Bekir Coskun コラム:人で溢れる「ど真ん中」
2007年06月08日付 Hurriyet 紙

各党は自分たちが「中道へと」移行したとおっしゃっている。

「御大(おんたい)、貴方の居場所はどのあたりで?」
「中道さ・・・」
「中道ってのはどのあたりで?」
「ど真ん中ってことよ・・・」
「・・・?」
「分かっているだろうに、我々は民衆により一層尽くさんがために出発したのだよ。いまや中道右派よりもっと中道に我々はいる。我が党が、自らを中道に位置づけた暁には、親愛なる我らが国民も、我が党本部に何をしてくれよう、そうだ、支持をしてくれようぞ。」

明らかに、右派政党のみならず、左派の各党も中道に移行しようと励んでいる。

こうして、誰も彼もが中心部に行くものだから、中心部は人で溢れてきているのですがね。



中道ってぇのは何で?

知ってのとおり、古典的な解釈によると、イデオロギーの(概念上の)扇の広がりには右と左がある。
資本と労働を代弁するイデオローグたちが、自らのイデオロギーに背くとき、イデオロギーのうちで最も手っ取り早く、耳にも心地よいやり方が、「中道に位置している」という形なのだ。

中道とは、つまりあらゆるコトの真ん中である・・・

誰も彼もに受け入れられるためには最適な場所・・・

八方美人には最適な場所・・・

貴方が右派政党の方なら、貧困層の票を得るために・・・左派政党の方なら、持株会社の支持を得るために、最も好都合な場所だ。

黒でもなく、白でもない。

グレーだ・・・

安価な労働環境に賛同すると同時に、労働者の幸せを願うような・・・。教育の平等について語りながら、ドル建て支払いで教育をほどこす瀟洒な「ダイガク」を支援するような・・・。汚水を河川に流す工場と、河川(の環境保全の重要性)双方ついて、どちらにも「ごもっともです」などと言うような・・・。

ふたつの顔をもつには最適な立場だ。



このところ、誰も彼もが中道に向かっている。

「御大、貴方の居場所は?」
「中道よ・・・」
「中道といいますと?・・」
「真ん中よ・・・。我々は自らを中道の真ん中に置いた。我が党の本部を、親愛なる国民に向けて開放しているのだな。我が党に属していない民衆が、この党本部が持つ懐の深さと魅力を目にすれば、その足を中へ踏み入れるはずさ。」



***《解説》***
○多様な意味を持つ単語merkez(メルケズ)
訳中の「中道」「中心部」「(党)本部」はいずれもmerkezと言う単語に相当し、本コラムに一種の掛詞(かけことば)的な効果を生み出している。
(文責:長岡大輔)

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より分析的な解説はこちら「Mahfi Egilmez コラム:トルコにおける中道右派と中道左派」

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11097 )