クアン国家主席による故レ・ズアン書記長生誕記念論文
2017年04月06日付 VietnamPlus 紙
1979年4月22日、ゲティン省タイヒュウ農場の幹部・労働者と懇談する故レ・ズアン書記長(中央)
1979年4月22日、ゲティン省タイヒュウ農場の幹部・労働者と懇談する故レ・ズアン書記長(中央)

 レ・ズアン書記長生誕110周年記念(1907年4月7日~2017年4月7日)にあたり、チャン・ダイ・クアン教授・博士・党政治局員・ベトナム社会主義国国家主席は、「ベトナム革命とレ・ズアン書記長の創造的思考、戦略的ビジョン」と題する論文を執筆した。
 国営ベトナム通信社は謹んで全文を紹介する。

   「ベトナム革命とレ・ズアン書記長の創造的思考、戦略的ビジョン」

 先達の堅固な革命戦士、我が党、国家、人民の傑出した指導者、偉大なるホー・チ・ミン主席の優れた弟子のひとりであり、ベトナム革命の大いなる智慧と才能であるレ・ズアン書記長─同志や同胞の優しく敬意を込めた呼び方によればバーさん─は、民族解放闘争事業、祖国の防衛と建設事業のために全生涯を捧げた。
 60年近くの連続した活動において、総括的実践と緊密に結びついた創造的思考、長期的で広範なビジョンを以て、国の3つの地域に革命を頑強に実践する中で、レ・ズアン同志は、ホー・チ・ミン主席をトップとする党中央執行委員会とともに、マルクス=レーニン主義を創造的に運用し発展させ、正しい革命路線、戦略を構築しその成功に向け領導し、ベトナム革命の理論の発展に貢献し、建国数千年の歴史に輝く英雄的なページを描き、民族の国家を維持し、我が国を独立、自由、社会主義の世紀に揺るぎない一歩を印した。
 生前、レ・ズアン同志は、しばしば、「真理は常に具体的である」とのレーニンの有名な論点を繰り返し、また「革命は創造的である」と述べた。レ・ズアン書記長の思想・理論の倉庫のなかで、同志の極めて深遠な創造的思考、独立、自主、戦略的ビジョンは、革命の進展および革命の複雑な方向性を前に、とりわけ歴史的な決定性を有する各段階において、国土の工業化・近代化と国際参入を推進する刷新事業は、時宜を得た、今日もなお非常にかけがえのない遺産である。
 レ・ズアン同志の創造的思考、戦略的ビジョンは、非常に早くから示されており、これらの思考、ビジョンは、グエン・ヴァン・クー書記長とともに、ベトナム革命の戦略的方向性を転換するプロセスの端緒である1938年11月の6中総の成功に優れた貢献を果たした。総会では、「インドシナ各民族が生き残るには、独立を勝ち取るため、フランス帝国を倒し、白い肌あるいは黄色い肌をした非道な外国による侵略のすべての桎梏に抵抗するほかに道はない」と認定した。革命戦略の方向性の転換に基づき、総会は、土地革命のスローガンを基礎に据え、野蛮で残酷な植民地制度を倒すため、反帝国主義のインドシナ統一民族戦線を早期に設立するとの方針を掲げた。
 1951年2月の第2回党大会に出席できなかったため南部党委員会書記の地位にあって、レ・ズアン同志は、「ベトナム革命におけるプロレタリア階級の指導的地位と役割について」、「ベトナムのプロレタリア革命における農民の地位と役割について」、「経済政策について」、「政治と政権について」など、プロレタリア階級および共産党に関する多くの重要な内容について貢献を果たした。
 理論と実践の両面において極めて堅固な論拠を以て、レ・ズアン同志は、ベトナム革命におけるプロレタリア階級の指導的役割について深く分析し、これを確認したうえで、「ベトナム革命の特徴を理解せず、ベトナムのプロレタリア階級を世界のプロレタリア革命運動と切り離し、国土の政治、経済、社会にかかる具体的な状況と各段階の民族解放運動の変化のプロセスと切り離して評価するならば、我々は、ベトナム革命に対するプロレタリア階級の指導的役割を十分に評価できないだろう」と言明した。
 レ・ズアン同志の貢献的意見は、第2回党大会において、「5大陸まで響きわたり、地を揺らした」と言わしめたディエンビエンフーの歴史的な勝利をもたらし、我が国の全人民がフランス植民地政府とアメリカの関与を打破するよう領導する、人民戦争路線を打ち出した。残虐なテロリスト「アメリカ─ジエム(訳注:ゴ・ディン・ジエム)」独裁体制の下、極めて過酷な月日の中で、レ・ズアン同志は、革命基礎を構築する運動を強化するよう指導しながら、南ベトナムにおいて革命を進める道を模索し、考えた。
