10 Women in Myanmar 2016 (2017年1月10日 A,B,C,D)
2017年01月10日付 The Voice 紙

 かつて女性に許されたことは子育てくらいのものだったが、男女平等が唱えられてから、世界では著名な女性がたくさん登場してきている。ミャンマーでも、男女平等が認められてきたのに応じて、優秀なミャンマー人女性がたくさん登場してきている。本紙は、優秀で能力のあるミャンマー人女性が今後さらに登場してくることを期待し、とくに重要で、各分野で先導的な役割を果たしているミャンマー人女性の中から10人を選び、10 Women in Myanmar 2016のコーナーで紹介する。

ドー・アウンサンスーチー
 ミャンマーの民主化にとって重要だった2015年選挙後の時期に、政権を担当する大統領をつくりだした人物(President Maker)として見事な働きをしただけでなく、国軍の指導者たちが好きなだけ時間をかけて作成した2008年憲法の抜け穴条項であった第217条を利用して、政府を率いる国家顧問という新しい役職をつくりだしたことなどから、The Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016にふさわしい。
 ドー・アウンサンスーチーは国家顧問の役職についているほか、ミャンマーの政治史においてだけでなく、民主化においても重要である軍との関係を良好にするため、国防治安評議会のメンバーでもある外務大臣の役職を兼任し、軍人側と文民側の関係が良好になるように働きかけている人物である。
 世界で最も長い国内紛争をかかえているミャンマーに和平を取り戻すことや、連邦制を確立する最初の一歩となったピンロン会議の開催を主導したことも、2016年の歴史に名を刻むべきドー・アウンサンスーチーの業績である。
 外国投資と貿易における一番の障害となっていた米国の経済制裁を解除し、外国投資を再び呼び込み、また、交通網、電力などのインフラ建設に必要な援助を獲得するため、アメリカ、イギリス、中国、日本などのG20諸国を2016年中に訪問した。国家の発展のため、70歳過ぎの老いた母(訳者注―ビルマ語でアメー、アウンサンスーチーを指す)の数千マイルの旅を記録しなければならない。
 民族紛争が起こっているヤカイン州の問題で国際社会の信頼を得るため、コフィ・アナン前国連事務総長をヤカイン州諮問委員会の委員長として任命したことや、国連高等弁務官事務所の協力を得てベンガル人の国民資格審査を行うよう計画したことなどは、ドー・アウンサンスーチーの外交上の業績である。
 ミャンマーの独立の父、国民の偉大な指導者アウンサン将軍の娘ドー・アウンサンスーチーは、1988年の運動のときからミャンマー政治の激動のなかに身を投じた人物である。先の軍事政権時代に、3回(13年近く)自宅軟禁された。
 しかし、2015年選挙の時コーフムー郡から出馬して選出され、ミャンマーで唯一の国家顧問として法に基づいて選任された人物でもある。

ドー・ナンラインカン
 カンボーザ明るい未来ミャンマー基金(BFM) 理事長で、助けが必要な全国の地域に効果的な支援をしているドー・ナンラインカンをThe Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。
 2016年中に、マレーシアにある11の保護キャンプでわけあって保護されていたミャンマー人2294人を、グループに分けてミャンマーに帰国できるように活動したことと、2014年から2016年12月の間に、シャン州の水の少ない地域で機械式の井戸184箇所を掘削して寄付したことは、ドー・ナンラインカンの今年の特筆すべき活動であった。
 また、戦争や自然災害の被災地域での救援活動、教育分野や障がい者の生活の向上のための援助などの活動をした。
 新政権の発足した2016年に、ミャンマー女性連盟が選出する「優秀な女性に贈る賞」を、社会福祉・救済・復興省から「障がい者の就職機会創出活動賞」を獲得した。
 ミャンマーがサイクロン・ナルギスの被害にあったとき、被災地域の住民のための救済活動と復興事業を、カンボーザ銀行株式会社の取締役でもあるドー・ナンラインカンが主導してカンボーザ銀行の社員と始めた。
 そのときにカンボーザ明るい未来ミャンマー基金(BFM)を設立し、2007年から2016年12月の間に、支援が必要な国内の地域に社会福祉のため1106億8200万チャット余りを寄付したことなどから10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。

