Cuneyt Ulsever コラム:公正発展党(AKP)分析 -3-
2007年05月24日付 Hurriyet 紙

昨日私が書いたように、シェリフ・マルディンの次の指摘はとても重要である。

「トルコには「街区の圧力」というものがある。青年トルコ人の最も恐れたものの1つがこれであった。「街区の圧力」とは知られていない、社会科学によって説明することが非常に難しい1つの雰囲気である。この雰囲気がAKPとは関係なくトルコに広まったと信じている。したがってAKP以外の党でも、この雰囲気の広がりに適した条件が整えば、そのときAKPもまたこの雰囲気に屈服せざるを得なくなるだろう」(ヴァタン・キタップ ルーシェン・チャクルインタビュー 2007年5月15日)。

この言葉は私の次の考えを支持している:
「ミッリーギョルシュは2004-2007年の間にゆっくりとではあるが着実にAKPの基盤組織を「街区政治」によって手に入れた。もはや、いかなる勢力もAKPの毛細血管をミッリーギョルシュから取り戻すことはできない」。

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この圧力をAKP自身はどのように受け止めているのだろうか?
私にはAKPが世俗的な法規を宗教的な規則によって構築する危険をあえて冒すとは到底思えない。
しかし、ミッリーギョルシュが(支持)基盤を通じて強く要求している明文化されていないイスラーム主義的規則は、上層部に徐々により大きな影響を与えつつある。

その例は多い:
イスタンブルでつい最近起こった「水着広告危機」は典型的な支持基盤側からの要求だ。
酒場を街の外に移そうとする努力も支持基盤側の努力である。
「不貞行為論争」は首相が神学の領域では罪であるものが世俗的な領域では罪となり得ないことを理解できないことを示した。
首相府自らが任命した弁護士たちによる弁護を受けたレイラ・シャーヒンが欧州人権裁判所(AİHM)で「イスラーム風スカーフ」裁判に敗訴すると、首相の「AİHMに何が起こっているのか、この問題にウラマーが出て行くぞ!」という意味深な言葉は、意図せずとも支持基盤によく見られたいという目的で発せられており、やはり世俗的な問題(大学で学ぶこと)において神学的な基準を用いようとすることの合図である。

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AKPは、今度の選挙でミッリーギョルシュ出身でない貴重な人材を国会議員の看板候補として立てるかもしれない。
彼らは非常に幅広いプラットホームで政治を行うことに努めるかもしれない。しかし、今から私が言っていることだが、彼らの行う政治の限界はミッリーギョルシュが支持基盤を通じて強く要求するであろう「街区政治」になるはずだ。
別の言い方をすれば、彼らは政治を行うときにミッリーギョルシュの明文化されていない規則と矛盾できないのだ。
例えば、今回の選挙で「EU加盟のために闘う」と言うことに苦労するはずだ。

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ミッリーギョルシュが支持基盤を通じて強く要求している明文化されていないイスラーム主義的規則が自分たちの生活スタイルにどのような影響を与えるのかを予測できないでいる多くの国民は「脅威を感じている」状態にある。首相は、大統領選挙でこういった層を取り込めないだろうとはっきり述べた。というのも、支持基盤がこのことへの足かせとなっているからだ。

にもかかわらず、かなり保守的なルーツを持つトゥルグト・オザルは、ミッリーギョルシュ派の支持基盤に屈服しなかったために、自分(の属する勢力)以外の人々をも「4つの傾向」というスローガンの下に取り込み、両手を頭の上でつなぐシンボル的なジェスチャーによって形作られた政策により自身についての疑念を短期間でほぼ一掃してしまった。

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中道右派に誰が陣取るのかいまだ分からない。
しかし、私の考えではAKPにとってはもはや手遅れだ!

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公正発展党(AKP)分析 -1-

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10977 )