 戦略面の大家としての思考とビジョンを以て書かれた、「南ベトナムにおける革命綱領」というレ・ズアン同志の有名な著書のなかで、同志は、ジュネーブ協定施行後の南ベトナムの情勢を深く分析・評価し、正確に予測し、南ベトナムにおける革命の目的、任務、対象として、「現下の情勢において、南ベトナム人民が国を助け自らを救うためには、アメリカ─ジエムに立ち向かうほか道はない。それは革命の道である。この道以外にほかの道はない」と述べた。
政治闘争と武装闘争の間を賢明に結合させ、大規模な後方部隊と大規模な前線を結びつけ、3つの戦略地域(山間部、平野部、都市部)の間を緊密に結合させるとの方針は、すべての民族の大きな力を生み、革命の最後の勝利に向け揺るぎない信頼を作り出した。綱領は、党中央執行委員会が、同委員会第15回(拡大)総会において、「平和の維持、国土統一の実現に向けた団結の強化、闘争の堅持」に関する決議を発出するための重要な基礎となった。決議では、「基本的任務は、残酷な帝国および封建支配から脱するため、南ベトナムを解放する」ことが確認された。
 決議は、全国の同志、同胞の願望、特に、武装闘争への転換、革命成果の防衛に関する南ベトナムの同志、同胞の心底からの渇望を正しく反映したものである。そこから、ドンコイ(一斉蜂起)運動が起こり、特殊戦争、局地戦争、戦争のベトナム化を失敗させ、米帝とその傀儡が、我々との交渉のテーブルにつかせざるを得ないようにした。
 当時の複雑な世界と地域の情勢にあって、政治闘争および外交闘争と結合した武装闘争を進めるとの方針は、我が党の確固たる政治信念、中でもレ・ズアン同志が果たした着実かつ効果的な貢献ぶりを表すものであった。1960年9月の第3回党大会における政治報告において、レ・ズアン同志は、重要な政治文書を発表した。その中で、同志は、「北ベトナムにおける社会主義革命と南ベトナムにおける人民の民族民主主義革命は、異なる2つの戦略地域に属しているものの、先ずもって国土統一を実現するとの共通の目標を有している。従って、これらは相互に密接な関係があり、互いに影響を及ぼしており、共に進展を推し進める」ことを確認した。
 また、政治報告では、「我がベトナム国はひとつであり、我がベトナム民族はひとつである。必ずや我が国は独立と民主を基礎に統一され、必ずや我が民族は平和、自由、幸福の中で再結合するだろう。川は渇き、山はすり減るだろう。しかし、我が国のすべての人民が持つ祖国統一の意思は、決して揺らぐことはなく、最後に我々は必ずや勝利を勝ち取るだろう」と強調された。我が党の、レ・ズアン同志の天才的な予測は、15年後に現実のものとなった。
 第3回党大会以降26年に亘り、第一書記、その後は党中央執行委員会総書記長の地位にあって、レ・ズアン同志は、党中央執行委員会、政治局とともに、路線、戦略、革命の方法、南ベトナム解放、国土統一のための人民戦争の指導路線・技術、社会主義建設路線を立案し、極めて見事に発展させていった。
 レ・ズアン同志─いわば「200の点火プラグ氏」は、南ベトナムにおける革命運動について多く考え、方針を講じ、フォローの仕方を考え、見通しを立て、党中央に対し、南ベトナムにおける革命を確固として進めるため、最優先すべき観点、指導的考え方、方針を提案した。その中には、特筆すべきものとして、攻撃戦略の考え方と段階ごとの勝利を知る技術、政治勢力と武装勢力の双方を革命暴力に活用すること、総合力によって敵を倒し勝利すること、民族の誇りを高く掲げ常に革命英雄主義を発揮すること、独立・自主の精神を醸成し、同時にプロレタリア国際精神を絶えず教育することが挙げられる。
 レ・ズアン同志の最深部において、南ベトナムの解放、国土の統一とは、常に、1969年の葬儀において偉大なホーチミン主席の遺体を前に、同志が全党、全人民、全軍に代わり約束した神聖なる命令、言葉なのである。
 レ・ズアン同志の創造的思考、決然とした指導は、1975年春の歴史的なホーチミン作戦において最大限に発揮された。1975年4月9日の南部中央局の指導部に対する打電の中で、同志は、「攻撃を発動したとき、すべてに勝利するまで、真に力強くかつ連続して、間断なく襲撃しなければならない。周囲を攻撃しながら、時機を捉え、準備していた勢力が多方向からサイゴンの中心部へ深く突入する。外側から攻め、内側からの攻撃を実施することで、2段階に分けることなく、同胞が立ち上がるための条件が整備される。それは、基本的かつ最高の勝利をもたらすため方策である。この状況で、電撃的、大胆、奇襲の闘いがそこで行われる」。
