「学生の日」に大学生バスィージ、テヘラン大学で集会:文化革命の復活を要求
2008年12月07日付 E'temad-e Melli 紙

アーザル月16日〔12月6日〕の「学生の日」に合わせ、昨日午後テヘラン大学およびテヘラン医科大学の大学生バスィージの呼びかけで、テヘラン大学工学部前で学生らによる集会が行われた。

 イラン学生通信の報道によると、集会に参加した学生らはまずテヘラン大学工学部前に集まり、「学生は死して屈辱を受け入れず」、「アメリカに死を」、「屈辱はご免だ」、「右も左も、左も右も、アメリカの手下」などのシュプレヒコールをあげながら、テヘラン大学正門へ移動、「革命政府よ、われわれはお前を支持する」、「親愛なる大統領よ、われわれはお前を支持する」などのスローガンを叫んだ。

 手にプラカードを持った集会参加者らがシュプレヒコールをあげながらテヘラン大学正門へ向けて行進する一方で、セイエド・モハンマド・ハータミー前大統領の写真を手に持った別の大学生らは、「ハータミー、ハータミー、われわれはお前を支持する」のシュプレヒコールをあげ、「小学校の友人」を歌いながら、ハータミー支持を訴えた。

 このような状況を前にしたバスィージ学生らは「神は偉大なり」を叫び、行進を続けた。他方、ハータミー支持の学生らは「工学部88年本部」の署名の入ったプラカードを手に、「小学校の友人」を歌いながら、工学部の校内へと移動していった。

 集会を開いたバスィージ学生らは、テヘラン大学正門への行進を続けながら、さらに「妥協も屈服もあり得ない。アメリカとの戦いあるのみ」、「文化革命を断行せよ」、「妥協をする者に死を」、「我らが指導者のご命令は実行されねばならない」〔※1〕、「石化に死を」〔※2〕、「正義、正義、これこそ国民のスローガンなり」、「オバマに死を」などのシュプレヒコールをあげた。

 集会に参加した学生らはまた、「おお、ザフラーよ」〔※3〕、「おお、アバー・アブドッラー・ホセインよ」〔※4〕、「おお、アボルファズル・アッバースよ」〔※5〕などと書かれた旗や国旗、イマーム・ホメイニーやハーメネイー最高指導者、アフマディーネジャード大統領らの写真を掲げながら、「気高き指導者よ、われわれはとっくに準備ができている」、「われわれはクーファの民ではない、アリーを一人にはさせない」〔※6〕、「学生は目覚めている、アメリカにはうんざりだ」〔※7〕などと叫んだ。

 集会参加者らが大学正門に着き、集会を始めると、さらに「大統領よ、われわれはお前を支持する」、「アメリカに死を」、「イスラーム大学は偽善者のいる場所ではない」〔※8〕などのシュプレヒコールをあげた。

 シュプレヒコールが終わると、学生活動家の一人が次のような声明を発表した。「集会に集まったわれわれムスリム大学生は、我らが大学と科学、そして我らが読む書籍のタイトルがイマーム・バーゲル〔※9〕の科学と合致する日がくることを心待ちにしている」。

 この発言を受ける形で、学生らは「神は偉大なり」、「アメリカに死を」のシュプレヒコールをあげた。この人物はさらに、次のように続けた。「教養のない、蒙昧なる教授たち、嘘つきで知のアパルトヘイトを学問の世界に広めた教授たち、彼らの一部は偽善者である。彼らの存在のために、我らが大学はイマーム・バーゲルやイマーム・サーデグ〔※10〕の思想が支配すべき理想的大学とはほど遠いものとなっている。世俗主義者や政教分離主義者どものグループはポストを占有し、優れたムスリム学生に居場所を与えようとはしないが、〔そのような状況を打破し〕理想的大学を実現させるためには、〔バスィージ〕学生らがすべての知的領域・専門グループに積極的に関わっていくことが枢要である」。

 この発言を受ける形で、学生らは「文化革命よ、もう一度」のシュプレヒコールをあげた。この人物はさらに、「昨日まで革命の理念に抵抗してきた者どもは、今日学生の日の式典を延期させ〔て、バスィージ学生の抗議の声を封殺しようとし〕た。われわれにとって科学と正義、政治は信仰と同義であるということを、彼らも知るべきだ」と指摘すると、集会参加者らは「神は偉大なり」を叫び、「ホセインは我らがスローガン、殉教は我らが誇り」と声を上げた。

