Taha Akyol コラム:アルメニア問題と歴史(Milliyet紙)
2005年12月20日付 Milliyet 紙

オルハン・パムクは「この土地で150万人のアルメニア人と3万人のクルド人が殺害されたのだ」と言ったが、この言葉がこれほどの騒ぎを引き起こすとは思っていなかったのであろうか? 騒ぎは続き、オルハン・パムクは今や世界のメディアの関心の的である。

一方フランスでは、有力な歴史家19人が一つの声明を発表した。彼らには新聞に意見広告を出すとか記事の見出しを飾るとか、ノーベル賞をとるというような固定観念はなかった。
フランスをはじめ多くの欧州諸国では、いくつかの禁止事項がある。それらはユダヤ人虐殺はなかったと言うことや、反ユダヤ主義的な行為をすることであり、犯罪となる。「植民地主義にもプラスの面があった」と言うことや、奴隷制度を肯定視することも罪になる。そして今、「アルメニア人虐殺はなかった」と言うことも罪となりそうだ。
私はこの歴史家たちの何人かを、例えばジャコバン派時代の研究者の大家として知られるモナ・オズフ氏を著作を通じて知っているが、彼らはユダヤ人虐殺がなされたことや反ユダヤ主義は精神的病理の一つであることを認めると確信する。
しかし、彼らはこうした禁止事項の撤廃を望んでいる。なぜなら歴史と人生は、刑法の的確で明確な条文に収まらないほど多様であるからだ。歴史家に刑罰の恐怖を感じながら研究させてはならない。

■バーナード・ルイスの例
(歴史に関する禁止事項と歴史家との関係の)例として、著名な東洋学者であるバーナード・ルイスが筆頭に挙げられる。
ルイスは、10年前にル・モンド紙に解説を載せ、アルメニア事件は虐殺という類の出来事ではなかったと述べた。「フランス・アルメニア協会フォーラム」はルイスを訴えた。パリ簡易裁判所は1995年6月21日付の判決で、「被告ルイスがこの問題に関し、原告アルメニア協会と異なる見解を持つことがいかに最も自然な権利であるとしても...」と述べつつ、次のような判決を下した。「被告は、虐殺であるという主張を実証する『真の証拠』について議論せず、客観的な役割を果たさず、アルメニア人社会に苦痛を与えた。よって賠償を命じる」。

歴史家は一つの新聞記事の中で何千もの記録を精査することはできず、提示できるのは最終的な結論のみである。その上フランスの裁判所は、ルイスの千分の一ほども歴史を研究していない。それでも判決は下されたのだ。
昨年フランスではクイド(Quid)という名の百科事典が出版され、その中でアルメニアとトルコの双方の見解に言及した解説が掲載されたが、クイドはその後「アルメニア人虐殺はなかった」という見解を載せたという理由で有罪判決を受けた。なぜなら「アルメニア人虐殺はなかった」と言うことを罪と見なす法律があるからだ。「出る杭は打て!」という法律である。

■罰ではなく道徳の問題
フランスで声明を発表した歴史家たちは、裁判所も法律も歴史を裁くことなどできず、本来なら歴史家の仕事を裁くこともできないはずだと主張している。
「歴史は宗教ではない。歴史家はいかなる教義も、いかなる禁止もタブーも認めない。歴史家の役割は非難したり賞賛することではない。自由な国家においては、議会も司法機関も本当の歴史を定義することはできない。これらの理由で、民主的な体制にふさわしくないこの法律が撤廃されることを望んでいる」。
例えば、革命史や共和国史が「非難もせず賞賛もせず」いかに書かれうるかということを示す最良の例の一つがモナ・オズフの著作である。

この状況で、確かにオルハン・パムクが望んでいた言論の自由はある。しかし「賞賛もせず非難もしない」という精神で描かれるべき歴史が、文学上のパフォーマンスが目的とはいえ、非難や侮辱でゆがめられるべきではない。
オルハン・パムクが「150万人のアルメニア人、3万人のクルド人が殺害された」と述べる自由はある。しかしその一方で道徳的、知的な義務も伴うのである。つまり、この発言をはっきりと訂正するか、その証拠が何であれ提示する必要がある。
皆さんご覧の通り、罰ではなく、知的道徳心の問題なのだ。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:1556 )