Türker Alkanコラム:イスラムとデモクラシー:バーナード・ルイスの論文に思う(Radikal紙)
2005年10月11日付 Radikal 紙

 先日、インターネットでバーナード・ルイスの論文を目にした。「トルコはなぜ唯一のムスリム民主国家なのか?」という論文だ。
 ご存知のとおり、ルイスはイスラムの歴史を最もよく知る人物の一人である。論文を興味深く読んだ。
 ルイスは、トルコの民主化をさまざまな要因から解明しようと試みている。第一にトルコがずっと独立を保ってきたこと、つまり全く植民地化されなかったことに注目している。仮に植民地化されていたら、西欧的なシステムを取り入れたり自分たちを批判したりすることはこれほど容易にはいかなかっただろうと述べている。なるほどそうかもしれない。しかしこの議論の弱点は(ルイスも自分で指摘しているが)、トルコのほかにも独立を守った国(イランやアフガニスタンなど)が存在しているということだ。独立を守ったことは肯定的側面ではあるが、それだけでは十分でないのは明らかだ。
 ルイスが挙げている第二の要因は、歴史に関するものである。トルコはあらゆるムスリム諸国のなかで最も長きに渡り、そして最も緊密に西欧世界と関係を形成してきた国である。トルコにおける議会制民主主義の125年もの歩みは、ムスリム諸国の中では最も長いものである。
 オスマン帝国およびトルコにおける民主化の試みのよい面は、民主化が緩やかに実行されたことである。「デモクラシーは非常に強力な薬である。いきなり大量に服用すれば患者を殺してしまうこともある」とも言われる。トルコは賢明にも、デモクラシーの全ての要素を一度に実行するのではなく、一歩一歩進めていくことを選んだのだ、とルイスは述べている。
 オスマン帝国時代や共和国時代に実現した経済発展も、(企業家の中産階級を生み出して)ルイスによればデモクラシーの定着に一役買ったということである。
 そして世俗化(興味深いことにルイスは「世俗主義」という言葉は「あまりに強い言葉で無神論を想起させる」といって使いたがらない)のおかげでトルコは、民主化において他のイスラム諸国が到達できないでいる段階にまで到達できたということである。
 論文の弱点は、オスマン帝国で市民社会が重要な位置を占めていた証拠を示そうとする箇所に表れている。ワクフを(限定つきでなら)市民社会組織と考えることはできなくはない。しかし、軍隊やイェニチェリを一つの市民社会組織と主張するのは、私には非常に無理のある論と思われた。また、「アーヤーン」や「アシュラーフ」のような名士たちは市民社会組織と言われることもないではないが、ルイスはその影響力を大きく見積もりすぎである。
 このテーマに関する正しいアプローチは、おそらく「民主化は」「近代化シンドローム」の一部である、という見方であろう。オスマン帝国時代にも共和国時代にも、近代化に向けて行われたことはすべて、直接的にであれ間接的にであれ、民主化の試みに一役買っている。もちろん近代化への企図は必ずしも民主化につながるとは限らない。むしろ時には正反対の全体主義や権威主義へ向かうこともある。しかし経済・社会・文化・行政において中世的状態にある社会を民主化することもまた不可能である。
 ルイスの論文が啓蒙的で議論する価値のある内容を含んでいることは間違いない。特にアメリカがイスラム世界に対し武力をもって民主化を強制している今日、より真剣に考えるべき事柄である。
 しかし、タイトルの疑問文は次のようにした方がより実りある議論につながるのではなかろうか。「ムスリム諸国でなぜトルコのほかに民主的な国がないと言われるのでしょう?」と。



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( 翻訳者:宇野 陽子 )
( 記事ID:1320 )