RTÜK委員長、誰もが同じように感じるわけではない
2009年11月22日付 Radikal 紙

ラジオ・テレビ高等機構(RTÜK)ダヴト・ドゥルスン教授は、検閲機関を設けないことを説明し、ドラマに関する批判に答えた:「この社会の人々はキスすることを知らない人々ではありません。誰もが『禁断の愛(アーシュクメムヌ)』に対し批判的ですが、最終回のキスシーンの視聴率はランキングのトップに入るものでした。」

ラジオ・テレビ高等機構(RTÜK)委員長のダヴト・ドゥルスン教授は、ここ近年で増加した暴力事件の背後にテレビの存在があると考えているとし、「テレビのドラマや映画で、暴力がある種問題を解決する方法と認識されている」と述べた。

ドゥルスン教授は、消費者協同組合ファーティフ区トプカプ社会機構での会議で行った演説で、グローバル化に伴って閉塞的な経済も終わりを迎え、現代社会の最も重要な部門の一つが放送であり、特にテレビとラジオの放送がその分野として非常に速いスピードで発展していると述べた。

同教授はトルコの世帯のおよそ50パーセントで2台、三分の一の世帯で3台、20パーセント近くで4台、もしくはそれ以上の台数のテレビがあると明らかにし、以下のように続けた:

「テレビが人間の行動に及ぼす影響は、議論すべき大きなテーマであります。一部の人たちはこれをやや誇張し、またある人たちはあまり影響がないと話しています。今私たちの手元には、ある一連の調査結果があります。それによれば、テーマによってはテレビの影響が非常に色濃くなることが明らかにされています。政治面において強い影響があると私は考えていませんが、世論が形成される点において、一定時期を注意して見るとき、テレビが隠れた影響を非常に強く持っていることがわかっています。ここ近年で増加した暴力事件の背後には、テレビの存在があると考えています。テレビのドラマや映画での暴力はある種問題を解決する方法として認識されています。」

■ 「起こり得ないことを普通のことにしている」

子供たちの無反応な態度の背後にも、テレビの存在があるとするドゥルスン教授は、「なぜなら、子供たちや私たち自身、常軌を逸したことを(テレビで)見続けて、そのような種類のことを何でもないこと(のよう)にしているのです。生活の一部となり、無反応な態度を取るのです」と話した。

また、まだ法的な権利を得ていない、成長期にある子供たちをテレビの悪影響から守ることにおいて、他の国々では非常に敏感に真剣な試みを行っていると述べ、以下のように続けた:

「このことに関する最も実践的な対処法の一つに、子供たちの成長に悪影響を与え得る性質のドラマ、ニュース、映画のような番組を、子供たちが画面の前に座る時間帯に放送しないことが最初の方法として挙げられます。トルコの法律でも、子供たちが見る可能性のある時間に(悪影響のある番組が)放送されないという決まりがあります。これらの規定では、23時以降そのような種類の番組の放送が可能になるとされています。二番目の対策として、「メディアの見方」という新しい授業を小学校に、選択授業として設置することが考えられます。これも子供たちがテレビを見る際に、テレビで目にするものが作り物であること、予めそうした意識を持って視聴する準備をすることが必要と考える制度です。」

ドゥルスン教授は、欧州連合諸国でも適応されている保護表記制度がトルコでも適応されているとし、番組が始まるときにその番組の内容について視聴者に知らせることがこの制度の目的であると強調した。このことがプラスの結果を与える重要な制度であると説くドゥルスン教授は、「現在取り組んでいる法律の問題において、番組放送中、この表記をテレビ画面の上部に映すことできれば、役に立つかもしれないと考えています」と述べた。

■ 「ラジオ・テレビ高等機構(RTÜK)は検閲機関ではない」

放送局へ直接、「このような種類の番組を作って下さい」というような要請は一切なされないとするドゥルスン教授は、以下のように語った:

「RTÜKは検閲機関ではありません。私たちはどのような番組であれ放送から除外することはできません。どのような番組を放送するにしても、放送を無理強いすることはできません。そのため、放映された番組について(のみ)、その番組が放送理念に合っているかそうでないか評価することができます。もし、法律によって決められた放送理念への違反ということが問題であれば、私たちの制度の中で関係する放送局を警告します。番組を停止し、罰金を課します、あるいはより高額の罰金を課すか、免許を取り上げます。」
そして、同氏は放送前に強制的な操作がなされないことも付け加えた。

