Ismet Berkan コラム:2010年に期待するのは、こんな理由・・・
2010年01月02日付 Radikal 紙

一年前、2008年が終わり、2009年が始まる時、「呪われたが終わった」と述べたが、2009年についても、たいした希望をもっていないと書いた。

しかし、今は、「一つの呪われた年がまた終わった」と喜びつつ、2010年への希望を隠すことはできない。
なぜ私は、今年が過去2年よりも良い年になることを期待しているのか?
その大部分は政治的な理由からである。

トルコは、2つの重要なテーマにおいて、意図してか意図せずにか、2009年のはやり言葉によれば「アチュルム(解決への歩み寄り、拡張、解決策)」を行った。この「解決策」のうち一つについては大いに議論された。クルド問題解決策、あるいは、民主的解決策である 。2つ目については、全く議論されなかったが、私が思うに、それも第一歩を踏み出した。すなわち、法治国家と法の優位への歩み寄りである。
この二つの「解決策」は、もはや後戻りさせられることはないだろうと考えている。なにがどうあるあろうと、民主的解決策においても、そして法治国家に向かって進む点においても、精霊(cin)は瓶から出たのであって、もはやそれを新たにその瓶に戻すことはできない。

民主的解決策から(話を)始めよう。問題の根底には、国民の平等、権利の平等の問題があることを皆が了解した。この了解をくつがえすことはもはやできない。クルド人に(あるいは、権利を要求する他のエスニック集団に)対して、もはや「わかった、しかしあなた方は我々より少ない権利に甘んじてください」とは言えない。しかし、過去にはこう言っていたのである。

今後の問題は、その平等性が徐々に全ての分野において受け入れられ、消化されていく、という問題である。そして、基本的には、政治家たちにだけでなく、メディアにも、(平等性が)消化されるプロセスへの大きな責任が課されている。

これが2010年に 期待する理由の一つである。

つまり、民主主義には、人権という面があり、アイデンティティが保障されること、あるアイデンティティを所持することは、最も基本的な民主的な権利の一つであるという単純な事実が受容されたのである。

一方で、二つ目の「問題解決策」は、法治国家へ到達することと、法の優位と主権の受容に関係している。注意してほしい。我が国で、トルコを底からゆさぶるような、調査や捜査が現在、行われている。さらに行われるだろう。

全てのこの調査と捜査は、メディアによって少々過剰に追跡されている。しかし、これらのうちのいずれにおいても、(最も活発な議論がされている番組でさえ、)検察にはその事象に手出しする権限がないとか、その事象に関与することは検察官の権限をこえたことだと言うただ一人の人や組織もなかった。
これは、法の優位について考えると、わが国において、全員・全集団がその優位を受け入れる用意ができていることを表しているということであって、それ以外の何物でもない。

どういうわけか、みな、警察機構のことばかりを議論している。しかし、現に私の見るところでは、検察について議論し、検察の組織のこと、この組織は独立なのかあるいは非独立なのか、この組織が自身でイニシアティブを発揮したときどう行動するのか、などといったことを議論する必要がある。なぜなら、現に皆が知っている通り、国を揺り動かす諸調査は警察ではなく、検察が事を運び、一方で警察は検察の指揮下に置かれるからである。そして、この権限については議論されていないという現状から、法治国家へ、そして法の優位へ向けて進む道において、重要な第一歩を我々は踏み出したと考えている。

2010年に期待するのはこのことからであって、他のことからではない。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:18184 )