サルダール・アターウッラー・メーンガル逝く

2021年09月04日付 The daily Jang 紙
名高い愛郷主義リーダー,バローチスターン国民党の創始者にして後援者,バローチスターン州の初代被選出州首相,サルダール・アターウッラー・メーンガル氏が,木曜日92歳でこの世を去った。(我々は神のものであり,神の御許に帰るもの)彼は過去1週間カラチのとある民間病院で病に伏せっていた。氏の訃報によりジャーラーワーンを含む多くの地域が服喪の空気に包まれており,サルダール・メーンガル氏の、バローチスターンの民や世界中の虐げられた人々の為の奮闘の経緯を知る人々は悲しみと落胆の底に沈んでいる。故サルダール・アターウッラー・メーンガル氏の葬儀は氏の故郷、フズダール県ワドゥで営まれた。全土から弔意が引きも切らず届く一方、バローチスターン国民党は40日間の服喪を発表した。サルダール・アターウッラー・メーンガル氏の息子、サルダール・アフタル・メーンガル氏も州首相を経験しており,政界における氏の役割は顕著なものである。フズダール県ワドゥ郡のサルダール・ラスール・バクシュ・メーンガルの家に1929年3月に生を享けたサルダール・アターウッラー・メーンガル氏が精力的な政治的役割を開始したのは,1954年に、25歳にして彼がメーンガル族の族長になった時であった。その後、アワーミー国民党(NAP)における目覚しい活動,抑圧された人々の運動である「PONM」の結成における根本的な役割,ワン・ユニット(訳注:かつての東パキスタンに対抗しての現在のパキスタンを西パキスタンとして1つの行政単位に統一しようとする政治的動き)終了後,1972年5月にバローチスターン州首相への就任,1973年憲法の制定における貢献等,氏の生涯は、国民福祉への数々の尽力に始まり、拘束や国外追放にまで広く及んでいる。健康状態の悪化が理由で,氏は何年もの間政治活動から身を引いていた。氏の支持者、政敵共々,氏個人自体が学ぶべきものに溢れたパキスタンとバローチスターンの政治史の1章であったことを強く感じている。


原文をPDFファイルで見る

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:藤井文美
記事ID:983