シンシア・マウン医師
 1990年頃からミャンマー・タイ国境の町メーソートに拠点を置き、タイに逃亡した政治難民、ミャンマー人出稼ぎ労働者、戦争避難民の少数民族に医療を提供するため、メータオ診療所を開設し、治療に人生を捧げたシンシア・マウン医師をThe Voice Dailyの10Women In Myanmar 2016に選んだ。
 メータオ診療所はミャンマー・タイ国境メーソートにある。20年前にシンシア・マウン医師はこの診療所を苦労して一人で開設した。数十万のタイに出稼ぎに出ていたミャンマー人労働者は、この診療所が頼りだった。
 メータオ診療所に来た出稼ぎ労働者のなかで傷がひどい人を以前はメーソート病院とバンコク病院に送っていた。2016年にミャワディ病院で治療ができるようシンシア・マウン医師は一人で奮闘した。
 2016年に特筆すべきシンシア・マウン医師の活動は、5月28日にメーサート内で場所を移し、ベッド140床がはいる診療所を開いて医療を提供したことである。
 遠隔地に住む妊婦と子供のためにも、移動診療チームを2016年に派遣した。また、医療費を一人あたり年に20ドルしか使わないミャンマー政府の医療予算を増額することを、シンシア・マウン医師は要求し続けている。
 また、タイにいるミャンマー人出稼ぎ労働者をミャンマーの病院に移送して治療できるようにしたり、誰もが医療を享受できる制度を実現させたりした人であり、国際慈善団体であるAidExの2016年Humanitarian Hero of the Year Awardを授賞したのをふくめて、国際的な賞20余りを授賞している。

ドー・ウィンウィンティン
 ミャンマーの都市部でCity Mart Supermarket, Ocean Super Center, City Expressなどのデパートや小売チェーン180店舗以上を展開するシティーマートホールディングズを1996年から経営しているドー・ウィンウィンティンをThe Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。
 2016年1月に世界銀行グループメンバーの世界金融公社は、シティーマートホールディングズ有限会社の事業拡大計画のため2500万ドルを投資することで合意した。この資金により、次の3年間でスーパーマーケットとハイパーマーケットを計20店舗以上増やす可能性がある。
 また、ドー・ウィンウィンティンは世界的に著名なForbes誌の2015年「アジアで最も影響力のある女性企業家トップ50」にも選ばれた。2016年には、ヤンゴン市ミェニゴンにあるシティーマートの店舗を24時間営業にし、他の一部の店舗でも24時間営業体制の準備をしている。
 2021年にはシティーマート社は国内の製品の売り手から、1億5000万ドル相当まで仕入れられるようになるだろうとの予測もある。いまの仕入れ額より6倍の規模で仕入れられるということであり、さらに約4000人の女性の雇用機会を生み出すことにもなる。
 2016年ASEAN Business Awardsの若手企業家賞をドー・ウィンウィンティンが率いるシティーマートホールディングズ有限会社が獲得した。

ドー・キンレー
 ミャンマーの女性の権利擁護活動を最前線で行っている活動家であり、Triangle Womenという団体を設立し、リーダーを務めているドー・キンレーをThe Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。
 ドー・キンレーは、女性に対する暴行や少女に対する暴行を効果的に取り締まる運動や、教育イベントなどを2016年にヤンゴンをはじめとして各地で地元の人々とともに開催してきた。
 今年開催した21世紀ピンロン会議の前に、ドー・キンレーは、和平プロセスにおける女性の参加を特に強調している。
 各分野で女性がリーダーとして参加することを訴えたのでドー・キンレーは有名になった。
 また、ドー・キンレーはTriangle Womenの理事長として衛生関連の知識(結核、HIV、遺伝疾病、ジカウイルス)、男女平等、女性と少女への暴行事件撲滅などにかんする啓蒙活動を、草の根で人々が交流できるように開催してきた。また、女性リーダー研修も行っている。
 特に、ドー・キンレーは意志決定の場への女性の積極的な参加に関し、ミャンマー各地の政党や民間組織の女性たちに向けて講演してきた。それだけでなく、ミャンマーの社会組織では女性の参加がまだ不十分であることを、社会に知らしめた。そのため、10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。

