ヒンドゥー教の祭礼で10人圧死

2015年04月02日付 Prothom Alo 紙
事故が起きたのは昨日金曜日(3月28日)午前8時半頃だった。何千人もの参拝者が集まって来ていた。沐浴を済ませて帰宅しようとしていた人もいたし、これから沐浴場に向かう人もいた。一番大きな木浴場に隣接したランゴロボンゴ市場を通る3本の道が交わる交差点は、足の踏み場もないほど混み合っていた。そんなとき、交差点の横のベイリー橋(プレハブ式の橋)のほうから突然「橋が落ちるぞ!」という叫び声があがった。それを聞いた人びとが一斉に逃げ惑い、大混乱がとなった。人混みに押されて次々と人が転倒し、転んだところを何百人もの人に踏みつけられた。騒ぎが収まってきたとき、何人もの男女が路上に倒れているのが見つかった。痛みにうめき声をあげている人もいたし、すでに苦痛を感じることもなくなってしまった人もいた。
およそ30分にわたって続いたこの騒動の現場から、10人の遺体が収容された。負傷者は約20人にのぼった。死亡者のうち7人が女性で3名は男性だった。遺体はいったん事故のあった市場のわきに置かれ、当局の手で遺族に引き渡された。遺体の確認作業のとき、遺族たちは泣き崩れた。千人以上の人びとが、慰めの言葉も見つけられず、その様子を声もなくただ見守っていた。
毎年チョイトロ月の新月から数えて8日目、ダカに隣接するナラヨンゴンジョ県のランゴルバンドを流れるブロンモプトロ河ではヒンドゥー教の祭礼が催され、信者たちが一斉に河で沐浴する光景が見られる。沐浴場は16ヶ所にあり、なかでもラージガートと呼ばれる沐浴場で河に入って身を清めたいと願う信者が多く、一番込み合う場所となっている。事故が起きたとき現場で責任者として警備にあたっていたモハンモド・ロフィクル・イスラム警部はプロトム・アロ紙の取材に対し、「橋の上から橋がこわれる、という叫び声があがった。当時橋の上には何百人も人がいたが、その声であたり全体で押し合いへしあいが始まった。狭い場所で押され、圧力に耐えきれない人もいた。犠牲者の多くは年配者だ。しかし本当は、橋は壊れてなどいなかった」と語った。現場の近くに商店を構えているシャハブッディンさん、オモル・ファルクさん、アリ・ヌールさんは当時店にいて、事故を目撃することになった。3人の証言も警察の説明と一致している。あの怖ろしげな叫び声が耳について離れない、と3人は言う。アリ・ヌールさんは、転んだ人を何百人もの人間が踏みつけていく光景を目の前で見た。
マニクゴンジョから参拝にやって来た女性、チャヤ・ラニさんは「すんでの所で助かった。人がぶつかってきて倒れたところを、何人もの人に、次々に足を踏まれた。足をどかしてよける力も残っていなかった。ひとりの商店主が私を引っ張って店のなかに入れてくれた」と語った。その後親族親2人がやって来て、店にいたラニさんを抱きかかえて現場から救出した。ラニさんは右足の肉が砕ける重傷を負った。
記者が事故現場に到着したときにはたくさんの靴やサンダルが転がっていた。血のついたレンガもあった。医師たちによれば、犠牲者全員が足で踏みつけられて亡くなったわけではなく、人混みに押されて圧死したケースも多かったという。死亡者のなかには体のあちこちに骨折のあとが認められる人も見受けられた。
午後2時までにはすべての遺体が遺族に引き取られた。ナラヨンゴンジョ県当局は、犠牲者の家族に(弔慰金として)2万5千タカ(3万8千円)ずつ支払うことを明らかにした。
(死亡者の氏名略)
同祭礼実行委員会のバシュデブ・チョクロボルティ事務局長はプロトム・アロ紙に「吉祥の時が訪れたのは金曜日午前5時47分48秒だったが、参拝者たちは沐浴して罪汚れを落とそうとそれ以前から川岸にやって来ていた。今日土曜日午前6時59分38秒に吉祥時は終わるが、この祭礼は3日間にわたって続くことになっている」と語った。自営業者のマドブ・クンドさんは、4、5年前にひとりの信者が交通事故で亡くなったことはあるが、このような圧死事故が起きたのは記憶にないという。クンドさんはこの事故の原因は警察および県が人の流れをきちんと制御できなかったことだとしている。
事故を目撃した人たちによれば、ラージガート地区の道は狭くなっているために、両方向からやって来る参拝者でごったがえし、押し合いのような状態になるという。この地域に住んでいる人たちは、約10キロにわたって続く細い道を参拝者が行き来するのを手助けするために、十分な数のボランティアがいなかったと主張する。混み合った長く続く道で人の流れを制御すること自体が困難だ。そのうえここ数年、道の両側の無人になった土地を、各政党の有力者たちが不法に占拠し、そこに店舗を作って家賃収入を得ているために、道路の混雑は激しくなるばかりだ。しかしモクレスル・ロホマン・ナラヨンゴンジョ署署長補佐はマスコミに対し、警察による警備に手抜かりはなかったと語った。


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翻訳者:関谷レイミ
記事ID:396