損なう可能性はあるかないか、というところまで考えを巡らしている時間はなく、またそれを検討する能力がないことも事実である。うまくいっている人にとっては、大海原も腹も1尺(訳者注―海と同様に腹も一杯になることはない、食べてゆくことは大変だとの意の慣用句)が最も重要である。色恋よりも食べることの方が難しいように、食べることよりも欲望が満たされないという問題の方が更に難しいと言わねばなるまい。
 乞食業界には実際に暮らし、食べ、生存することが難しいため、物乞いをして生きている乞食がいるように、金を稼ぐのが楽であるためにそれらしい見た目を作って参入してくる人もいる。
見た目を作って活動をしている人々の中には仏教の装いをまとって稼ぐ人々もおり、ヤンゴン市のあらゆる路地、バスの車上は路線の果てまで、様々な郡区の様々な場所で、彼らを頻繁に見かけるのがヤンゴン市の日常の光景となっている。
 「喫茶店の中で2人の女性出家者(訳者注―ティーラシンといって正確には尼僧ではない)が施しを受けているときに喧嘩になったのを見たことがある。ついには、私の縄張りを荒らすんじゃない、ここはお前の縄張りじゃない、と大声で叫んだので、偽物だと気がついた。とにかく、自分が仏教徒なので、異教徒に対して恥ずかしく思う。すべきでないと思う」と仏教の装いをまとった乞食を実際に見たコー・ミャットゥーアウンは気に入らない様子で述べた。
 食べるのが楽だとか、仕方がなくとか、様々な告白をする乞食たちを、国家の体面を保つためといって、一掃しようとする計画も頻繁に打ち出されてきた。
 しかし、うまくいかない。
 2010年、ヤンゴン市長ウー・アウンテインリンの時代に、市内の乞食約70人をヤンゴン市開発委員会の配下の部局で雇っていたけれども、多数が働きたがらなかった。
 仕事を辞めて再び乞食をしているとヤンゴン市開発委員会の幹部高官の1人が認めた。
 ヤンゴン市の清掃美化改善委員会の発表には、去る2009年、乞食3000人以上を逮捕し取り締まったとある。
 乞食撲滅プログラムにより、上記の逮捕した乞食に職業訓練を行った。ヤンゴン市開発委員会清掃局で働きたければ、住む場所を与え、労働機会を提供する、と同委員会の発表にあった。
 それでも乞食が減らない。
 なぜか。
 ヤンゴン市のある場所では乞食のみならずクリアランスのためにホームレスも徐々に増加している。
 住む場所がない、仕事がない、家族がない、という状況から、乞食が更に多くなっているのであるとボーヂョー・マーケット付近で子どもと一緒に乞食をしているマ・ビービーが述べた。
 しかたなく乞食の生活に入ってしまっても、搾取される生活からは抜け出せない。
 ヤンゴン市にいる多数の乞食は年端もゆかない子ども、女性、高齢者である。それらの乞食を搾取しているのは他でもない、傍若無人な無法者の成人男性が群れを成して上納金をゆすりとっているガウンバウンという人々である。
 「乞食同士で派閥を形成して、権力のある人が権力のない人を搾取し、お金がある人がない人を搾取しているというところから、最後には持たざる者同士で得られる限り搾取し合う制度が発達してきているのだ。その中に多くの女性や子どもなどの人々が人質や獲物として押し込まれているのである」とチンマインに拠点を置くミャンマー女性連盟の顧問の一人であるミースープィン女史が乞食の間での労働力搾取を指摘し、批判した。
 いずれにせよ、様々な乞食の中でもヤンゴン市の乞食は頭を下げ肩身の狭い思いをしている。
一方では、家のない人々による不法占拠の問題や労働機会の不足の問題は解決の見込みがない。失業者やホームレスは、潮がみちるように増えている。貧困削減というスローガンの下で国民一人ひとりの収入は横ばいのままだ。
 それならば、マ・ヌーヌーエーは独り、紙切れを配り続けなければならない。
 バスで配る紙切れを回収するときには、紙切れと一緒に100チャット札や200チャット札のお金が渡される。紙切れの束に挟んで、いくらかの稼ぎをショルダーバッグにしまい込み、バス停に到着したバスから降りる。
 夕暮れにガウンバウンに2000チャットを払うと、マ・ヌーヌーエーが家路につくころ頃には約3000チャットが残る。このように循環している乞食の輪廻の中からマ・ヌーヌーエーは抜け出せていない。溺れるようにもがき苦しんでいる。
 「1日に500チャットは宝くじを買う。宝くじが当たったら、EVDという小さなテレビを買おうと思っている。機械を曲げて斜めから見ることもできる」とヤンゴン市の乞食業界の歯車の一つであるマ・ヌーヌーエーが彼女の将来の目標を述べている。
 バスの車上で回収した紙切れの束をきちんと揃えて、バス停にやってくる次のバスを待ち望み、マ・ヌーヌーエーはぼんやりと眺めつづけている。

                                      ケッゾー

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( 翻訳者:小林奈那 )
( 記事ID:1029 )