バシーリーイェら有名大学教授、大学を追放に
2007年08月25日付 E'temad-e Melli 紙
ホセイン・バシーリーイェ(左上)、ハーディー・セマティー(右上)、ミールジャラーロッディーン・キャッザーズィー(左下)、ベフザード・シャーハンデ(右下)
ホセイン・バシーリーイェ(左上)、ハーディー・セマティー(右上)、ミールジャラーロッディーン・キャッザーズィー(左下)、ベフザード・シャーハンデ(右下)

 未だ大学の夏休みが明けず、新学年も始まらない中、テヘラン大学とアッラーメ・タバータバーイー大学では有名教授らに対する解雇が取り沙汰されている。

 複数のニュースサイトが報じたところによると、アッラーメ・タバータバーイー大学とテヘラン大学の教授らは、彼らに通告された正式な辞令、もしくはこれらの教授らに提示された公式・非公式の通達により、大学からの追放・解雇、あるいは任期満了前の早期退職に追い込まれているとのことだ。

 過去2週間にわたり、アッラーメ・タバータバーイー大学では、同大学の様々な学部に所属していた15名のベテラン教授が解雇され、その中には学生らに人気の文学部教授ミールジャラーロッディーン・キャッザーズィー博士も含まれているという。

 ホセイン・バシーリーイェ博士、ベフザード・シャーハンデ博士、ハーディー・セマティー博士を含むテヘラン大学の教授らへの解雇命令もまた、先日テヘラン大学長により承諾され、彼らに通告された。

 これら3名の政治学部教授に発せられた解雇通告は、一年間の〈不正欠勤〉疑惑をその理由としている。彼らは自らに認められていた1年間の研究休職期間より1学期または2学期長く、外国の大学で研究・教育に従事していたとの非難を受けている。

 追放処分の憂き目にあったその他の一部教授らに対し、自らが受けた辞令を公にすることは慎むようにとの圧力が加えられたともいわれている。

 有名教授らへの解雇の波は、昨年テヘラン大学の教授会のメンバー40名以上が退職を余儀なくされたことが、その始まりだった。テヘラン大学のアッバースアリー・アミード=ザンジャーニー学長の話によると、身体的・精神的な問題や生活上の問題が、彼らへの解雇通告の原因だったという。

 強制退職者のリストには、神学部のモハンマド・モジュタヘド=シャベスタリー、アーラムザーデ、アリー・アーバーディー、法政治学部のハサンアリー・ドルーディヤーン、アフマド・サーイー、セイイェド・アリー・アーズマーイェシュ、アーシューリー、サファーイー、レザー・ライーストゥースィー、エラーギーといった有名教授が含まれていたにも関わらず、彼らは〈優秀ではない〉との烙印を押されたのであった。テヘラン大学長が彼らを解雇したときに言ったのは、「優秀な教授は退職者リストには含まれていない」ということだったのである。

 教員養成大学の学長もまた、昨年の2学期間に、複数の学部長や教育委員会の責任者、ベテラン教授らを解雇した。その中には、紆余曲折を経て任を解かれた同大学哲学部のモフセン・キャディーヴァルも含まれている。

 教員養成大学では、キャディーヴァル以外にも、サイード・ハッジャーリヤーン、モハンマドタギー・アフマディー、アボルファズル・ショクーリー、ハーシェム・アーガージャリー、マスウード・ガッファーリー、ハータム・ガーデリー他の教員らが追放された。

 昨年のアーザル月(11~12月)には、科学技術大学にも強制退職の波が到来し、53名の教授が解雇に直面しているとの報が、同大学より伝えられている。

 このような教授追放の波への懸念から、14人の国会議員らは科学研究技術相に対し、「大学から政府に対して批判的な教授らを解雇・除去する計画の停止の必要性」を訴える意見書を提出している。

〔後略〕



【訳注】
キャッザーズィーは、イランの英雄叙事詩『王書』の研究で知られる著名文学教授。イラン古代の栄光を讃えるイラニストとして知られる。

バシーリーイェは、イランを代表する比較政治学者で、多くの著書がある。

セマティーは、イランの政治改革やイランをめぐる国際関係論などを専門とする政治学者で、カーネギー財団で客員研究員を務めたこともある。

シャーハンデは、ペルシア湾地域の国際関係論などを専門とする研究者で、最近まで韓国のHankuk外国語大学の客員教授を務めていた。

モフセン・キャディーヴァルはイスラーム法学者で、イスラーム・シーア派における統治理論を論ずる、体制に批判的な思想家。「リベラル派」とのつながりが非難されて、故ホメイニーの後継者の地位から更迭されたモンタゼリー師の弟子に当たる。

モジュタヘド=シャベスタリーはイスラーム神学者の一人で、イスラーム法学者によるイスラーム解釈の独占を批判。ドイツ解釈学を援用して、イスラームの自由で民主的な解釈を唱道する人物。

ハッジャーリヤーンは元情報省次官として体制の要職で活躍した後、改革派のジャーナリストに転向、数々の改革紙を立ち上げるなど、1990年代後半のイランにおける改革主義の流れを主導した。2000年に右翼分子の銃弾により、瀕死の重体に陥ったことがある。

アーガージャリーは、講演の中で、宗教権威(マルジャエ・タグリード)の指導に唯々諾々と従う信徒(モガッレド)を、盲従する「猿」と呼んだことが原因で逮捕され、2002年に一審で冒涜の罪で死刑判決を受けた人物。この死刑判決が波紋を呼び、2002年から2003年にかけて、テヘランで学生らによる抗議デモが頻発、このような動きに押される形で、ハーメネイー最高指導者は審理の差し戻しを命じ、後に懲役刑に減刑された。

アーシューリーは、ニーチェの翻訳など、ドイツ哲学に造詣の深い知識人として、革命前から学界で活躍してきた人物。1990年代に東京外国語大学の客員教授として日本に滞在した経験を持つ。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら
関連記事(アフマディーネジャード:大学における世俗主義者の跋扈に抗議の声を上げよ)

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:佐藤成実 )
( 記事ID:11762 )