映画「蜂蜜」、チャムルへムスィンで撮影中
2009年08月30日付 Radikal 紙

「ユスフ三部作」のうち初めの2つの作品(『ミルク』、『卵』)はエーゲ海地方を舞台にしているが、最後の作品をリゼのチャムルヘムスィンで撮影しているセミフ・カプランオール監督は、「子供時代について思い出すすべての事柄の中に、自然というものがある。ここには素晴らしい自然があるので、チャムルヘムスィンを選びました」と述べた。

映画情報
題名:蜂蜜
監督:セミフ・カプランオール
脚本:セミフ・カプランオール
キャスト:エルダル・ベシクチオール、トゥレン・オゼン、ボラ・アルタシュ、アレヴ・ウチャレル、アイシェ・アルタイ、クタイ・サンドゥクチュ
映像監督:バルシュ・オズビチェル
美術監督:ナズ・エライダ
助監督:アスル・サア
音声:マティアス・ヘーブ
制作:カプラン・フィルム、ヘイマット・フィルム共同制作(NTV、Eurimages、Filmstiftung NRW、ZDF Arte協力)
制作責任者:アクセル・カムベル
撮影は15日後に終了予定

フルトゥナ峡谷を登ったとき、「ここにダムを作ろうとした人々は、頭が狂っていたに違いない」と考えた。トラブゾンを出発したときは26度を示していた温度計は、登るにつれ下がっていく。リゼのチャムフルヘムスィンのアイデル高原についたときには、温度計は13度を示していた。8月の半ばというのに震えていた・・・。セミフ・カプランオール監督は、『卵』から始まり『ミルク』へ続いた「ユスフ三部作」の最後の映画である『蜂蜜』を、この地方で、チャムルヘムスィンとその周辺で撮影している・・・。
『蜂蜜』の現場にたどりつくのは簡単ではなかった。アイデルに到着したとき、助監督のアスル・サア氏に電話した。撮影チームは森の中にいる。アスル氏は電話を制作責任者のアクセル・カムベル氏に渡す。アクセル氏は彼らのいる場所を説明する。「ユルマズ・カフェテリアを過ぎて左にある牧草地にピンク色のテントがあります。そのテントを過ぎたら森に入ってください。そのあとで牧草地にでます。道に沿って歩いてきてください。目の前にまた森が現れます。森の小道を歩いていくと再び牧草地に出ます。その周辺を見回したらわれわれを発見するでしょう!」了解しました、他には・・・。

■巨大なシデの木の下で
為す術もなく待っていた・・・。しばらくしてカフェテリアのオーナーであるキャーミル・ユルマズさんがやってきた。撮影チームのところにいたようで、彼らのいる場所を知っている。キャーミルさんとその小さい息子であるオヌルくんの案内で、森の中での困難な道行きの末に撮影チームのもとにたどりついた。二人がかりでもかき分けて進むこともできないような巨大なシデや松の木が生い茂る森の中、サッカーグラウンド二つ分の大きさの牧草地の中に我々はたどり着いた。現場は大きな傾斜面で、立っているのも困難だ。天気は曇りで、雨は降っていないが牧草地は湿っている。朝の5時から森で撮影を行っているチームは非常に疲れている。防暑、防寒、防水性のあるトレッキングウエアを着ていない数人のズボンは膝までびしょぬれだ。
新たなシーンの準備に取り掛かっているときに、セミフ・カプランオール監督のそばに駆け寄った。最も興味のある質問から始める。最初の2作品がエーゲ海地方を舞台にしている三部作の最後の作品のために、どうして黒海地方のチャムルヘムスィンを選んだのか?「この土地の地域性にはほとんど関心をもってない」と話すカプランオール監督は、以下のように続けた。「私は映画の中の家族が移住して暮らすことを、すべての家族のように場所を変えることを考えませんでした。そのため、家族の故郷、そしてユスフが子供時代を過ごした場所としてここを選んだのには二つの理由があります。一つ目は、子供時代について私自身思い出したとき、すべての事柄の中に自然というのもがあること、そしてここには素晴らしい自然があるということです。二つ目は、カラコヴァン(天然の蜂の巣箱)と呼ばれる最も良い天然の蜂蜜がここで採れるからです。その採取方法や、昔ながらの方法での生産方法を見たいと思いました。大人にとって、すべてのこの子供時代についての記憶・・・まるで人生が始まった場所のような、つまりわれわれすべてにとって、あってしかるべきと考えられるこのような場所で撮影したいと思ったのです」
同氏は、トルコの別の地域でこのような場所を長い間探したようだ。タウロス山脈を歩き回り、ボル地方やイェディギョルレルを見て回ったという。イズミルのエーゲ海地域でも高地を回ったという。「しかしどの場所もここのような(自然の)豊富さや美しさを備えていませんでした。そのためここを選びました。子供時代の思い出や、自然との親密さがこの土地にはとてもあります。例えば、ある儀式を撮影したいと思いました。子どもが覚えている儀式です・・・。シシ山(トラブゾン、シャルパザル)の祭りにおいて撮影しました。映画はそこから始りました」とカプランオール監督は説明した。
元々同氏は、『蜂蜜』をアルトゥヴィンのグルジアとの国境地域にあるマジャルヘル峡谷で撮影したいと考えたようだ。しかし許可が下りなかったという。「自治体からの許可を求めましたが、彼らが言うにはあそこは軍事的防衛地域とのこと。6か月間参謀本部から許可を得るために努めました。しかし、どうしてかはわかりませんが許可は得られませんでした。このことをファックスで文化省にも伝えましたが、残念ながら彼らも答えてくれませんでした」
「しかしきっとよかったのです」とカプランオール監督は言う。そして以下のように説明した。「すべてのマイナスがプラスの状況を生みだしています。ここを見つけましたし、ユスフを演じるボラ・アルタシュ君も見つけました。ボラ君はわれわれにとって大きなチャンスとなりました。大きな成功です。(前作で)ユスフ役を演じたネジャト・イシレルやメリフ・セルチュクと、とてもうまく繋がるだろうと考えています」。チャムルヘムシンを訪れ、自転車で散策しているときにボラ君を見つけたという。話しかけ、写真を撮った。「イズミルから来たばかりだと知りました。もちろん私にはとても不思議に感じられました。ここに来て20日ばかり経っていました。映画にも合っていました。この種の繋がりや、移動性は人生において常にあります。そのため『蜂蜜』をここで撮影するために、実のところまったく迷いはありませんでした。さらにはチャムルヘムスィンの人々は、われわれをとてももてなしてくれます。特にチャムルヘムスィンのイドゥリス・メレキ市長は。彼もたとえば長い間イズミルで暮らして、ここに戻ってきたそうです。子供時代はここで過ごしたそうです」
さて、撮影されるシーンのための準備が整った。ユスフと(エルダル・ベシクチオール演じる)その父親が森で食事をとるシーン・・・。ドラマ『橋』と映画『知事』で知事役を演じたエルダル・ベシクチオールは、今回は古ぼけたジャケットに、頭にはベレー帽をかぶった村人に変身したようだ。ラバを木に結びつけ、別の木にもたれかかってサドルバッグから取り出したパンを食べている。非常に疲れ切った雰囲気をだしている。その向かいには木の枝で作った矢を手に持ったユスフが座っている。ユスフは「預言者は花も咲かせたの?お父さん」と尋ねる。父親は「もちろん咲かせたさ。きっと森の中で我々も目にするはずだ」と語る。このシーンは一回で撮影され、そのうえリハーサルもない。カプランオール監督は、素晴らしい景色をバックに、木々の間からはフルトゥナ峡谷のポストカードにある有名な滝が見える、そんな場所でシーンを撮影している。しかしカメラがそこをとらえているかどうかは確かではない。
シーンが終わるや否や、小さなボラ君はすぐに遊び始める。友達のオヌル君と矢を投げている。彼はまったくなにも気にかけていない。「この俳優の仕事はすき?」と尋ねると、矢で遊びながら、「とても好き」と言い、また遊びを続ける。ボラ君の父親も現場で息子に付き添っている。

