キャルバースチーとアーレフ、二人の副大統領候補を考える
2009年03月02日付 E'temad-e Melli 紙

【アクバル・モンタジャビー】イラン・イラク戦争の時代に首相を務めたミール・ホセイン・ムーサヴィーが、自身の新聞の発行を決意した。彼の大統領選への出馬は、外部の人間が考える以上に、固まりつつあるようだ。しかし、ミール・ホセイン・ムーサヴィーの選挙への対応を考える前に、われわれとしては二人の改革派のライバル兼同志について考えることの方が先決だろう。

 メフディー・キャッルービーとセイエド・モハンマド・ハータミー。二人は大統領選への出馬を明言している二人の候補者である点で同じ立場にいる。とはいえ、ハータミーの方は出馬撤回のために、二つの道を残している。ハータミーは以前、「私か、あるいはミール・ホセインのいずれかが出馬する」、「ミール・ホセインが選挙に出馬するよう、私としても努力する」と述べていたし、他方で「私とキャッルービーがともに選挙戦を戦うことはないだろう。私がメフディー・キャッルービーと対峙することはない」とも述べていたからだ。

 このようなわけで、ミール・ホセインが正式に選挙戦への参戦を決めた場合、あるいはメフディー・キャッルービーが出馬を辞退しない場合、ハータミーが約束した通りになるのかどうか、今後を見守る必要があろう。

 このような中、ハータミーもキャッルービーもともに、すでに自らの選挙対策本部を立ち上げている。改革派政権時代に代償を支払い、あるいは刑務所行きとなった、「改革派」の呼び名で通っている人々の多くが、現在メフディー・キャッルービーの選挙本部で活動している。例えば、ゴラーム・ホセイン・キャルバースチー元テヘラン市長がそうだ。76年〔西暦1997年〕の大統領選挙でハータミーの勝利に大きな役割を果たした彼は、今メフディー・キャッルービーの選挙対策本部長となっている。

 76年、ハータミーの勝利から2ヶ月後のこと、キャルバースチーや歴代の元テヘラン市長を訴追する手続きが始まった。その結果一部の元テヘラン市長、そして〔当時現職のテヘラン市長だった〕ゴラーム・ホセイン・キャルバースチーが逮捕された。〔※1998年4月のこと〕

 キャルバースチーを支持し、彼に対して加えられた嫌疑〔※汚職や公金横領などの容疑〕に抗議する声が一部から上がった。彼らは「イランのアミーレ・キャビール」〔※19世紀半ばイランの近代化に功績のあった宰相の名前。キャルバースチーは「テヘランの近代化に貢献した人物」として評価されたが、その一方でその強引な都市開発のために一部から敵視された〕を叫び、就任間もないハータミー大統領にキャルバースチーへの支援を求めた。

 しかしハータミーからの支援はなく、キャルバースチーが放免されることもなかった。キャルバースチーは獄中から友人の一人に電話をかけ、なぜハータミー大統領は何もしてくれなかったのかと質問した。返ってきた答えは、「大統領は他の仕事に忙しく、キャルバースチー問題は彼の頭の1割も占めていない」というものだった。

 刑期を終えて出獄したキャルバースチーは、しばらく間沈黙を守った。当時政権を握っていた改革派の人々に近づこうというそぶりは、あまり見せなかった。徐々に、彼の沈黙は長くなっていった。〔2003年の〕第二期地方議会選挙の際、彼は多少の活動を見せたが、改革派に近づくことはなかった。84年〔西暦2005年〕の大統領選では、ハーシェミー=ラフサンジャーニーを支持したが、目立った政治的活動を行ったわけではなかった。彼は「建設の奉仕者党」の決定通りに動いただけであり、その意味で政党人でしかなかった。

 しかし今年、彼は最近の10年間でもっとも目立った政治活動を展開している。メフディー・キャッルービーを強く支持し、ハータミー批判を公然と行っているのだ。しかしキャッルービーを支持しているのは、彼だけではない。アッバース・アブディーエマードッディーン・バーギー、ジャミーレ・キャディーヴァル〔※女性活動家。改革派ウラマーのモフセン・キャディーヴァルの妹。後述のモハージェラーニーの妻〕、そして多少距離は取っているもののアターオッラー・モハージェラーニー〔元副大統領、元文化イスラーム指導相〕やタギー・ラフマーニー、その他一部の人権活動家や政治活動家らが、今やメフディー・キャッルービーを支持、ないしは少なくとも他の候補者よりも好ましいと考えているのだ。

 さて、セイエド・モハンマド・ハータミー選挙本部を見てみよう。状況は多少異なるようだ。モハンマド・レザー・アーレフ〔元第一副大統領〕が選挙対策本部長を務め、モフセン・アミーンザーデ〔元外務次官〕が本部長代行を担っている。しかし、実際に選挙本部を取り仕切っているのはアミーンザーデで、アーレフの本部長就任は実際には有権者へのメッセージに過ぎないというのが、多くの関係者の見立てである。

 モハンマド・レザー・アーレフはここ最近、ホルダード月22日〔西暦6月12日、選挙が行われる日〕に「ホルダード月二日」〔1997年5月23日、ハータミーが大統領に当選した日〕の再来を実現させると宣言している。しかし彼自身は、76年ホルダード月2日〔1997年5月23日〕に主要な役割を演じたわけではない。彼は途中から〔ハータミー陣営に〕合流、テヘラン大学の学長を経て郵政相に就任し、その後ハータミー政権の第一副大統領になった人物だ。

 第8期国会選挙では、彼は改革派の候補者の一人だったが、〔改革派の〕立候補資格不認定に抗議して、選挙への出馬を辞退した。またその前年には、大統領選への出馬の意志があることも公言していた。〔‥‥〕彼はイラン・イスラーム参加戦線の支持のもと選挙に出馬すべく、選挙事務所の立ち上げに従事していたが、ハータミーの出馬にともない、この事務所をハータミーに譲り、自らは選挙対策本部長に収まったというわけである。

 現在、テヘラン市及びエスファハーン市を運営した実績のあるゴラーム・ホセイン・キャルバースチーが一方のフィールドに立ち、他方にはハータミー政権で8年間にわたって閣僚や副大統領を務めてきたモハンマド・レザー・アーレフがいる。今回の選挙は、大統領候補ではなく、副大統領候補や顧問が大きな役割を演ずる選挙となる。いずれが大統領選に勝利するかで、次期政権の第一副大統領のイスに誰が座るのかも決まってくる。果たしてアーレフか、それともキャルバースチーか。どちらが有権者の票を自らのものにすることができるだろうか。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
関連記事(選挙をめぐり改革派戦線内で亀裂生じる:キャルバースチー、キャッルービー選挙対策本部長に就任か)

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:15969 )