戦争の後遺症を克服する協力 ─越米関係の架橋
2020年07月10日付 VietnamPlus 紙
クアンビン省における地雷の調査・処理の活動方法を紹介するプロジェクト担当幹部
クアンビン省における地雷の調査・処理の活動方法を紹介するプロジェクト担当幹部

 ベトナム行方不明者捜索機関(VNOSMP)と米国国際開発庁(USAID)は、戦争中の行方不明兵士の遺骨を特定する能力向上協力と技術支援に関する覚書に署名した。

 関係の正常化と外交関係の正式な樹立から25年を経て、ベトナムと米国は現代の国際関係の理想的なモデルになっている。
 特に、両国は戦争の後遺症克服協力において長くて重要な道のりを共に歩んできた。この協力は、共通の価値観を生み出すのを助け、架け橋となり、両国間の良好な関係を深めるのに貢献してきた。

   協力関係の起源

 仁愛と寛容の道理の伝統の下、ベトナムにおける戦争終結に関するパリ協定が調印されて(1973年1月27日)からわずか2週間後、ベトナム政府は、ベトナムでの戦闘中行方不明(MIA)米兵の捜索問題の解決を指導するため、ベトナム行方不明捜索機関の設立を決定した。
 1988年まで、ベトナムは単独で捜索をおこない、MIAに関連している可能性のある302柱の遺骨を米国側に返還した。
 ベトナムの政府と人民は一貫してMIAを人道的問題であると考え、米国のMIA家族と喪失を共有し、いかなる政治的条件とも結びつけなかった。 MIAの協力は二国間協力の起源であり、これは両政府間の最初の接触の第一のテーマであった。1991年に設立された米国MIA事務所は、戦後、ハノイに置かれた最初の米国政府機関となった。
 30年以上に渡る協力により、これまでに双方は134次の共同作業を成功裏に行い、ベトナムでの戦争で行方不明になった兵士に関連する1000柱近くの遺骨を米国に送還した。それにより米国側は約730ケースの身元識別することができた。
 MIA協力の数十年の間に、双方の専門家は多くの困難を経験した。 中でも、2001年4月7日のMIAヘリコプター事故によるベトナムの当局者9人と米国の専門家7人の命が犠牲となったことに触れないわけにはいかない。それは、クアンビン省での合同作業を展開中の時に起こった。
 自分自身の苦しみを克服して、ベトナム人民はMIA作業のある地方人民の人道的な支援を通して米国のMIA家族と喪失を分かち合った。特に戦争中の多くの悲痛・喪失に堪えている家族や個人、家族のなかにまだ遺骨が戻ってきていない戦死者がいるMIA作業参加幹部や退役軍人、元青年突撃隊員がそうであった。
 ベトナムの善意と効果的で十分な協力は、米国政府と議会、米国MIA家族連盟、米国退役軍人組織および米国世論から感謝と高い評価を受け、和解のモデルとみなされた。
米国の歴代大統領は、議会への年次報告書とベトナムと米国の共同声明のなかで、MIA問題におけるベトナムの全面的な協力を肯定し、高く評価した。2006年9月13日、米国下院は初めて、MIA捜索に関してベトナムを含む各関係者に感謝する決議を可決した。
 2011年、米国国防長官副補佐官R.ニューベリーは、MIAに関するベトナムと米国の協力が、よき協力モデルとなり、米国と他国との協力の促進に貢献したと認めた。
 2017年11月10日、2017 APECサミットの際のベトナム公式訪問中のスピーチで、ドナルド・トランプ大統領は次のように宣告した。「ベトナムで行方不明の米国兵士の確認の努力は、私たち全員にとって非常に重要だ。…私はベトナム政府の支援に感謝する...」。

[関連記事:ベトナムと米国の25年:「死んだ土地」を復活させる人々]

 先ごろ、2020年7月8日、ハノイで、VNOSMPとUSAIDは、戦争中の行方不明軍人の遺骨を特定する能力向上協力と技術支援に関する覚書に署名した。
 この覚書によると、USAIDはVNOSMPと連携して、240万米ドルの予算をもつプロジェクトを経済的支援する。それは、DNA分析と抽出のための最善の近代的技術をベトナムに提供することによって、戦争中の行方不明のベトナム兵士の捜索と身元確認におけるベトナムの努力を支援するためである。
 ブイ・タイン・ソン外務次官によると、戦争で行方不明になった兵士の捜索協力は、過去数年におけるベトナムと米国の間の協力関係に積極的に貢献してきたし、また貢献しており、同時に両国が互いの善意をより理解するのを助けている。それによって他の重要な分野での協力を促進している。
 ブイ・タイン・ソン次官はまた、ベトナムがこの分野において米国と積極的・効果的に協力し続けるだろうとした。