ドー・ミャッテッモン
 保護施設を作り、200匹近い犬を保護したドー・ミャッテッモンをThe Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。
 野良犬の保護活動は愛に満ちた事業であるにもかかわらず、ミャンマーでは人々の関心が薄い慈善事業である。それを自分の資金で始めた人物である。
 野良犬を毒殺するというニュースを聞いたドー・ミャッテッモンは2016年に野良犬保護活動を強化していった。
 2016年9月にタニンからフレーグーの保護施設に野良犬を移送し、ダバーワ瞑想センターとインセイン病院の野良犬40から50匹を保護施設で保護した。また、さまざまな病気にかかっている犬、路上に捨てられている犬、刃物で切り付けられた犬、自動車にひかれた犬も救助して治療した。
 中国に送られる予定だった犬139匹を2013年に初めて救出してから、ヤンゴン管区域タニン郡のチャウッタン、シュエピャウッチーで犬の保護施設を2か月ほど開設した後、タマロン村に移転した。
 今は、犬の数が多くなってきたので、フレーグーに移転する計画がある。準備のため現在は上述の場所で一時的に保護施設を開設し200匹近い犬を保護している。

ドー・ピューイーテイン
 ドー・ピューイーテインは、ミャンマーで失われつつある織物の技術を再興すべく十年近くにわたり努力してきた人物である。また、化学染料を使わず、天然由来の染料で染めた綿布を生産し、日本に初めてミャンマーの綿布を輸出した人物である。
 天然の染料で染めたミャンマーの綿布は2004年から日本に輸出している。2013年には、ヤンゴンに事務所を開設した。
 2014年に、ドイツ国際協力公社(GIZ)のミャンマーの新進起業家賞を獲得した。彼女はニャウンシュエ市で、天然染料と伝統的な織機で綿布やおみやげ品などを生産している。
 また、ドー・ピューイーテインは、ミャンマーの伝統的な機織りの技術をもっと知ってもらおうと努力している。普通の製品と違う、伝統的な織機と天然染料による綿布のため、日本の市場に輸出することができた。また、そうした綿布からおみやげ品も生産している。
 ミャンマー産のおみやげ品の市場も、今年になってますます広がり、知名度も上がってきている。そのため、10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。

エスタートゥーサン
 エスタートゥーサンは、ミャンマーで初めてピューリツァー賞を獲得した女性ジャーナリストである。カチン人のエスタートゥーサンは、AP通信に所属し、2016年にジャーナリズム界最高の賞といわれるピューリツァー賞を他の同僚の女性3名と共に獲得した。
 彼女が書いた記事により、タイの漁船で、人身売買のため奴隷のようにとらえられていたミャンマー人を含む漁業労働者2000人以上が救われた。エスタートゥーサンは、2014年に同僚ジャーナリスト3名とともに、タイ船籍の漁船のうえとインドネシアの人の出入りが少ない島で奴隷状態にされていた漁業労働者のことをはじめて取材した。そのニュースの発表にむけて奮闘している時、エスタートゥーサンと同僚ジャーナリストは漁業会社からスピードボートで追跡を受けたり、トラックの荷台に隠れて取材せねばならなかったり、地元の武装勢力から脅迫を受けたりしたが、屈することなくこのニュースの発表にこぎつけた。
 主に東南アジア諸国からの水産物を輸入するアメリカ合衆国では、そのような不法に奴隷的な扱いを受けていた人々が、アメリカに食べ物を輸出する事業にたずさわっているというニュースが大きな波紋を呼んだ。その問題にかんしてアメリカ下院で法律が制定されるまでにインパクトがあった。
 一年あまり時間をかけて取材して記事を執筆した後、ミャンマー人も多く含まれていた奴隷状態の2000人以上を解放したことで、ジャーナリズム界で最高の賞であるピューリツァー賞をミャンマーの女性ジャーナリストでカチン人のエスタートゥーサンが受賞した。そのため、10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。

