旅先で突然バングラデシュ人と
2016年06月11日付 Prothom Alo 紙

「行こう、この電車だ。間違いないよ」とエリクは言った。本名はエリク・バー、ロサンゼルスのハリウッドからやってきた。エリクは、言わば旅先での友人だ。2日前イタリアとフランスの国境で鉄道の切符を買いに行って彼と知り合いになった。イタリアの モネーリアまでやって来て、同じホテルに泊まった。2人ともチンクエ・テッレを目指している。チンクエ・テッレはいくつかの村の総称で、とても美しいところだ。そこに行こうと出かけたのだった。だが電車の姿が見えない。モネーリアは観光が主体の小さな町だ。都市からは遠く離れているため、このあたりでは列車は時刻通りやってこない。近くを通る道も良くない。私たちが訪れたのは5月23日だったが、長い時間待った末にやっと電車が来た。私たちはやはり電車を待っていた大勢のお年寄りたちをかき分けるようにしてやっとのことで乗り込んだ。そして乗ったとたんに、大きなミスをしたことに気づいた。切符を買っていなかった!困ったことになった。イタリアのこんな辺鄙なところまでやってきて、無賃乗車の咎で罰金を払うことになったら名誉にかかわる。しかしエリクは全く気にしていなかった。「たった2駅乗るだけさ。心配することはない」そう言って線路沿いにひろがる風景を夢中になって写真に撮り始めた。私は落ち着かない気持ちで席に座ろうかどうしようか迷っていた。そのとき突然、耳に誰かの蜜のような甘美な声が響いた。「バイ、ケモナチェン?(やあ、元気ですか)?」ああ、ベンガル語の響きがこれほど美しいとは!急いで振り向いてみた。違った、私にかけられた言葉ではなかった。後ろの席で一人の男性が携帯で話をしていたのだった。行儀など忘れて私はぽかんとしてその人の方を見た。ローマ、ベニス、ミラノにはバングラデシュ人がたくさんいると聞いていた。しかしこの辺鄙なモネーリアにまで?ジェノバからでも50キロも離れたこの田舎で同じバングラデシュの人に会えるなんて思ってもいなかった。「いやいや、魚は私のためにとっておいてください。もう少し干し魚がほしいんですよ」。何ということはない、ごく普通の会話だ。しかしこのうえなく嬉しかった。なんて良い響きなのだろう。ほんの数日だが、周りから聞こえてくるのはフランス語や英語やイタリア語ばかりで、ベンガル語を話す人を自分がこれほど求めるようになるとは考えもしなかった。その人が話し終わって電話を置いた(その人の名前は覚えていない)のを見て、すぐに握手の手を差し出した。少し疲れたような顔に笑みが浮かんだ。その時、その人がひとりではないことに気づいた。すぐ隣にもうひとりバングラデシュ人がいたのだ。まだ年若いその人は、私に向かって手を差し伸ばしてきた。ムラドと名乗った。2人は仕事を終えて引き上げるところだという。ムラドはゴム長靴をはいていた。2人の仕事というのはそう楽なものではないのだろうなと思った。だから、何の仕事をしているのかと問うことはあえて控えた。「国には帰っていますか?」「もちろん。今年も行ってきました。チンクエ・テッレに行くんですか?とてもきれいなところですよ。ぜひ訪ねてみてください。私が休みだったらご一緒できたんですけどね」とムラドは言った。「ここからフランスはとても近いです。ピサの斜塔だって見られますよ」。そう言ったのは2人が私をその気にさせようとしたのか。「いや、いいですよ。また次の機会にします。今回はチンクエ・テッレを見られれば十分です」。私がそういうと2人は笑った。邪気の無い笑顔だった。
あっという間に私たちが下りる駅に着いた。乗り継ぎの列車がどのプラットフォームに来るのか分からない。ふたりの同胞は何度もくりかえし教えてくれようとした。「列車は左側のホームに来ますよ。しっかり覚えておいてください。大丈夫ですか?ほら、そっちの左側です。お話しできて嬉しかったです」。
乗り換えのために下りようとしていると、ムラドがあわただしくイタリアでの電話番号を教えてくれた。「何もしてあげられなくてごめんなさい。イタリア滞在中もし何か困ったことがあったらこちらに電話をください」下車しようとする私たちの背後からムラドはそう言った。私も急いでその電話番号を書き取った。
それから次の電車の切符を買いに行った。電車の窓越しにふたりのバングラデシュ人同胞がこちらをじっと見ているのが、遠くからでも分かった。同国人が間違った電車に乗ってしまって困ったことにならないようにという思いからだ。手を振って、大丈夫です、間違ったりしませんよと伝えた。
ムラドたちの電車は最後に一度車体を揺らして、フローレンスに向けて走り去って行った。私たちは切符売り場に行って切符を買った。「あのふたりは君の国の人なの?君の国の人がこんなところにもいるんだ?」とエリクが尋ねてきた。「もちろん、ぼくの国の人たちは世界中のどこにだっているんだよ」と答えた。それが本当かどうかは知らない。でもそう告げたとき、なにか誇らしげな気分になった。どうしてなのかは分からない。
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翻訳者:藤原奈津子
記事ID:583