「マウンドー市の国境警察第五分隊のアラカン軍による制圧は、極めて大きな政治的、軍事的勝利だ」軍事・政治評論家ら語る
2024年12月21日付 その他 紙
ルーテッナイン(ドワーヤーミー)、ニーヤーオウンサヤー、2024年12月10日
マウンドー市の最後に残った基地である国境警備第五分隊をアラカン軍(AA)が制圧したことは、政治的、軍事的に極めて大きな勝利であるとミャンマー軍事・政治評論家らが述べた。
軍評議会は陸軍、海軍、空軍を投入し、最新兵器を用いて国境警備警察第五分隊の陥落を懸命に防ごうとしたが、アラカン軍は国境警備警察第五分隊を2024年12月8日午前9時30分に、完全に粉砕し制圧することに成功した。
マウンドー市はバングラデシュと国境を接しており、国際社会から特別に注目されている町であることに加え、ベンガル湾に続くナッ川河口に位置するため、軍事および地理的に極めて重要な街でもある。
このように距離にして271キロ(168マイル)にわたるマウンド―市を含むバングラデシュ‐ミャンマー国境線のみならず、インド国境までアラカン軍が掌握できたことは、政治的、軍事的に大変誇るべき勝利であると考えると話した。
政治、軍事アナリストのタンソーナイン氏は「軍事的には大きな勝利である。ここはヤカイン経済の要衝である。それが成し遂げられたため、軍評議会は完全に苦境に陥ってしまった。この地域を掌握するためにアラカン軍は数ヶ月間攻撃を行った。したがって、軍事的に大きな勝利だと言うことができる。」と述べた。
国境の町マウンドー市を掌握できたということは、政治的、軍事的のみならず国際的、経済的な道がひらけたということになる。バングラデシュとしても確実にアラカン軍に接触してくるだろうし、国境貿易の治安についても話し合うことになるだろうとも述べた。
「ヤカインの軍評議会の国境警備警察第五分隊をアラカン軍が掌握したということは、ヤカインからの軍評議会の排除というアラカン軍の目標の中の一段階が達成されたことになる。それによりマウンドーはヤカインとバングラデシュ間の国境貿易の拠点であるため、これについて域内協議を続けていくものと考えている。地域内での対話を行わなければならないだろう。」
アラカン軍によるマウンドー市の制圧は政治、軍事、経済等、さまざまな領域における勝利であったのに対し軍評議会側にとっては最大の敗北だったとCDMに参加するズィン・ヨー大尉は述べた。
「軍事のみに限って言えば、アラカン軍の勝利は100%の勝利だ。軍評議会の軍は国境警備警察第五分隊防衛していた。本来は勢力の強い場所だ。地形に関しても軍に有利だ。空軍からの支援もあった。そして陸軍からの支援もあった。地上については、支援はなくなった。はっきり言うと、すでに軍評議会は戦争に敗れているのだ」と同氏は話した。
軍評議会が国境警備警察第五分隊を手放すことになったため、軍事面のみならず政治面の威信も損ない、軍事費も数千万費やさなければならなかったと同氏は話した。
「私たちは、そのように計算している。軍事、政治の威信も損なったほか、戦闘にかかる軍事費も膨大な出費となった。航空機で空路で送られた米一袋や銃弾よりも、航空機の燃料油代の方が高い。相当な回数輸送しなければならなかったため、膨大な出費をともなう戦争となった。食事さえも航空機で輸送しなければならなかったため、航空機の燃料油代の出費が非常にかさんだ。だから軍評議会は軍事費を計算し直したのだ。どれほどまで膨大だったかが分かっただろう」
アラカン軍は、国境警備警察第五分隊基地攻略戦の最中に逃亡した第15作戦指揮官トゥーレイントゥン准将に加え、将校ら多数の身柄を確保し、大量の武器も押収したことが分かった。
国境警備警察第五分隊との戦闘の際に軍評議会側の兵士に少なくとも460人が死亡し、拘束者も数百人にのぼったという。
アラカン軍は、国境警備警察第五分隊の基地を約2ヶ月前より包囲し、2024年10月14日に戦闘が開始した。
アラカン軍はマウンドー郡で攻撃を2023年11月16日に開始し、マウンドー郡北部のドウンニョー国境警備警察基地を11月17日に初めて制圧した。
その後マウンドー郡の全ての基地を占領し、国境警備警察第五部隊を55日にもわたる包囲攻撃の末、2024年12月8日に完全に攻略した。
アラカン軍は現在マウンドー郡を含むチャウットー、ミャウッウー、パウットー、ミンビャー、ミェーボン、ポンナージュン、ヤテダウン、ヤンビェー、ブーディーダウン、タンドゥエ、パレッワなどの町をアラカン軍が制圧し掌握している。
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( 翻訳者:N.T、T.O、W.S、H.T )
( 記事ID:7091 )