ドー・テインテインエー
 ミャンマーのサッカー史上初めて、世界レベルのサッカーの試合で審判をおこなう資格を得て、第一級の国際審判員と認められた最初のミャンマー人審判員として記録に名を残したドー・テインテインエーをThe Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。
 FIFA公認審判員としてミャンマースポーツジャーナリストの間で人気になったドー・テインテインエーは、2016年にパプアニューギニアで開催されたFIFA U-20女子ワールドカップの大会で主審を務めた。
 ドー・テインテインエーは、2005年から審判員を務めていて、2007年の全国女子サッカー大会と、2008年にベトナムで開催された東南アジア女子サッカー選手権でも審判員を務めた。
 マンダレー市にあるマンダラーティーリ・スタジアムで7月に開催された第9回東南アジア女子サッカー選手権でも、ドー・テインテインエーは大会の全期間にわたって的確な審判をしたので、タイとベトナムが戦う決勝戦で主審を担当することとなった。
 上述の試合では、ドー・テインテインエーのジャッジに納得できないベトナムチームがアジアサッカー連盟(AFC)に抗議したが、AFCがドー・テインテインエーの判断を尊重した。
 AFCが認めたこともあり、ドー・テインテインエーは、FIFA U-20女子ワールドカップで主審を務めることができた。
 ドー・テインテインエーはFIFA U-20女子ワールドカップのグループステージで、開催国パプアニューギニア対スウェーデンの試合の主審を務めた。これはミャンマー人審判員の間でも誇らしいことであった。ミャンマー人女性審判員の中で、ドー・コージャーはFIFA公認審判員であったが、オリンピックの試合しか担当したことがなかった。ドー・テインテインエーはFIFAワールドカップで審判員を任された初のミャンマー人女性審判員として記録に残る人物である。そのため、10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。

ザベーピューヌ
 カチン州の戦争避難民キャンプを舞台とする家族愛の物語を、『北端の恋しい季節』と題する初の長編小説として、見事に描いてみせたことで、国民文学賞を受賞したザベーピューヌをThe Voice Dailyの10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。
 その小説は、戦争避難民の感情、悲しみ、家族の困難をテーマとし、異母妹を探しに行く物語を抑揚をつけながら魅力的に描いている。
 ザベーピューヌは大学生の時に短編小説と詩を書き始め、シュエアミューテー、カリャー、ヤナンティッなどの月刊誌に寄稿していた。ザベーピューヌというペンネームで2006年に文学界入りし、現在までに『北端の恋しい季節』、『時代とか愛とか』『昔のガンゴーの花』『薄く翻る世界』などの長編小説を4冊と、雑誌に掲載されていた短編の小説集1冊を出版している。
 ザベーピューヌはマスメディア業界に8年間従事した後、文学界に入った。若い時から作家になることが夢であったことから、ヤンゴンに来た時、出版に関連のある仕事がしたいと考え、ジャーナリストを選んだ。
 彼女は自分が書きたいと思うテーマについてあらかじめ取材する。『北端の恋しい季節』を書いた時も、カチン州にある戦争避難民キャンプに自ら出向き取材してから執筆した。作家としてのキャリアはまだ浅いが、彼女が書いた数少ない小説の中で、国民文学賞を受賞した長編小説『北端の恋しい季節』と最新の長編小説『薄く翻る世界』は映画化の話が進んでいて、彼女はミャンマー文学界の期待の星であると言える。そのため、10 Women in Myanmar 2016 に選んだ。

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( 翻訳者:井坂理奈 )
( 記事ID:3199 )