歴史学の視角からの西南国境戦争(カンボジア戦争)に関する最初のシンポジウム
2018年04月05日付 VietnamPlus 紙
友邦カンボジアの地で犠牲となったベトナムの義勇軍と専門家の烈士と西南国境戦争で犠牲となった烈士の遺骨の埋葬
友邦カンボジアの地で犠牲となったベトナムの義勇軍と専門家の烈士と西南国境戦争で犠牲となった烈士の遺骨の埋葬

 4月5日、ホーチミン市で、ベトナム歴史科学協会、人文社会科学大学(ホーチミン市国家大学)が、ホーチミン市歴史科学協会と共に学術シンポジウム「西南国境での祖国防衛戦争についての諸問題」を開催し、全国の第一人者の専門家や科学者が参加した。
 開会挨拶において、中央理論評議会委員でホーチミン市歴史科学協会主席のヴォー・ヴァン・セン教授・博士は、「西南国境での祖国防衛戦争についての諸問題」は歴史学の視角からこの問題を論じる初めてのシンポジウムであり、これが後に続く多くのシンポジウムの先駆けとなることを願っていると述べた。
 ヴォー・ヴァン・セン教授・博士によると、西南国境での祖国防衛戦争は、ベトナムの行動が正当な自衛の要求から発していることを確認するものだという。
 国境地帯において民族皆殺し体制の挑発行為を前にして、ベトナムは非常に抑制し、各民族間で平和的・友好的に協力する善意の精神を明らかに示していた。
 また、ベトナム義勇軍が友邦国カンボジアに行き国際的任務を果たしたことは、民族皆殺し体制の再起を阻止するために不可欠であった。このことは後に、カンボジアの指導者たちによって肯定されている。
 シンポジウムに寄せられた50本余りの報告や、各専門家・科学者が述べた意見は、いずれも西南国境での祖国防衛戦争(1977-1979年段階)の必要性・必然性を明確にした。また西南国境での祖国防衛戦争(1979年1月7日以前)と、カンボジアにおけるベトナムの国際的任務(1979-1989年)が互いに異なる問題であり、それぞれの問題は違う歴史的背景や原因、経過を持つものの、相互に論理的関係があるとはっきり示した。
 シンポジウムはまた、西南国境での祖国防衛戦争は、北部国境での祖国防衛戦争[中越戦争のこと]と直接的な関係があり、ベトナムの国際関係を大きく変えると同時に、戦後の国家情勢へ影響を与えたとこぞって明示した。
 ベトナム軍事史研究所・元副所長のチャン・ゴック・ロン大佐・准教授・博士によれば、2つの国境における祖国防衛戦争は、ベトナム民族の国を守る歴史に深く刻印している。西南国境戦争を確認するには、過程全体を見る必要がある。この歴史的事件に名前をつける時は、「2つの国境における祖国防衛戦争」と呼ぶ必要があり、それが2つの分離した戦争であると見なすべきではない。
 多くの出席者が、西南国境での祖国防衛戦争は、ベトナム武装勢力の自衛的反攻のごとく素早く展開し、強力で決然としており、効果的だったと考えている。
 ハー・ミン・ホン准教授・博士(ホーチミン市国家大学人文社会科学大学)は、それは現代のベトナムの軍民による新型の祖国防衛戦争であり、多くの特異な点をもつと強調した。それは正義の戦争であり、多数の大きな民族的・国際的意義をもつ成功結果に達する事ができた戦争であった。民族皆殺し体制の戦争勢力や戦争機構を打ち破り、祖国の国境をしっかり防衛した。そして民族皆殺し体制を壊滅させ、友邦カンボジアが再び革命を起こすのを助けた。
 シンポジウムにおいて、出席者たちは祖国防衛戦争の背景、原因、経過について、ベトナムの軍事技術や外交、祖国建設防衛事業と関連する祖国防衛戦争の実践からの経験といった、多くの側面・問題を討論し分析した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:岩切南 )
( 記事ID:4244 )