全国各地で再び一斉にデモ、軍評議会の犯行により6人が死亡
2021年05月03日付 その他 - ミャンマーナウ 紙
5月2日、上ミャンマーの一地域においてデモ行進をして軍事独裁に反対する人々。
5月2日、上ミャンマーの一地域においてデモ行進をして軍事独裁に反対する人々。

全国各地で平和的なデモを行った際、軍評議会部隊が射殺、強奪など多くの犯罪行為を行ったと目撃者達は述べた―。

グローバルミャンマー・春の革命デー(5月2日)(注1)に全国各地で一斉に平和的なデモが行われた際、軍評議会が暴力的な方法を引き続き使って殺害した地元民は少なくとも6人はいたことを、ミャンマーナウが確認した。

シャン州のティーボー市とナウンチョー市で1人ずつ、ザガイン管区ウェッレッ市で3人、カチン州のパーカン市で1人が死亡した。

軍評議会の暴力的な逮捕のためティーボーで死亡した人の名前を言うことはできないが、遺体は遺族の元へ送り返されたことを地元民が認めた。

ナウンチョー市で朝9時頃に制圧された人々のうち、亡くなった人は40歳のウー・ウィンナインであり、彼はデモには一切参加していないと家族らが述べた。

「恥骨に銃弾が当たってしまった。それで即死したようだ。現在は遺体安置所へ送ってある」と亡くなった彼の妻のマ・ニンヌェーが述べた。ウー・ウィンナインが亡くなり、7歳と4歳、1歳半である娘3人が残された。

男性3人が銃弾に当たり死亡したザガイン管区、ウェッレッ市のゼネストにおいても、人が集まり始めた時に、銃撃を受け一掃させられたのである。

「8時半くらいに発砲が始まった。ゼネストで意志を示そうと人が集まって、出発もしないうちに、ゴム弾が何発も、凄い数。それに対し集団が解散しなかったところ実弾で射撃した。銃声音が7発、8発くらい聞こえた」と地元民の1人が述べた。

22歳のフマッティ村の村人コー・ミンジンウーは後頭部に命中した銃弾の怪我によって亡くなったのであり、額と手にも殴打されたと考えられる多数の傷が認められたことを彼の叔父にあたる人が述べた。

「銃撃を受けたときすでに死亡したと思う。私達が病院に(昼の1時半頃)到着したところ、遺体はかなり硬直していた」と彼は述べた。

ウェッレッ市で死亡したもう1人は腹部に銃弾を受けたアウンチャウンダー村の23歳、コー・ティーハーアウンであり、治療を受けるために運ばれたマンダレーのある診療所で死亡したことが、マンダレーで活動する社会救助チームからの情報で分かった。

他にもう1人、42歳であったウー・ゾーウーは背中から胸にかけて銃弾が貫通し、彼を病院に運ぶ準備をしている時に死亡してしまったのだと地元民が述べた。

銃と手榴弾を使って一掃させられたカチン州パーカン市の一連の経緯で、33歳のコー・ウェーピョーという人が頭に受けた銃弾の怪我で死亡したことを一部の目撃者が述べた。

「彼等(軍隊と警察)は銃も使った。死んでしまった人に銃弾が当たった。デモ隊の集団の中へ地雷(手榴弾)を投げ入れていったのだ」と地元住民の1人が述べた。

午後、パーカン郡のモーワンとロンギン地区で軍事独裁に反対するデモ隊がモーワン地区元経済銀行前に到着したところ、軍評議会の武装集団が暴力的に制圧し、手榴弾1つをデモ隊の中に投げ入れたため、20人以上が負傷したとその人が述べた。

そのように多くの危険に直面しながらも中、ヤンゴン、マンダレー、パコック、ダウェイ、ザガイン、バゴー、ベイッ、モーラミャイン、ミッチーナー、メイッティーラ、タウンジー、パテイン、ロイコーのような都市の他にバガン、ウェッレッ、インマビン、ピュー、グワ、カレー、イェー、チャウンソン、チャウッメー、タイェッチャウン、ナンマティを始めとする郡区で行っているデモをも、軍評議会は制圧し、負傷した人、逮捕された人のはっきりとした人数はいまだ分かっていない。

3月27日のファシスト革命の日(国軍記念日)の軍評議会による民衆運動への徹底的な暴力的弾圧のため、ゲリラ方式のデモをしている期間が1ヶ月以上経ち、本日多くの国民が力を一つにし、クーデターに抗議して全国各地でデモを行った。

前もって発表しておいた世界の一部の都市でも、デモが行われ、グローバルなミャンマーの「春の革命」の日の民衆運動を、国内では阻止することができるよう、軍評議会の部隊が3月2日の早朝から神経をとがらせ準備していたのである。

エーヤワディ管区、ボガレー郡のミンガコン村の場合、本日(5月2日)朝5時頃から軍評議会の軍隊が到着して、クーデターに反対するデモを行っていた人々の中から年齢50歳ほどのドー・ミーナイン、40歳ほどのウー・タンソーの2人を暴力的に逮捕していったことを一部の地元民が述べた。

バゴー管区内で軍独裁制度に反対するゲリラ的デモを、バゴー、ニャウレービン、タウングー、ジーゴン、ダイウー、レッパダンを始めとする郡で本日確認できた。

その活動の中でニャーレービン郡の若い地元民1人が逮捕された。

カイン州パーアン郡、エインドゥー村においては、民衆のデモを一掃した後、地元民達のオートバイ約50台を持ち去ってしまうほど、軍評議会の部隊が見境なく振る舞ったと一部の地元民が認めた。

暴力的な殺害を直ちに止めるよう、アセアンの指導者たちが促して1週間以上たっても、軍評議会はこのような所業を行っているのである。

警察と兵士らが民間人を装って、車で衝突してくることが常時起きており、全国でデモをする本日、自動車を運転するのは危険であり、車の運転をする場合は、両側の窓を開けて運転する(注2)ことで、デモをする人たちに協力するようオンラインであらかじめ呼びかけていたことが分かった。

本日の制圧に関して、軍評議会の情報局に問い合わせをしようとしたがまだ連絡はついていない。

軍評議会が法的措置をとると脅迫されている政治囚支援協会(AAPP)のリストによれば、クーデターが起こった2月1日から5月1日まで、暴力的な殺害で少なくとも759人の国民が死亡したのである。さらに合わせて4600人が拘束されていることが分った。

ミャンマーナウ 2021/5/2

(注1)グローバル・ミャンマー春の革命デー(GLOBAL MYANMAR SPRING REVOLUTION DAY)として、世界18カ国41ヶ所でも一斉にデモが行われた。
(注2)一般の乗用車について、軍側の車か市民側の車か判別することができる一つの手立てとして、市民側は車の窓を開けて運転しようと呼びかけたもの。

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( 翻訳者:KI )
( 記事ID:5884 )