■「私の考えではこの映画はヒットする」
続いてもう一つのシーンが撮影された。森を歩くシーンだ・・・。今回はリハーサルが行われた。シーンが撮影される、またしても一回で・・・。ボラ君は監督に「よくできた?」と尋ね、監督から「よくできたよ」という返事をもらうと遊びに没頭する。この間われわれの案内役であるキャーミルさんは、「御覧なさい、ラバはちっともぐずっていない。まるで映画のために育てられたようだ」と言い、さらにこう付け加えた。「私の考えではこの映画はヒットすると思う。私は見学しながら感動しています・・・。父親役のエルダルはラバとともに悲しげに進む、子供もその後ろから続く・・・」
ユスフが一人でいるシーンが準備される間、エルダル・ベシクチオールも森の中で座るための平らな場所を探している。蜂蜜の巣箱を椅子にしている。そばに近寄ってみた。「自然が相手となれば、すべてそれ次第だ」と言う。「ハツバチがいて、鶏がいて、鷹がいて、シデがあって、それらと一緒に我々は演じているのです」。また、ベシクチオールは、小さなボラ君はパーフェクトだと話す。時々ボラ君と真剣に話していると、セミフ・カプランオール監督が抜け目なくカメラを回していると説明する。この間、美術監督のナズ・エライダから、エルダルさんが着ている皮のジャケットは、『卵』でネジャト・イシレルが着ていたジャケットであることを教わる。つまりこれを連続というのだ。
ユスフのシーンが終わるとセミフ・カプランオール監督は「一旦中断!」という。「森がともかく迫ってくる。私はレイラになったようだ」という。
用具類を片付け、我々は下山を始める・・・。(この間、撮影チームのゴミに対する責任者もいて、森に一つもゴミを残さないようにしている)。本道に出ようとしたとき、セミフ監督が下りている小道を指して、「ここはとてもきれいだ。ここでもワンシーン撮影しよう」と言って助監督のアスルに声をかける。撮影チームは再び集合する。黒い雲の隙間から太陽が姿を現すと、今度は太陽が再び雲に隠れるのを待つ。結局のところ太陽は重要な役ではなく、さほど待たずにシーンが撮影される。時間は昼下がり。今回こそ本当に休憩だ。
休憩のかわりに、そのまま歩いていると、カプランオール監督は、エルダル・ベシクチオールであれ、トゥリン・オゼンであれ、ボラであれ、すべての役者たちが映画に大きく貢献していると説明した。カプランオール監督に、『卵』と『ミルク』が本質的部分で互いにとても似ていることや、『蜂蜜』がどのような感じになるのかについて尋ねてみた。「わかりません。これもきっと同じになるでしょう」と言い、しばらく考えた後にこのように付け加えた。「ここでは子供時代がもたらすナイーヴさが描かれるでしょう。子供が人生に直面するさま、人生を理解し、もしくは間違って理解するさま、希望、夢、恐怖、あらゆる感情が学ばれること、これらすべてがここにはあります」
まだとても寒い。我々はすぐに出発する。車の温度計は徐々に上がっていく。フルトゥナ峡谷を下りる間、「ここにダムを作ろうとした人々は、頭が狂っていたに違いない」と思った・・・。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:17316 )