ジャン・デュンダルコラム:トルコ-アルメニア首脳級会談(Milliyet紙)
2005年04月25日付 Milliyet 紙

今日、トルコとアルメニアは外交関係を築くため、互いに直接的、間接的な方法で探り合っている。両国とも国民の反感を無視できない状況が続いており、事態はなかなか進展しない。両国が歩み寄るきっかけは、12年前にさかのぼる。

MHP(極右政党)党首トゥルケシュは、1993年3月12日にフランスのパリで秘密にアルメニア首相のペトロスヤンと会見した。この会見は、長い間マスコミや一般には秘密にされた。この会見のきっかけを作ったのが、当時ヨーロッパでアルメニア支援団体の代表を務めていたオザララットである。

アルメニアが独立して2年経った1993年の初めのこと。ロシアからの小麦の援助が途絶え、アメリカからの援助物資が届くまでの間、パン不足が起こりつつあった。支援団体の代表を務めていたオザララットは、この機会をうまく利用して、トルコとアルメニアに協力関係を持たせることを思いついた。アルメニアに必要な小麦を、トルコが貸すことはできないだろうか、と。この提案は政府高官にまで伝わったが、国民とアゼルバイジャンの反感を恐れたトルコ政府は、すぐに決断することはできなかった。後に政府は、小麦援助は敵味方の問題ではないという見解から、アルメニアの首都エレバンに41,000トンの小麦を送った。

その後オザララットは、なんとかトュルケシュに会うことに成功した。トュルケシュは、過去の過りを正し、トルコはアルメニアと友好関係を続けていくべきだという見解を述べた。その背景には、以下のようなことがある。1915年の出来事は、600年間続いてきたトルコ・アルメニアの関係の中では、いわば事故のようなものである。また、アルメニア人は、トルコ共和国建国やその後の政策に大いに貢献しきた。トュルケシュは、これらの例として、アルメニア人がトルコ人と共に戦い戦争に勝利したことや、アタテュルクのサインをアルメニア人が考えたことなどを挙げた。オザララットは影響力のあるトュルケシュからアルメニア大統領にもこのことを話すように依頼した。トュルケシュは、この機会を利用し、アゼルバイジャンとアルメニアの紛争にも終止符が打たれることを願って、これに同意した。

これにより、1915年以来初めて、トルコ共和国とアルメニアが首脳レベルで会見することとなった。






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( 翻訳者:田辺 朋子 )
( 記事ID:12 )