《社説》責任を持つ組織(10-43-20-1)
2014年11月10日付 The Voice 紙

 世界各国の歴史的道程から現在の情勢までを研究してみると、採られた体制や統治制度の形式に応じて豊かになったり貧困になったりしていることが大まかに分かってくる。
 体制や統治制度は国民の能力と機能を高めることができるほか、国民ひとりひとりの責任感をも引き上げることができる。優れた統治制度というのは、政府のためだけに作り上げるものではなく、国内の機関、組織、団体のためにも重要である。
 とりわけリーダーの質が高い統治制度は出色である。リーダーが自分たちの組織において能力や知識量に応じて居場所を与えられるメリトクラシーを採用することによって、職場の環境をよりよいものにできる。
 能力本位ではなくて、親戚や縁故者や部下に能力がないのに仕事を割り当てたり、身内を重用したりするネポティズムのスタイルを採るならば、責任逃れ、職務不履行、間違いの隠蔽、自分たちの行為は全て間違っていないと弁護するための様々な手段を試みることなどのために悪循環に陥りがちである。
 先日起きた、フリーのジャーナリストであるというコー・アウンチョーナイン(別名コー・パーヂー)の死亡についての報道(――下記校閲者註)をみれば、職務を全うせず、責任を引き受けようともしない責任者たちの自己弁護のために問題が大きくなってしまったのである。そのように職務を全うせず、責任を引き受けようともしない人々を継続的に訓練し育成してきた機関や組織の品位を大きくおとしめた。
 さらに、約50年間にわたるその組織の統治下では、恐怖支配によってそれを経験してきた国民の理解や信頼を崩壊させることとなった。 言い換えると、その組織と国民の間により一層の懸隔を生み出すようなことになったのである。
 実際のところ、コー・パーヂーのように、多くの人に活動を知られている人であったからこそ、民間組織や政治活動家やメディアが取り上げて報道し、たくさんの国民に知れ渡り、今回のように人権委員会が解決に向けて参入することになった。しかし、コー・パーヂーではないその他の人々がどれ程の数、不法に死んでいったか、あるいは、今も死んでいっているのかということは知り得ない。
 いずれにせよ、悪い体制の下で暮らしてきたミャンマー各地の住民たちはあやまちから離れられない。職務を与えられた人には、与えられた職務についてよくよく考えたうえ、その職務を遂行し、責任を引き受けてもらいたい。
 加えて、狭い自分の利益、自分の組織の利益、自分の代表する地域のためだけにしか物事を見ない統治制度から脱して、連邦国家と国民全体の利益を見通して職務を遂行し、責任を引き受けることのできる人々を生み出さねばならないということも提言したい。

校閲者註:モン州での国軍と少数民族武装組織との戦闘の取材に向かったジャーナリストが、国軍に捕らえられて殺害されたとみられる事件。したがって、以下で批判される「組織」は国軍を指す。

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( 翻訳者:豊嶋悠紀 )
( 記事ID:1162 )