   仇敵からパートナーへ

 戦争は、ベトナムの国土と人民に人間と環境の両方に関してきわめて大きな損害を与えた。 何百万人ものベトナム人が死亡または負傷した。20万人以上のベトナム人戦死者はいまだに遺骨が見つかっていない。何万人もの人々がまだ枯葉剤や地雷などの影響を受けており、深刻な問題に直面し続け、経済・環境・社会・健康・心理に長期的な影響を受けている。そのなかで 枯葉剤問題はきわめて深刻で、限界を超えて汚染しているホットスポットが数多くある。直接に被爆した人々の第二世代と第三世代も体調の異常が出ている。
 ベトナムの働きかけの努力により、また同時にMIAの協力におけるベトナムの政府と人民の善意に応え、二国間関係の発展に合わせて、米国は徐々に、広くは戦争の、狭くは枯葉剤の後遺症をベトナムが克服する支援により責任を負うようになった。この支援はかなり遅れて開始されたが、かなり迅速かつ実質的に増加してきた。
2007年、初めて米国議会は、ベトナムでの枯葉剤後遺症解決を支援する300万米ドルの予算を可決した。2011年から2018年まで、米国はベトナムを支援して、ダナン空港でのダイオキシン汚染環境の処理プロジェクトを実施し、9万立方メートルのダイオキシン汚染土壌と堆積物を完全に処理するのを助け、ダナン空港拡張のための32.4ヘクタールのきれいな土地を引き渡した。プロジェクトに対する米国の支援は、4100万米ドルから1億600万米ドルに増加した。
 ビエンホア空港でも同様のプロジェクトが何倍もの作業量をもって(50万立方メートルを処理する必要があり、ダナン空港で処理された量の約4倍)、開始された。
 2018年に、USAIDは最初の5年間のプロジェクトに対する1億8,000万米ドルの支援についてベトナム空軍と合意を結んだ。ベトナムとアメリカの見積もりによると、処理費用は3億9000万米ドル以上必要で、処理作業は10年で完了する予定だ。これは、ダイオキシンで汚染された環境の処理に関する世界最大のプロジェクトの1つである。
 ビエンホア空港でのダイオキシン汚染処理プロジェクトの鍬入れ式(2019年12月5日)で、米国の駐ベトナム臨時代理大使Caryn R. McClellandは、次のように表明した。私たちは周辺地区の危険を減らし安全を確保するために協力するだけでなく、ベトナムと米国のパートナー関係についての素晴らしい例を世界に再度示すことになるだろう、そのなかで仇敵の二国はパートナーとなることを選び、過去を乗り越え、友好と共栄の未来に向かって道を切り開くことになると。
有毒化学物質/ダイオキシンの後遺症克服とともに、双方は枯葉剤被害者である障がい者の支援協力に重要な一歩を踏み出した。2007年から2012年の期間、米国はUSAIDを通じて1100万米ドルをベトナムの障がい者支援プログラムに支出した。
 2012年から2015年の期間では、この数字は2倍以上の2,750万米ドルになった。2016年、米国側は、無償のODA2100万米ドルをもって、枯葉剤が散布された6つの省の障がい者を支援するプロジェクトをベトナムが実施するのを支援し続けた。
 2019年末までに、USAIDは、今後5年間で優先すべき8つの省で重度の障害を持つ人々に直接的な支援を提供する活動を実施するための6,500万米ドルの経済的援助に関する合意に署名した。
 USAIDの支援は、ベトナムの数十万人の障害を持つ人々の生活の改善に役立っている。 そのうちの3万人以上の障がい者が、補助器具やリハビリサービスを含む直接的支援、教育および職業訓練の支援、家の修理、自立生活能力の改善、法律相談および/または雇用創出支援を受けている。
 ベトナムと米国は、戦争の後遺症克服協力において長く重要な道のりを共に歩んできたと言える。この分野での双方の協力は、共通の価値観を生み出すのに役立ち、両国が外交関係を確立するための架け橋となり、現在にいたるも二国間関係の明るい希望となっている。
 ベトナムと米国の両方の成果は、両国の人民の間の共感・共有・理解・、友好を作り出す重要な貢献をし、他の分野における二国間の実質的で効果的な協力と善意の源であり続けており、アジア太平洋地域と世界の平和・安定・協力・発展の維持に積極的に貢献している。

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( 翻訳者:八城星 )
( 記事ID:5443 )