ザライ省の森林山岳地帯にある「5つがない」村の生活
2018年05月24日付 VietnamPlus 紙
子供たちは大きくなっても学校に行けず、社会福祉サービスを享受することもできない
子供たちは大きくなっても学校に行けず、社会福祉サービスを享受することもできない

 アユンハの灌漑用溜池を建設するための立ち退き対象者となり、新しい場所へ連れて来られたが、ザライ省フーティエン県チュアタイ社の村で生活する住人は深い森にある元の場所へ戻った。そこでは電気がない、道がない、学校がない、保健所がないそして未来がない、という「5つがない」村が形成されている。
 ヘグ村(ザライ省フーティエン県チュアタイ社)には現在20軒の家があり、70人以上のバナール族が深い森で暮らしている。この村へ行くには2つの方法がある。アユンハ灌漑用溜池を船で行くか、10キロ近い道のりを歩いて森を横切る方法である。村は、チェンレン山、ロパ山、ンニェン山の3つの山の間にあり、すり鉢のような形をしている。
 蒸し暑い日差しの中、子供たちはお互いに集まってマンゴーを食べていて、それを昼食と考えているようだった。彼らの中の誰も字を知らず、ベトナム語を話すことができない。この子供たちは出生証明書がなく、教育、ワクチン接種や他の多くの社会福祉サービスを受けることもできない。
 ヘグ村の皆から信頼されている村長のディンジャイ氏は、ヘグ村では大多数の人にとってここが『へその緒を切って胎盤を埋めた場所[生まれ故郷]』だと言った。2000年、ザライ省がアユンハ灌漑用溜池を建設する政策をとった時、浸水する危険が高かったため、省は山の上の村全体をふもとの再定住先のヘグ村に移転させた。しかしアユンハ灌漑用溜池が完成した後、村長は何人かとともに元の村へ戻ってみたところ、村がまったく浸水していないことがわかり、さらに新しい移転先では生産用地が足りなかったので、元の村へ戻ることを決め、自らそこの名前をヘグ村と名づけた。
 かなり孤立した場所にあって移動が障害となるため、村の中で怪我人や病人が出る度に医療施設に行くのに多くの困難に直面する。
 「ここでは病気を治したいとき、チューセー県ティーラム村まで6キロの道を行くか、または再定住先のヘグ村へ8キロ戻るか、さらに遠くのマンヤン県ダクチョイ社まで15キロ行くしかない。このように遠いから、村では病院に行きつくことができずに途中で死んでしまった事例もある」と村長のディンジャイ氏は心の内を打ち明けた。
 ヘグ村からそう遠くないチェンレン山の頂上にはプレイチェンレン村の家が20軒ほどあり、一番長く住まわれている家は約20年である。日中、大人は畑を耕しに行き、村の中には一緒に遊び合っている子どもたちしかいない。ヘグ村と同様に、プレイチェンレン村の子どもたちは、15歳の子どもでも文字が全くわからないのである。
 この人たちが古い村を離れ、チェンレン山に登って暮らす主な理由は、生産するための土地が不足しているからである。それでも、山の上での生活は、生活環境が整わず、社会福祉サービスがないため彼らはとてもたくさんの困難に直面している。身分証明書がなかったり、あったとしても古びて破れていたりする。これもこの場所に生活している住民の共通した現状である。
 プレイチェンレン村のラマ・トゥルイさんは、前の村は耕す土地がないため、人々はここに居るほうが好きだと明かした。
 「ここでの暮らしはとても苦しいもので、なんでも不足していますが、水不足が一番苦しいです。農業にも水がなく、飲み水も不足し、風呂や洗濯にも不足しています」とラマ・トゥルイさんは話した。
 初期調査では、プレイチェンレン村では40人以上の9世帯が、フーティエン県チュアタイ社チョー村出身であり、2004年から山頂に登り定住したことがわかった。他の世帯は周りの村、主にチューセー県から定住したり、もしくは野を耕してから家を建てたりして、ここで生活する人々である。チューセー県とフーティエン県の県境にある山岳地に隔絶して暮らしているため、人々の生活はたくさんの困難に見舞われる。電気がなく、道路もなく、学校もなく、保健所もなく、身分証明書や戸籍もないので、人々はどの制度や政策も受けることができないのだ。
 チュアタイ社の人民委員会委員長のフン・チュン・トアン氏は、「[マスメディアなどにより実態が]報道された後、チュアタイ社及びフーティエン県の関係当局が家の世帯数や人口を調べるために、直接山頂の村に来た。このことを通して上記の現状を解決する方策を打ち出す見通しだ」と述べた。
 さらにトアン氏によると、「再定住地域の各村に移転させた時に社は住民に生産活動用の土地も支給したため、生産活動のための土地が足りないということはない」とのことだ。
 「現在、ザライ省人民委員会は、フーティエン県とチュアタイ社に対し、住民が再定住村に戻るよう働きかける方針で、上記の状況をしっかりと検査し、処理するよう指示した。社は既に検査し、特別に土地を確保し、生産用地が不足する場合でも農業生産用に住民に支給できるようにしている。このようにしていても、社は、これは難しい任務だと位置づけている。なぜなら、少数民族同胞は習俗で、山岳地域に住むことに慣れているからだ。しかし、社の行政府は、住民が元の[再定住]地域に戻るように働きかける決意である。住民、特にこの2つの村の子供たちが社会の制度や政策を十分に教授できるようにするためである」とトアン氏は強調した。
 ザライ省は、ヘグ村とプレイチェンレン村に住んでいる人々が再定住先の村に戻るように働きかける政策をとっており、生産用の土地を支給している。これは、広くはザライ省そして特にフーティエン県やチュアタイ社にとっても「難しい算段」である。なぜなら、元来山岳地域で耕作し、生活することに慣れている人々に[標高の低い再定住地域に]戻ってきてもらうことは、難しいからである。
 ヘグ村の村長のディンジャイ氏は、「ここは私達の『へその緒を切って胎盤を埋めた場所[生まれ故郷]』だ。もしアユンハ灌漑用溜池で浸水しないのなら、たとえ生活が多くの困難に直面しても我々はこの土地に居続ける」と胸の内を語った。

[関連記事:ソンブオン第4水力発電所再定住地域の住民の生活を安定させる]
https://www.vietnamplus.vn/on-dinh-doi-song-nguoi-dan-vung-tai-dinh-cu-thuy-dien-song-bung-4/491998.vnp

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( 翻訳者:佐藤明子、武藤真優子 )
( 記事ID:4399 )