Milliyet紙 Taha AKYOLコラム「ウズベキスタンとトルコ世界」
2005年05月18日付 Milliyet 紙

キルギスは、20世紀まで遊牧が行われていたことで、イスラーム化と組織化のいずれもが満足に根を下ろさなかった国家である。ゆえに、民衆は困窮がもとで暴動を起こした。暴動において、イスラーム的なモチーフは見られなかった。そして、軍や警察組織が脆弱な体制はすぐさま崩壊した。

一方、ウズベキスタンは、中央アジアで極めて由緒ある文明を経た国家であり、ティムール帝国、イマーム・ブハーリー、ウルグ・べクの(伝統の)継承者である。ゆえに、イスラーム化も、組織化も、より強固な起源をもつ。困窮を原因とした暴動においては、イスラーム的なモチーフが重要な役割を果たし、強固な軍と警察組織とを擁するカリモフは暴動を流血を伴いながら抑え込もうとしている。反政府勢力指導者のニギャーレ・ヒダイェトヴァ氏によれば、死者は750名に達しているという。

ウズベキスタンは、マドラサ(イスラーム学院)の伝統が根強い国家である。アレクサンドル・ベニグセンが指摘したように、権威主義的なソ連の全体主義は、マドラサの伝統を非常に弱体化させたけれども、拭い去ってしまうことはできなかった。同国人口の半数を抱えるフェルガナ盆地では、民衆の困窮と、抑圧的な体制への危機感が増すにつれて、宗教的アイデンティティが強固になっていった。しかし、その大半は急進的なものではなく、伝統的な「スーフィー」的なイスラーム・アイデンティティに拠ったものだ。タヒル・ヨルダシェフが指導者である「ウズベキスタン・イスラーム運動」はアル・カーイダと気脈を通じている。同運動の軍事部門の指導者ジュマ・ナマンガニーは、アメリカのアフガン戦争の折にタリバーン勢力に与して殺害された。タヒル・ヨルダシェフは、オマル師、ビン・ラーディンと一緒にいると見られている。彼らは、昨年7月にタシケントで30名の死者を出した自爆事件のように、時にテロという手段を用いる可能性がある。カリモフは、アラブ系の「イスラーム解放党」を、「テロリスト」であり「身近な脅威」であると示している。他の旧ソ連諸国における民衆運動を支援したアメリカが、カリモフに不快感を与えないような態度をとっているのはこのためである。我々は、カリモフがアメリカに基地を提供したことを思い出すべきだ。しかし、カリモフの「イスラーム勢力のテロの脅威」という言い訳は、ヨーロッパでは信憑性がない。

ウズベキスタンは、現在でも、歴史上の近代主義‐トルコ主義的な「ジャディード」(改革派)運動と、保守的な「カディーム」(守旧派)運動の流れを汲んでおり、キルギスのように不毛な土地柄ではない。(ムハンマド・サリーフのような)トルコ主義派、(シュクリュッラー・ミルサイドフ元首相のような)社会民主主義派、(アブドゥッラヒーム・ポラトフのような)トルコ主義を取り入れたリベラル派の活動を、カリモフは圧殺した。市場経済への移行や対外開放改革も十分には行ってはこなかった。特徴として挙げられるのは、閉鎖的な体制、豊富な資源の一方での困窮、弾圧と不正、といったところであろうか・・・・。ヨーロッパ再生開発銀行が、不正と人権軽視を根拠に、ウズベキスタンへの与信を一時停止したことはその例である・・・・。民衆反乱が、最も人口密度が高く、最も「機密だらけの」フェルガナ盆地で、そしてアンディジャンで発生したことと、イスラーム的なモチーフが重要な役割を果たしたことは、偶然ではない。カリモフが今年を乗り切れるのか否か、定かではないが、彼が進んで改革路線を採用しなければ、「宮殿」クーデター、軍部によるクーデター、内戦、いずれも起こる可能性がある!ゼキ・ヴェリド・トガンは、1956年に著書『トルコ性の運命について』で次のように記している。「トルキスタン(中央アジア)諸国の未来は、通商・政治分野が世界に開かれることにかかっている・・・」碩学の半世紀前の予見は、「トルコ世界」と称される全ての国家にとって、今日でも有効な指摘である。




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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:59 )