グエン・フー・ト同志[元南ベトナム解放民族戦線議長]とベトナム革命及び故郷ロンアン
2020年07月06日付 VietnamPlus 紙
シンポジウムの光景
シンポジウムの光景

 7月6日、ロンアン省において、ホーチミン国家政治学院、国会事務局、党中央宣教委員会及びロンアン省党委員会は、グエン・フー・ト議長の生誕110周年(1910年7月10日―2020年7月10日)に際して、国家級シンポジウム「グエン・フー・ト同志とベトナム革命及び故郷ロンアン」を合同で開催した。
 シンポジウムには、チュオン・ホア・ビン党政治局員・政府常任副首相や党・国家・国会の指導者・元指導者、党中央とロンアン省党委の各委員会・省庁・部門の代表、グエン・フー・ト同志の親族代表、全国の多数の研究者が出席した。
 シンポジウムは、党・国家の指導者同志、研究者、中央とロンアン省及び全国の幾つかの省・都市の各委員会・省庁・部門・団体の代表から50本余りの論考を受理した。
 シンポジウムの各論考は、次のような問題を集中的に浮き彫りにした。〇グエン・フー・ト同志―熱意ある愛国的知識人の鑑、〇ベトナム革命の忠誠で模範的な共産主義者、才能ある指導者、〇故郷ロンアンの優秀な子弟で、ホー・チ・ミン主席の革命事業を見事に継承した忠実な弟子、など。
 グエン・フー・ト同志(1910-1996)はチョロン省チュンクアン区ロンフンハ総ロンフー村(現在のロンアン省ベンルック県ベンルック町)で生まれた。
 中流の公職者の家庭の出身で、故郷ロンアンの屈強の革命闘争の伝統と愛国的情熱をもち、国に奉仕するための学業を望んで、グエン・フー・ト同志は11歳から故郷を離れ、フランスに留学した。
 フランスで優秀な成績で法学士を取得した(1932年)後、卓越した才能と知恵をもっていたので、彼はフランスの多くの大学や有名な弁護士事務所から招聘された。しかし見識をもって民や国を助けたいと望んでいたので、グエン・フー・トは祖国に帰り、弁護士活動をし、南圻全域で有名になった。

 グエン・フー・ト弁護士は、1940-1945年の自由・民主を求めて闘争した愛国運動に早くから参加した。1945年八月革命が成功すると、グエン・フー・ト弁護士はホー・チ・ミン主席が先頭に立つ革命政権を支持する愛国的知識人となった。
 全国抗戦の呼びかけに応じて、同弁護士はさまざまなかたちで抗戦に参加し、南部の各階層の公開闘争運動で積極的に活動した。1949年10月16日、グエン・フー・ト弁護士は、インドシナ共産党に入党する栄誉をえた。
 1954年、北部は平和になり、グエン・フー・ト同志は引き続き南部軍民の闘争に参加し、ジュネーブ協定の履行、南部解放、国土統一を要求した。
 1962年2月、南ベトナム解放民族戦線の第1回大会において、グエン・フー・ト同志は議長に選任され、南部の同胞・戦士の困難と犠牲にみちた戦闘を直接指導した。
 国土が統一された後、グエン・フー・ト同志は第6期・7期・8期の国会議員に選出され、国会から以下のような国家の枢要な職務に選任された。国家副主席(1976年7月)、ベトナム社会主義共和国主席代理(1980年4月)、国会議長と国家評議会副主席(1981年7月)、国家評議会副主席(1987年6月)。
 1988年11月、ベトナム祖国戦線第3回全国代表大会において、グエン・フー・ト同志はベトナム祖国戦線中央委員会主席団主席に選出された。
 革命事業への多大な功績・貢献を銘記するため、党と国家はグエン・フー・ト同志に金星勲章(1993年)やその他の名誉ある多数の勲章・メダルを授与している。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:メディア翻訳ベトナム語班 )
( 記事ID:5457 )