ORAL CALISIR コラム:トルコの抱える新たな問題=左派
2009年12月02日付 Radikal 紙

共和人民党(CHP)を左派と見る人の数が減少しているにも関わらず、(まだ)CHPを左派政党と見る人々が明らかに存在する。CHPに投票する人々の大部分は、自分たちを左派と定義し、そしてCHPをも(これに対するあらゆる反発があるにも関わらず)左派政党であると捉える人々から成っている。

私はずっと前からCHPは左派政党には入らないと考える一人である。トルコには人民主義的、自由主義的、民主主義的であり、公正発展党(AKP)に対し左派の普遍価値の観点から反対し、EU基準の国家を願うような左派政党が必要だと長い間主張してきた。この必要性は今に始まったことではなく、ずっと前からその必要性は高まってきており、ここ最近とても具体的な影響を及ぼし始めた。

CHPはある時から、恐怖によって成長し、さまざまな恐怖に基づいて、(与党に対し)反対する政党となっている。さらには「恐怖のことばを蘇らせる政党」として定義されている。トルコにとって、恐怖や緊張といったものとは異なるタイプの野党が必要であり、ここ最近より強くその必要性が感じられ始めた。トルコの政治の世界には、恐怖や緊張から遠く離れた、現実的な野党のシナリオが必要なのだ。

ウフク・ウラス、アレヴィー・ベクタシ連盟代表アリ・バルクズ、左派の普遍価値に関して敏感な知識人、政治家、労働組合関係者、市民団体の指導者は、ある時から「新しい」左派政党をつくるため努力を費やしてきた。この努力は今日まで、事前調査的性格をもっていた。それ自身のテンポで進んでいたのである。

オヌル・オイメンがアレヴィー集団の傷を引っ掻き回し、彼らを痛めつけ、ディルスィム虐殺は正当であるとする演説をし、それからバイカルを始めとするCHPがオヌル・オイメンを擁護したことで、新政党設立への期待が非常に高まった。今日までCHPへ「仕方なく」投票していた人々は、「虐殺を支持する」政党へ投票することがもはや不可能であると表明し、はっきりと反発の意思を示し始めた。

まず始めに最も敏感な集団が行動を起こした。それはアレヴィー派の人々であった・・・
ディルスィムおよびその周辺の人々は、自分たちの人生で最大の悲劇を意味する大虐殺をわが痛みとしながら、CHPが自分たちの前に出てくるのを受け入れるのは不可能であった。反発は広まった。デモや離反が続いている。このままいけば長く続くことになるだろう。
「新左派政党」運動は、「オヌル・オイメン事件」とは関係なく始まった運動だ。このような必要性を感じている者、左派の選択肢がないため不満を持っていた者たちは、ある時から集まりはじめていた。これらの人々の中にはアレヴィー集団の指導的立場の人々の名前もあった。「オヌル・オイメン事件」はそのプロセスを加速させたのである。

この「事件」は我々に、自分たちの近代史を改めて初めから読みなおさせ、そして新たに捉えさせたのだ。
共和国の歴史は、公定歴史で言われているように「特権のない、階級のない社会を生み出す」という道のりであったのだろうか?「29日クルド人蜂起」と性格づけられ、何千ものクルド人の日常生活と非常に多くの場所が奪われる原因となった事件は、この歴史の中で起こったのではなかったか?「財産税法」という名でファシスト的な法を制定し、1942年にこの国の非ムスリム少数者を労働キャンプに送り、財産を奪ったのはこの国の指導者たちではなかったか?
この種の質問に対する公式な回答以外の答えを探すことは、左派だけではなく、常識や理性、そして21世紀という時代がなすべきことである・・・左派は遅かれ早かれ「(国家の)公式発言」を守るという立場から解放され、普遍的「本質」にそった流れへと注ぐことになる、つまり「公式発言」を批判するという使命を担うことになるだろう。

CHPの共和国の歴史へのアプローチは、長い間「公式な記憶」の堅持を基礎としてきた。歴史にこのような見方で対峙するなら、今日を正しく読み取り理解するのは不可能である。我々の歴史を改めて評価し、「公式な記憶」から解放され、歴史を客観的にみる時が来た。EU加盟を目指す国には、自分たちの歴史と向き合うことから逃げ、ホラー映画やサスペンス映画を思い起こさせるような雰囲気の中で生きるというような贅沢さはないのだ。

トルコは人民主義的や自由主義的、そして本当の意味での左派政党を必要としており、その必要性はおそらく「近代史」を通して最も高いレベルに達しているのである。皆が一つになるポイントを強調し、分離ではなく統一を目指し、民主主義を望み、自身を左派であり民主主義側であると考えるすべての国民が受け入れることができる政党が必要であり、我が国の不公正、不公平、不平等を「主な問題」として捉え、これらの他にも、周縁的社会主義者のたわごとの抑圧から逃れることのできる政党が必要なのだ。大きな変化と変質を経験したトルコの問題に解決を見出すことを根本的な目的とし、積極的でダイナミック、現実的で変化を促す政党を早急に必要としている。

多くの人はもう遅いとさえ考えている。しかし政治において、遅いということはないのだ。今こそ腕まくりする時なのだ・・・

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:17993 )