 国際プロレタリア共産運動に関し、レ・ズアン同志は、常に、平和、民族独立、民主、社会主義のための闘争にあたり、世界の兄弟党間、世界の革命勢力間の団結を強化することに心を寄せてきた。
 抗米救国戦争の勝利後、我が党は、国土統一事業、戦後経済の回復、全土における社会主義建設路線の策定を領導した。レ・ズアン同志は、「我が祖国の光り輝く新たな一ページが幕を開けた。4500万人の同胞を待ち受ける、真に偉大で心湧きたつ新たな任務は、『我が全党、全人民が、団結して、平和、統一、独立したベトナム国の建設に奮迅し、世界の革命事業に立派に貢献する』との、偉大なるホーおじさんの遺訓を十分に実施することである。我々は、ベトナム国が進歩的で繁栄し、人民が衣食満ちて幸福であるため、手を取り合って国家を建設し創造的に労働していこう」と確認した。
 社会主義革命事業を領導するなかで、レ・ズアン同志は、ベトナムの具体的条件に見合った社会主義に向かう道の模索にあたり、重要な理論的貢献を果たした。それは、社会主義と民族独立の旗を結びつける、党が領導し、国家が管理し、人民が主人公となる制度、社会主義へ向かう過渡期のすべての時代における中心的任務として社会主義の工業化を推進する、警戒心を怠らず、常時国防を強化し、政治の安定と社会秩序を維持するなどの考え方である。同志は、常に文化面での構築と発展を重視し、「新たな社会主義人を作り、人々に真正の価値をもたらし、人類が全面的に発展するための環境を整え、歴史的な創造を行うとの意識を持った主体となる」と述べた。
 革命とは民族の大団結を発揮する大衆の事業であるとの考え方から、レ・ズアン同志は、常に、幹部・党員に対し、常時人民の生活に配慮しなければならなと繰り返した。「先ずもって、人民が衣食足り、子供たちが学校に行き、誰もがベトナム公民であり『あちら側、こちら側』などと区別することなくすべての人々に配慮しなければならない」と繰り返した。
 「経済管理の改善工作における喫緊の任務」に関する第5期6中総以降、我が党が、経済管理の刷新プロセスに向かっていったときから、同志の創造的思考が明確に表出されている。
 同志は、「我が党と国家は、官僚主義な配給管理制度を克服し、中央による統一的な管理を確保しつつ、各機関、各地方、各部門が生産を拡大し、労働者大衆が主人公となる権利を発揮し、労働効率と経済の効果を高めるべく奨励するといった経済管理の原則を正しく実施するよう新しい管理制度の整備を進めるため、大きな努力を費やしてきた」と強調した。レ・ズアン同志は、晩年まで、生活問題について思いを巡らせ、ベトナム革命に見合った社会主義の道について考え、模索してきた。
 国土の全面的な刷新を実施してから30年以上を経て、ベトナム革命は歴史的意義ある大きな成果を勝ち得た。まず第一に、我が党のドイモイ路線は、先達の指導者世代の革命指導における経験・教訓をまったく正しく継承し、発揮していることが強調される。常に変化する世界、国内情勢において、ドイモイ事業が深化する中で多くの問題が発生するも、我が党が信念、智慧を高く掲げ、引き続きマルクス=レーニン主義、ホーチミン思想を創造的に運用し発展させ、ベトナム革命を推し進めるよう求められた。レ・ズアン書記長の創造的思考、戦略的ビジョンは、依然として、理論と実践の両面において価値を有するものであり、新たな革命の段階において、党のドイモイ路線の勝利に向け策定し領導するための正しい方向性なのである。
 レ・ズアン党書記長の生誕110周年記念にあたり、我々は敬意を込め、ベトナム革命に対する同志の顕著な貢献と大いなる功労に謹んで深謝を表する。党と民族の輝かしい革命理想、革命事業に忠誠を尽くし、人民の自由と幸福のため、全生涯を民族解放、国土統一、社会主義の祖国ベトナムの建設と防衛事業に捧げた忠実な共産主義者、傑出した指導者の燦然と輝く鑑に倣うことを誓う。

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( 翻訳者:メディア翻訳ベトナム語班 )
( 記事ID:3299 )