■ テレビで放送されるドラマと映画

ドゥルスン教授は、テレビのドラマや映画で起こる、作り物として視聴者の前に映される家族の様子や性的な関係が、全ての人にとり容易に共有できるものではないと述べた。

そして、「ドラマは作り物で、現実ではありません。私たち視聴者が、誤解し、そして多少誤った評価を下しているのは、ドラマや映画を、現実の世界と全く同じように捉えているからです。しかしながら、これらは現実とは何の関係もないのです」と語り、以下のように言葉を続けた:

「製作者は好むと好まざるとに関わらず、例えばこのように問題を考えます、『どうすればより視聴率を上げることができるか?』私たちは視聴者として手にしているリモコンをまわし、電波をとらえ、お金を払わないで目の前に流される番組の中で見たいものを選択します。実際にトルコで最も重大な問題は、これ程のテレビ放送が無料であるということでしょう。私たちは家にいて椅子に腰掛けているとき、このように思っています、『これは良くない。これは道徳に反している。このようなものは見たくない。』私たちは無料で欲しがる一方、自分たちが見たいものを欲しがっているのです。

製作者は何をしているでしょうか。視聴率ランキングの上位を得るために、視聴者が好む、彼らを笑わせる、自分の番組を選ばせるような形で放送をしているのです。『狼の谷(クルトラル・ヴァディスィ)』はトルコで最も見られたドラマです。今これについて考えてみたら、『狼の谷』に関し、たくさんの批判がなされることでしょう。まるで、誰もが批判をしていますが、さてこれを誰が見るのでしょうか。私たちは批判をしながらも、それを視聴しているのです。なぜなら、私たちは冒険家の物語を好むからです。」

■ 「この社会の人々はキスすることを知らない人々ではない!」

ドゥルスン教授は、以下のように語った。「ドラマ『禁断の愛』に関し私たちの誰もが批判を行っているようですね。しかしながら、『禁断の愛』の最終回でのキスシーンは、どうしてトルコで高い視聴率を記録したのでしょうか。この社会の人々はキスすることを知らない人々ではないでしょうに。しかしながら、画面ではキスシーンが最も多く視聴されるのです。それならば製作者は何をするでしょうか。最も高い視聴率を得るために、お金を得るために、最もよく見られるものを放送するしかなくなるのです。ここではもちろん、道徳理念も強いられます。」

「このことが問題となるとすれば、手にしているリモコンで、『メディアの見方』で、保護表記制度でもって私たちが阻止します」と述べる同氏は、どんな法律もテレビ放送者に、「これをしたら、お宅のテレビ放送を中止する」とはしないと説明した。そして、この状態が考えられているよりも簡単なことではないと述べ、「まったく賛成です、道徳理念を求めます、と言ったら、ここで深刻な問題が発生するのです。法律がいっているのは、『社会の国民的、精神的な価値に反する放送はされてはいけない』ということです。この社会の国民的、精神的価値とエティレル地区に住む人たちの国民的、精神的価値は果たして同じでしょうか」と話した。

ラジオ・テレビ高等機構(RTÜK)には9人の委員がいること、時折、自分たちの間で番組内容を審議する際、ドゥルスン教授自身は「このような番組は出すべきではない、これは悪い例である」と意見することがあること、(それに対し)他の委員は現代的と感じていることがあると説明し、「私たち9人は道徳理念というテーマにおいて、互いに理解し合っていません。それならば、どうやって(国民)全ての人々に共通する道徳理念を見つけることができましょうか」と主張した。

魔法が出てくるドラマが深刻な問題であることに注意を引く同氏は、「ハリー・ポッターはトルコで最も見られている映画の一つです。あれも魔法が出てくるドラマでしょう。魔法が出てくるドラマはある面現実の外の世界へと子供たちを連れて行きます。子供たちに聞かせる物語は現実の世界と関係があるでしょうか。ケルオーランの物語では一体どうでしょうか。害がないのでは。これらを禁止する由はありません。何に依拠しながら禁止しましょうか」と述べた。

(後略)

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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:17927 )