İsmet Berkan コラム:大学構内でのスカーフ着用は自由になるか?(Radikal紙)
2005年11月13日付 Radikal 紙

(訳者註:長年トルコで議論を呼んでいるスカーフ問題についてのコラム。詳細は12日「エルドアン首相、大学でのスカーフ着用をめぐる欧州人権裁判所の判決に不快感」記事を参照。)レイラ・シャーヒンがトルコ政府を訴えた裁判で、欧州人権裁判所が下した判決は、この問題に詳しい人々にとっては何の驚きにもならなかった。あのような判決が出ることは予想されていたのだ。なぜなら欧州人権裁判所が過去に下した判決も同様の方向性を持っていたからだ。つまり、何時スカーフについての訴えがあったとしても欧州人権裁判所は、トルコ政府には服装についての規定を作る権利がありスカーフ禁止法は信仰の自由の制限や教育を受ける権利の剥奪には当たらないと言い渡しただろう。先の判決も同じだ。

驚くべきなのはむしろ今回はこの判決がこれほど大きな議論を呼び、ほとんど国家規模の論争となったことだ。レイラ・シャーヒンへの判決は初めてのものでもなく特別変わったところもないというのに。

このような大論争が起きたのはイスラム主義の流れを汲む政党が政権についていることがまず1つの原因だが、その他にも憲法学者である高等教育協議会(YÖK)議長エルドアン・テズィチ教授が「この問題はこの判決で決着した。トルコではこれ以上の改定は行われない」と発言したこと、さらにメディアもそのように伝えたことが原因だろう。

取り急ぎ言っておこう、欧州人権裁判所の判決の後にはトルコの立法機関がその問題に関して審議をすることができないなどということは全くない。トルコは主権を持った国であり、憲法や人権条約に反さない限りにおいて議会は好きな法を好きなように作ることができる。

問題は欧州人権裁判所の判決の後にスカーフに関する審議ができるかどうかではない。問題はトルコの憲法裁判所が1989年に出した2つの判決(訳者註:憲法裁判所は1989年に、エヴレン大統領(当時)の訴えに応え、高等教育協議会法に追加項目を付けた3511法の第2項「高等教育機関では教室、実験室、診療所、廊下において近代的な服装と外見である必要がある。宗教的な信仰を理由に首や髪をスカーフで覆うことは自由である」を違憲とした。同年、構内でのスカーフ着用の可否は学長が判断するという形で決着した。)と1997年に福祉党に解散命令を出した判決の後で、議会がこの問題に関して審議・改定することができるかどうかだ。

基本的に、トルコの議会や政治家を動けなくしているのは上記の憲法裁判所の判決なのだ。この判決が下されてから16年である。上記の判決は主に憲法第2条を拠りどころとしている。第2条は国家の形を「民主的、世俗的、社会的法治国家」と規定している。裁判所はこの「世俗的」という言葉がどういう意味を持つのかを上記の判決で言っているのだ。16年が経った今日でも憲法裁判所は同じ考えでいると仮定するべきだろう。

ならばスカーフ着用の自由を、法律を作って獲得することは不可能だ。なぜならどんな法律も憲法裁判所の介入を乗り越えることはできないからだ。法律がだめなら残された道はひとつ、憲法改正である。だが私が思うには、憲法改正によってスカーフ着用を自由にするというのも確実な方法ではない。なんであれ法律の改正には憲法裁判所の監督が必要になる上、政教分離はあのように超越的な概念なので憲法改正があっても憲法裁判所は独自の見解によりスカーフ着用を自由にする法律を認めないかもしれない。

その上、憲法改正というのは政治的にリスクのある策である。現在、与党(AKP)には憲法改正に関して大統領の拒否権をクリアできるだけの議席(367)はない。ただこの点では祖国党がAKPの助けとなり不足分を補うことができるだろう。

しかしさらにAKPは国民投票にも挑戦しなければならない。スカーフ着用を自由にするという題目の国民投票はトルコを誰も求めていない苦しい状態に陥らせるかもしれない。これまでAKPが多くの犠牲を払ってきた経済の安定や外国資本の流入に悪い影響を与える可能性がある。それ以上に、AKPが作り出そうとしてきた穏健な印象を完全に拭い去るだろう。もちろんAKPはこれら全てのリスクをとってスカーフ着用を自由にするための行動に出ることができる。しかしそれがどれほど賢いことなのか、誰にも分からない。


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( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:1340 )