困難の中、手を尽くして奮闘しているCDM
2023年07月31日付 その他 - カンタラワディータイムズ 紙


日々家事に追われるドー・ナン(仮名)は、一日がどのようにして終わったのか、どうして夜になったのかといったことさえ知らない。彼女は外の世界とは無縁である。

これらは、ドー・ナンが望んでいた生き方ではない。

クーデターが勃発する以前、ドー・ナンは家族にとって良き母、良き妻であった。それだけでなく、彼女が専門とする教育で政府の中級レベルの役職についており、自ら収入を得ていた。

クーデターが起きたために、現在ドー・ナン一家は今まで暮らしてきた職員住宅を出て、夫の親(義父母)の家に行き、暮らさなければならなくなったのだ。

ドー・ナンと彼女の夫は、政府機関でともに仕事をし、2人の子どもと一緒に楽しく暮らしてきた。裕福でないにしても食べ物や住居に関して心配することのなかった暮らしから、現在のように親の家で再び暮らさねばならなくなるとは実際思いもしなかった。

しかし、ドー・ナン夫妻は「息もぴったり」というように2人とも勇敢に非暴力・不服従のCDM運動に参加してきた。ドー・ナンも居候にならないよう責任を持って家事を行い、夫は家族が収入を得るため手あたり次第に仕事をしている。

「私は悲しいなんてまったく思わない。だってご機嫌を伺って出勤するようなことはしたくないから。このように行動することを誇りに思う。これはやらなければならないこと、皆でやらなければ。自分だけやっているのではない。何にもならないとしても、それは自分の運命、少しも悲しくなどない。納得している。苦労があってもなんともない。後悔もない。喜びすらある。今は何も心配事はない。毎日家にいる。おかずがろくになくても、何も心配はない。時代がよいなら別だけど。夫が働く、それが何?できる限りのことをするだけ」とドー・ナンは、彼女の夫が肉体労働をしていることに対しても、誇らしく語ったが、その話声には悲哀が漂っていた。

彼女が家族にとっての目標としていたものは、軍評議会によるクーデターのせいで全て打ち砕かれたとドー・ナンは述べた。

毎日戦闘が激しいカレンニー州で物価が上昇したこと、仕事が少ないこと、特にCDMに参加している人々の場合、軍評議会が雇用を禁じているため、仕事の機会が減少してきている。そのせいでドー・ナンのようなCDMを行っている者は衣食住のために奮闘することが一層困難になっている。

ドー・ナン同様、ヤンゴン工科大学電気工学科講師の地位を捨てCDMに参加した人はモーモーミャ―(仮名)である。彼女も教育分野で研究に励んできた人であるだけに、CDMに参加したが、そのせいで得ていた教育奨学金を失った。

「私がこのヤンゴン工科大学にきた時から目標にし努力していたのは、奨学金で外国に留学するためだった。向こうからも声がかかっていた。そんなときにこうした問題が起こった、その時から自分の目標もなくなってしまった」とモーモーミャーは悲しそうに語った。

現在モーモーミャーはカレンニー州解放区のある場所に到着し、オンライン教育で指導を続けている。解放区に着く前からも彼女はカレンニー州の自主独立の学校で高校教育課程を受けている避難民の子どもたちに教えていたと言った。

教育に熱意を持っていたモーモーミャーは若者たちに、目指してしていたゴールに到達するために引き続き努力をすること、軍評議会に対し自分のできる範囲で反対することを奨励した。

「自分ですら、この年齢になっても、自分の目標がなくなった。若者ならなおさら、自分よりもっとひどい目に遭っているし、そう聞いている。自分自身も彼らを励ましてきたことがあった。頑張って耐えようと。それで、年齢に拘らず、自分が本当に目指す目標に向かって歩いていくこと、改めて頑張ることの大切さを伝えたい」とモーモーミャ―は語った。

現在、軍が権力を奪取してから3年目に入っている。CDMに参加した人々にも家族の衣食住を養うことができない困難と向き合っている人々がいるし、今なお身の安全を確保すること等の困難に直面している人々も多くいる。

クーデター後、不服従運動CDMに加わったカレンニー州政府機関の役人の一人も、軍評議会に逮捕されたせいで、家族とともに第三国への亡命が許された。

上記のCDMに参加した役人は現在アメリカ合衆国に到着しており、他の国に意図せず、事前の準備なしに突然到着したせいで、以前の生活より多くの困難に遭遇していると述べた。

「ここに到着して、以前の生活よりも困難が多くある。例としては、慣れ親しんだ仕事、そして自分の場所、親、兄弟、親族、コミュニティの友人たちが全員いない場所に行って、そこで暮らし、生活のために稼がなければならないため、頼りにするものが必要になったとき、多くの困難がある」と彼は語った。

これらのほか、現在至っている場所に適応するため、その国の文化、法律、生活様式から、食文化に至るまで、彼自身が生活していた地域と似ていないものを、一から学びなおさなければならず、多くの問題があった、と彼は言った。

カレンニー州内の政府機関に関する様々なセクターにおいて、非暴力・不服従のCDMに参加する公務員は8000人近くに上ることがカレンニー州諮問評議会(KSCC)のCDM委員会のリストにより明らかになっている。

カレンニー州諮問評議会としてCDMに参加してきた誰も歓迎すると言い、適任の部署に再雇用する措置もある、とカレンニー州諮問評議会の議長であるウー・アウンサンミンが述べた。

「何であってもCDMの勢いを維持するため引き続き行っているのだ。先ほど述べたように、革命時は平時ではない。ありとあらゆる困難に直面する。人々の生活、安全面、その他問題全てを我々が、一方で敵と戦いながら、もう一方でこのような困難を解決しなければならない。全てもれなく我々が実行することはどうしても出来ない。しかし、できるだけ我々が実行しているこということはいえる」とウー・アウンサンミンが語った。

CDMに参加してきた人たちは、自ら専門に学んだ教育、関心事に背を向け軍の独裁者を失脚させるため現在まであらゆる困難に直面しつつ奮闘している。ドー・ナンは彼女の家族のために全力で奮闘し、革命が成功してこそ家族のための目標を再び取り戻せるようになると次のように述べた。

「我々家族にとってはこれ(革命)に勝利すること、それしか家族が順調にいく方法はない。我々が勝利しないうちは、家族にも目標はない。何にもなりたくないのだ」。

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( 翻訳者:M.I )
( 記事ID:6738 )