フーイエン省、海のホーチミン・ルート開設60年を記念
2021年10月23日付 VietnamPlus 紙
フーイエン省の指導者と各団体・人民の代表は花輪を投げ、抗米救国戦争中に無番号船とヴンゾー港を守るために犠牲となった戦士たちを追悼した。
フーイエン省の指導者と各団体・人民の代表は花輪を投げ、抗米救国戦争中に無番号船とヴンゾー港を守るために犠牲となった戦士たちを追悼した。

フーイエン省、海のホーチミン・ルート開設60年を記念


1964年11月16日、第125団に属する第41号船は60トンを超える武器と医薬品を積んでハイフォン港を出発し、海のホーチミン・ルートに沿ってフーイエン省、カインホア省、中部高原の戦地を支援した。



10月23日、ドンホア市ホアスアンナム社(=村)のヴンゾー国家歴史遺跡において、フーイエン省の党委員会、人民評議会、人民委員会、ベトナム祖国戦線委員会が、海のホーチミン・ルート開設60年(1961年10月23日~2021年10月23日)の記念式典を厳かに開催した。

フーイエン省のチャン・ヒウ・テー党委員会副書記兼人民委員会主席は、英雄的歴史の道のりを振り返る文書を読み上げると同時に、無番号船団の幹部と戦士、海のホーチミン・ルートの港での指揮・任務にあたった部隊に感謝の意を示した。

1964年末、総司令部は海軍司令部に、第5区に属する港に繋がる海上輸送ルート拡大の調査を命じた。

中央政府は南部地区とフーイエン省党委員会に、海上ルートを通じて第5区を支援する北部からの武器を受け取るための港と桟橋を選定する任務を課した。

第3期省連合党委員会の常務委員会と南部地区はスオイファン(現在はタイホア県ホアミータイ社に属する)で共同会議を開き、方法について話し合い、船を迎え入れる港と海岸を選定し、3方向全てを山に囲まれ、潮汐に関わらず深い水深があり、100トンの船が容易に出入りでき、積み荷の受け取り地点となる、チン浜、ロウ浜、チュア浜のような小さな浜が多く存在する場所であったヴンゾーを、積み荷の受け取り地点にすることで一致した。

1964年11月16日、第125団に属する第41号船は60トンを超える武器と医薬品を積んでハイフォン港を出発し、海のホーチミン・ルートに沿ってフーイエン省、カインホア省、中部高原の戦地を支援した。

1964年11月28日の午前1時頃、無番号船が初めて、無事にヴンゾー港に停泊した。指令委員会と、1000人を超える幹部、党員、部隊、ゲリラ、青年突撃隊が、急いで積み荷を降ろした。

バンタック川では武器や医薬品を積んだ偽装漁船がホアミー、ホアティンへと遡り、そして労働者たちが、ゾックモーの森を越えてカインホアに入り、中部高原の戦地へとその物資を運び上げた。

1964年11月から1965年1月までの期間に、第41号船は港への3度の停泊に成功し、第5区と中部高原の武装部隊に200トン近くの武器を支援した。

敵軍の厳しい追跡のある区域で、ヴンゾー港の幹部、戦士、民兵はなおも屈せず、敵の銃撃の中を突っ切って、適時に武器を戦地へと運び、供給した。

フーイエン省のチャン・ヒウ・テー人民委員会主席は、海のホーチミン・ルートは、不滅の叙事詩であり、侵略への抵抗と国家解放の戦争における戦略的軍事輸送システムの重要な一部分であり、我々民族の戦う決意、勝利する決意、勇敢な心、英雄の気概を体現する道であることを強調した。

フーイエン省の党、軍、市民は、海のホーチミン・ルートの伝統を誇りに思い、常に大切に守り、発揮する。戦闘における革命的英雄主義を祖国建設防衛事業における英雄主義へと変え、あらゆる困難と試練に立ち向かいそれらを乗り越え、第17回省党大会決議で打ち出された目標と任務に完全に打ち勝つよう奮闘し、第18回全国党大会決議の勝利実現に貢献する意志へと変えることを決意する。これまでの世代の多大なる労苦と崇高な犠牲に見合うような、急速且つ持続可能な発展を遂げるフーイエン省を築き、民族と祖国の輝かしく英雄的な黄金の歴史のページを書き続ける。

記念式典の後、フーイエン省の指導者と各団体・人民の代表者、第41号船の船長であり「人民武装勢力英雄」であるホー・ダック・タイン中佐は追悼式を執り行い、花輪を投げて、無番号船とヴンゾー港を守るために犠牲となった幹部と戦士を追悼した。

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( 翻訳者:鎌野天衣 )
( 記事ID:6165 )