 この演説の後、「正義を求める大学生運動」のサーデグ・シャフバーズィー書記は、「今日、われわれはテヘラン大学に集まり、我らの願望は50年前〔※11〕と何ら変わっていないということを示した」と指摘した上で、次のように訴えた。「今日、知のアパルトヘイトが大学を支配している。人文科学は、イスラームの潮流が入り込むのを許そうとしない教授どもで一杯だ。いまだ妥協を良しとする国内勢力、アメリカのエージェントどもがアメリカとの和解を口にしている」。

 集会の続きで、大学生イスラーム協会連合代行も演説を行い、「われわれはラーリージャーニー氏〔国会議長〕に質問がある。あなたは立法府30年記念大会を国民の団結の名の下で開催した。しかしこれらの者どもは全員《自己的な》人々〔※12〕だと言えるのか。彼らの中には、最高指導者に書簡を出し、毒杯を飲め〔※13〕と主張した者どもがいたのではなかったか。あの座り込み〔※14〕を行った者どももいたのではなかったか」と声を上げた。これに対し、集会参加者らは口々に、「偽善者に死を」のシュプレヒコールをあげた。



訳注
※1:「指導者」はハーメネイー最高指導者を指す

※2:「石化」とは、行動を伴わない硬直化した形式主義のこと。殉教や国の発展のために努力せず、宗教と政治の分離を訴え、礼拝の仕方などの些末な事柄に拘泥する宗教指導者らを示唆することば。

※3:預言者ムハンマドの娘で初代イマーム・アリーの妻であるファーティマのこと。

※4:第3代イマーム・ホセインのこと。ウマイヤ朝カリフ・ヤズィードの軍勢と戦い、殉教した「殉教者の長」と呼ばれる英雄。

※5:第3代イマーム・ホセインの異母兄弟で、ホセインとともにカルバラーで壮絶な死を遂げたシーア派の英雄。

※6:クーファは現在のイラクにあった町。「クーファの民」とは、第3代イマーム・ホセインを指導者に迎えながらも、ウマイヤ朝の強力な軍勢を前にホセインを助けず、見殺しにしてしまった人々のことを指す。アリーは「アリー・ハーメネイー」最高指導者のこと。

※7:「目覚めている」は「ビーダール」、「うんざりだ」は「ビーザール」で韻を踏んでいる。

※8:「偽善者」(モナーフェギーン)は通常、亡命反体制組織「人民聖戦士機構」(モジャーヘディーネ・ハルグ)を指すが、ここではイランの民主化を訴える、いわゆる「改革派」も含まれている。

※9:イマーム・バーゲルはシーア派第5代イマームで、第6代イマームのジャアファル・サーデグとともに、学識に優れていたことで有名。「バーゲル」とは「(知を)開く者」という意味。

※10:イマーム・サーデグはシーア派の第6代イマーム。優れたイスラーム法学者としてスンナ派の中でも認められた人物で、彼の名前(ジャアファル)にちなみ、シーア派法学は「ジャアファル法学派」とも言われる。

※11:「学生の日」は、1953年にテヘラン大学の学生3人が当時のシャー体制の治安部隊によって惨殺されたことを記念したのが始まり。ここで「50年前」というのは、1953年の出来事を指している。

※12:「自己的な」とは「われわれの」「われわれに属する」「自己の本質に根ざした真の」という意味で、「外国の」「西洋かぶれした」「自己を見失った」の対立概念。またこの語は、「イスラーム共和国体制に反旗を翻し、偽善者となった」人々・知識人に対する「イスラーム共和国体制に忠誠を誓った」人々・知識人を指すときにも用いられる。

※13:ホメイニーがイラン・イラク戦争の国連停戦決議の受諾を決断したときに「毒杯を飲むよりつらい」と述べたことを想定した表現。ここでは、改革派が国会を支配していたときに(2003年)、改革派国会議員らが最高指導者職の民主化を求める内容の書簡をハーメネイー最高指導者に出したことを指している。

※14:2004年の第7期国会選挙で、多数の現職国会議員が選挙への立候補を資格不十分として認められなかったことに抗議して、座り込みの抗議運動を行ったことを指す。この抗議運動に参加した議員らは、このことを理由に2008年の第8期国会選挙にも立候補が認められなかった。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:15296 )