Taha Akyol コラム:民主市民党(DTP)と新旧2人の党首
2007年11月06日付 Milliyet 紙

クルド労働者党(PKK)運動はアフメト・チュルク(元DTP党首)を利用し、今になって端に追いやっている。アフメト・チュルクは共和人民党(CHP)出身の政治家で、彼には政治的な経験がある。世論に大きく逆行するであろう見解でさえ、「政治的な」言葉で説明することができる。政治家やその周辺に友人や知人がいるはずだ。故エルダル・イノニュ(社会民主人民党(SHP)元党首)の葬儀に姿を見せたが、誰からの反発も受けなかった。どんな新聞やテレビでも彼の発言を目にすることができる。国会の開会日に(トルコ民族主義の立場をとる)民族主義者行動党(MHP)の議員と握手することもまた、彼の政治姿勢の1つの現れである。アフメト・チュルク以外の(DTPの)ある人物は、扇動的な演説でとりわけ知られている人物だが、握手をするためにMHP議員のところに行きもしなければ、(MHP党首の)デヴレト・バフチェリがアフメト・チュルクに示したような態度をとりもしなかった。
しかしDTPは「政治をする」ために作られた訳ではなかった;(PKKの)「別働政党」として、政治闘争をすべく結成された。民主人民党(DEHAP)内でPKKの命令を受けずに政治をしようとする風潮が強くなったため、(PKK創始者の)オジャランは、DEHAPを解散させてDTPを作らせたのだ。
アフメト・チュルクは(結党)当初、DTPに見た目の上での穏健さを与えるために利用された。今、「穏健主義」のマスクははぎ取られ、チュルクも党首職を追われている!

■好感の持てる人物?

アフメト・チュルクに代わって党首に任命されたと言われている弁護士のフラート・アンルとは私は面識がない。(PKK)運動とアンルを知るクルド人の友人達に尋ねてみた。「好感の持てる、人好きのする人物」と言うではないか!
友人- さらにディヤルバクル市長職のための(支持)傾向調査を行ったとき、アンルが1番で、(現市長の)バイデミルは2番目という結果が出た...
人として好感の持てる、愛すべき人物ではあるが、「運動の中から出てきた」タイプだ!このことの意味は明らかだ!
「運動」の中で好感を持たれるのと、様々な勢力と関係を築かなければならない党首職とはまた別の問題である。政治的に非常に急進的なアンルは、この柔軟さを身に付けることができるだろうか?
さらに重要なのは、議会で会派を持つ政党に外部から党首として「任命される」ことを十分に理解できるだろうか?
こうした質問をクルド人の友人にぶつけると、次の答えが返ってきた:
友人- DTPでは命令が絶対だ!こういった質問は通常の政治運動については有用かもしれないが、そこでは意味がないことだ。

■解決ではなく障害

問題もここにある... 我々の目の前にあるDTPは「支持基盤に根ざした運動(を行っているか否か)」という点から見れば政党ではない!
この運動のトップに据えられてその座を追われた人々を思い出してみてほしい;長いリストができる!
同じクルド人の友人は、DTPのような政党の性質を言い表すために次のように言った:
友人- そこには「一番目の人物」が1人だけいる。それ以外の人は皆「千番目の人々」だ!
この理由から(DTPのような政党は)説得力を持てないでいるし、この理由から普通の政党として見られていないのだ。
しかしDTPは世論で政党としての数に入れられ、認知されることを望んでいる。このために8人の(トルコ軍の)兵士の解放において、作り物の醜い姿で舞台に飛び出してきている!
好感を得ることはおろか、世論から完全に孤立している。
これは多くのクルド系の同胞から(選挙で)票を得られない多くの理由の1つでもある:国民を見ながら、国民の求めに応じながらではなく、命令によって政治をし、人からの任命によって組織化すること...
問題の沈静化によって解決プロセスに入るために障害となるのは、単にPKKの殺人行為だけではなく、DTPのこの全体主義的存立構造である。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12378 )