レーニンの『民族および植民地問題に関するテーゼ原案』はベトナム革命の道を照らしだした
2020年04月21日付 VietnamPlus 紙
1918年11月7日、ロシア革命1周年式典において赤の広場でのマルクス、エンゲルス彫像完成式で演説するレーニン
1918年11月7日、ロシア革命1周年式典において赤の広場でのマルクス、エンゲルス彫像完成式で演説するレーニン

 2020年4月末日、全世界は共にウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870年4月22日―2020年4月22日)生誕日を記念するためにロシアの方に振り向いた。レーニンは偉大な思想家、傑出した政治理論家であり、全世界の労働者階級と勤労人民の優れた指導者であり、資本主義が自由競争の段階から帝国主義の段階に転換し現実的な社会主義を建設する条件のなかで、マルクス主義を防衛し発展させた人であり、世界最初の社会主義国であるソ連の国家を創設した人である。
 ベトナム革命にとって、レーニンの思想は、民族解放闘争と社会主義建設において、わが人民に、新たな地平を切り開き、道を照らしだし、道を示した。
 革命を指導する過程で、党は常にレーニンの思想をベトナムの具体的条件のなかで創造的に適用し、ベトナム八月革命を進めて成功し、フランス植民地主義とアメリカ帝国主義を打ち負かし、祖国を統一し、ベトナムの国土の建設と発展を日増しに強力に推し進めた。
 この機会に、党史研究所所長のグエン・ザイン・ティエン准教授・博士(ホーチミン国家政治学院)は、民族解放革命に関するレーニンの思想をベトナム革命の実践に創造的に適用したことを評価する2つの文章を書いた。
 ベトナム通信社は謹んで文章を紹介する。

1.ベトナム革命の道を照らしだしたレーニンによる「民族問題と植民地問題に関するテーゼ原案」

 コミンテルン第2回大会(1920年)、レーニンは「民族問題と植民地問題に関するテーゼ原案」を提出した。
 原案には12の論点が含まれていた。その中で、民族問題と植民地問題はコミンテルンとレーニンによって、「全世界規模での労農同盟の原則の拡大として」承認された。
 「テーゼ原案」の中で、レーニンは、遅れた民族や植民地を支配している資本主義国諸国において、プロレタリア階級は植民地民族の解放運動を最も積極的に支持しなければならないと明確に示した。
 宗主国と植民地の革命家は、帝国主義者との戦いで互いに団結しなければならない。宗主国と植民地両方の各共産党は、「すべての民族解放・植民地解放運動とソビエト・ロシアとの最も緊密な同盟を実現する政策を実施しなければならない」。
 さらに、ロシアのような成功した革命国は、世界革命の要塞の役割を果たし、ほかの国々が革命を起こすのを手助けする任務をもたなければならない。
 同時に、植民地革命は、外国支配のくびきから自国を解放する任務をもつだけでなく、国内の反動主義者に対しても闘争しなければならない。というのは、やつらは帝国主義の同盟者だからである。また、多くの農民勢力に注意し、労農同盟を築き、反帝闘争を発展させて反封建と並行させ、広範な民族・民主運動を形成しなければならない。
 レーニンは、「民族問題と植民地問題に関するコミンテルンの政策における最も重要なことは、すべての民族とすべての国家のプロレタリアートと労働大衆を親密にさせ、地主とブルジョワジーを打倒するための共通の革命を進めることである。その親密さだけが資本主義に対する勝利を保証するからであり、その勝利がなければ、民族の抑圧と不平等な状況をなくすことはできないからである」とした。

 「テーゼ」は、プロレタリア革命以外に国家を救い、民族を解放する方法はないということをグエン・アイ・クォック[訳注:後のホー・チ・ミン]に明確に認識させた。この道は十月革命が明かにした道であった。
 これより、グエン・アイ・クォックはV・I・レーニンとコミンテルンをすっかり信用するようになった。「テーゼ」がグエン・アイ・クォックに革命理論を焚きつけたと言えるかもしれない。
 ベトナムの歴史の現実的な情勢に基づき、グエン・アイ・クォックは、プロレタリア革命と(社会)主義と結合した民族独立がベトナム民族の発展の道であると認識していた。なぜなら、この道は帝国主義の奴隷的桎梏からベトナム民族を完全に解放するだけでなく、全ての抑圧・搾取からベトナム人民を解放し、本当の豊かさ・自由・幸福を民族にもたらすからである。
 この選択はベトナム民族の発展の要請に応えるとともに、1917年のロシア十月革命から開かれた新しい時代と人類の必然的発展の趨勢とも合致していた。
 これより、民族独立と社会主義を結合する思想は、ベトナム革命の戦略的路線となった。これは、グエン・アイ・クオックによってベトナムの具体的条件に創造的に適用されたマルクスとレーニンのとどまることのない革命理論である。

 1930年のベトナム共産党の誕生は、マルクス・レーニン主義・労働者運動とベトナム愛国運動との結合の結果である。
 党は、ベトナム革命の必然的道が人民民主主義革命と社会主義革命を進めることであると確定した。ホー・チ・ミン主席は次のように断言した。「我々、ベトナムの革命家や人民にとってレーニン主義は奇跡の『虎の巻』や羅針盤であるだけでなく、私たちが究極の勝利、社会主義や共産主義へと到達する道を照らしだした太陽であった」。
 創設時より現在まで、党はマルクス・レーニン主義がベトナム革命の行動の思想的基盤、指針であると一貫している。ホー・チ・ミン主席は断言した。「現在学説は多く、主義は多いが、最も真正であり、確実で革命的な主義はレーニン主義である」。そのため、彼はベトナム革命の実践に合致したマルクス・レーニン主義を間断なく研究し、創造的に適用し、一歩ずつ党とともに我が人民を指導し、民族独立・国土統一の獲得、祖国の建設と防衛の闘争における輝かしい勝利を獲得したのである。

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( 翻訳者:中村健志郎、八木澤研人 )
( 記事ID:5189 )