Ahu Antmenコラム:「ルーツ」がテーマ ヒュセイン・チャアラヤン[フセイン・チャラヤン]の映像作品(Radikal紙)
2006年02月15日付 Radikal 紙

 ヒュセイン・チャアラヤンの映像作品「テンポラル・メディテーションズ(一時的な瞑想/2004年作品)」にこんな一場面がある。男が足で踏みつけた土地に女が水をまいている。飛行機が空中を飛んでいる。そのすぐうしろには、もう一機、飛行機が飛んでいる。女は水をまき続けている。あたかもアスファルトを破って根を張るかのように、男が大地とひとつになるかのように、水をまいている!…その土地はレフコシェ[キプロス島ニコシア]。この映像を作ったアーティストの出身地であり、同時に彼が既に離れた土地でもある。

 ロンドンで教育を受け、同地で仕事の腕を磨き、「フセイン・チャラヤン」の名で既に有名なこのアーティストは、今日「国際的」と評価される多くの人々と同様に、故郷から離れて暮らしながら作品を生み出している。バイリンガルであること、2つの故郷を持つこと、更に、チャアラヤンにとっては必要なことなのだが、2つの努力の対象を持つこと、これらのことによって、ファッションとアートに関する彼自身そして他者への異なる視点や、より豊かな観察眼を持つことにつながったのだと見ることができる。

 チャアラヤンの作品は、ファッション、アート、映画、演劇などの異なる分野で培われた豊かな特徴を持つ。彼は文化的な現象を外から眺める外国人のように取り組んでいる。「キプロス生まれの」トルコ人、イギリス人という彼のアイデンティティが、その創造力によって乗り越えられた積み重ねを表現している。チャアラヤンは更に、並外れた世界、シュールレアリスティックな世界、近未来的世界を撮影においても「ルーツ」の問題に取り組み、ルーツに関する精神的、個人的、社会的、政治的な方向を向いた物語のメッセンジャーとなっている。

 しかし、チャアラヤンが元々興味を抱いている人間のルーツに対する方向性は、この興味が固定観念の局面まで達することである。チャアラヤンは、この固定観念が個人的あるいは社会的なレベルで生み出す緊張を調べている。昨年のベネチア・ビエンナーレにおいてトルコを代表して出品され、トルコでは最近になって初めて展示された「アブセント・プレゼンス(2005年)」という題の作品では、西洋のテロリズム恐怖症を元にして、「外国籍の」3人の女性の服を対象にしたDNAテストを巡って話が描かれている。無菌室の蒼白の?女性(まるでガラスのような、これほど透明な「清潔さ」などあり得るのだろうか?)ティルダ・スウィントンが無菌の研究所の中で主役を演じているこのビデオ作品は、世界の歴史が進み、私たちが既に乗り越えたと思っているルーツ、人種、性別、国境などの問題が、まったく克服されていないままという将来を示しており、外国人の敵に対する、忘却しがたい「根本的解決」のメタファーとなっている。女性、実験、衣服、透き通った水といった象徴的な要素を使い、クールで距離のあるぎこちない台詞が使われているが、効果的な表現としてチャアラヤンはアプローチしており、現代美術のアーティストたちが多くテーマとするルーツを時間と空間、それ以外の面から取り組んでいるという面からも極めて興味深く独創的だ。
(後略)

関連記事:
2005-06-11  あるトルコ人とヴェネツィア芸術祭(Radikal紙)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News2005620_226.html

2006-01-23  ファッションデザイナー、ヒュセイン・チャアラヤン[フセイン・チャラヤン]の映像作品、トルコで初公開(Milliyet紙)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News2006217_1918.html

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( 翻訳者:高田利彦 )
( 記事ID:1919 )