歌手ギョクセル、母のようになりたくなかったのでひとりを選んだ
2010年05月02日付 Yeni Safak 紙


歌手ギョクセルは、自身にとり二番目のノスタルジックな曲を収録したアルバムで「人生は夢のようなもの」と歌い、私たちを70年代の世界へと誘う。アルバム発売を口実にし、ギョクセルと彼女の夢のような人生について話を聞いた。ギョクセルは当時の思い出である品物、靴、おもちゃ、歌、そして冒険好きな父と過ごした素晴らしい思い出を語ってくれた。彼女の思い出話は尽きない。幸せと不幸せな思い出、なぜ孤独を選んだのか、生きたい時代、なぜ昔が好きなのかを、子供のような調子で説明してくれた。これが私たちの前にいる70年代の女性、ギョクセルである。

1971年生まれと伺っていますが、幼少期を過ごしたその時代について最初に思い出すことは何でしょうか?
庭付きのマンションです。私たちはスアディイェに住んでいました。当時はその地区にとても美しいマンションがありました。そこかしこで遊びまわる猫たち、私たちの上の階に住んでいた人の青いミニバス…。地区にはよく旅行者が訪れていたものでした。

何だかすてきですね。
ええ。実際、子供にとって非常に素晴らしい環境でした。花々、猫たち、おかしな格好をした若い男の人や女性たち、そして音楽。父が音楽を好んでいたため、家にはいつも音楽が流れていました。

あなたは何番目の子供にあたるのですか?
私は一番上です。妹と弟がいます。

これらの美しく彩られた生活の中には、影となる部分は全くなかったのですか?
もちろん、ありました…。夢のような生活の間にいつも。街角で新聞記者が殺されることもありました。従姉たちがスアディイェ高校に通っていたのですが、学校から怯えながら帰ってきたのを覚えています。それでも父はある晩、私たちをバーダト通りに散歩に連れ出しました。そして、みんなで怖がりながら家に戻りました。毎日、私たちのマンションの壁に違法組織のスローガンが貼ってありました。当時の生活には、一方で微笑み、純粋さ、自然、他方ではこの国が混沌としていたことを思い出します。

当時の品物で残っている物は?
祖母が編んだ小さな毛布があります。

歌は?
トルコ映画の歌です。エメル・サインの歌をはっきりと覚えています。あと、私がアルバムに収録した「9月に来て」という歌です。

その歌によって何が思い出されますか?
朝食の光景です。天気がとても良くて、ラジオでは「9月に来て」が流れている場面です。

靴は?
典型的な女の子の靴、とでも言えそうな赤いバンドのついた靴を持っていました。

その靴はあなたが気に入って(買ってもらったのですか)?それともお母さんが?
大体自分が気に入ったものを買っていました。好みがうるさく、なかなか気に入ったものがありませんでした。父は私を店から店へ連れ歩いたものですが、なかなか見つけることができませんでした。特に気に入った靴を探すのは大変でした。

今はどうですか?
今はもっと簡単に気に入りますね。靴の種類が増えたこともあるかもしれませんね。(笑み)

おもちゃは?
ピンク・パンサーがありました。

ちょっと…。
父と妹と一緒に立ち入り禁止のところへ飛行機を見に行ったことがあります。

というと?
父は冒険好きでした(笑み)。ある春の日、飛行場の近くの畑の上の寝ころんで、飛行機を眺めたことがあります。

昔の生活を思い出すことで、よい気分になるのでしょうか?
はい、考えるのはいつも良い思い出ですから。実際の人生ではとても素晴らしいことも起こりませんでした。

とても大事にされて、育ったのでしょうか?
いいえ、それほど簡単ではありませんでした。妹弟たちとの間の年の差はそれほどありません。妹とは2歳、弟とは6歳はなれていましたから、お姉さん役となるしかありませんでした。実際のところ、母も大変だったろうと思います。不満のない子供時代を過ごしたとは言えませんが、素晴らしいものだったと思い出します。

昔のことをよく思い出されるのですか?過去に起きたこと、それとも将来起きること、どちらにより頭を悩ませます?
両方ともよく考えますね。「何度、思い出の中を生きれば気がすむの?」と自分に言い聞かせ、よく批判します。

逃避されているのでしょうか?
ええ。

どうして?
わかりません。日々のことで、毎日とても忙しいんです。最も大きな問題はこれのことでしょうね。

あなたは(特に昔の)どんなことを懐かしんでいるのですか?
過去の人たちのことをとても懐かしく思っています。学校に行くことも。例えば、今朝は「学校に行きたいな」と思いながら目覚めました。2年前に2か月程、英語力を伸ばすため、ロンドンの学校へ通いました。とても楽しかったです。

(学校に行きたがるということは、)学校を途中で辞めたことが影響しているのでしょうか?
そうですね、最後まで終えることができませんでしたから。

学校に行くことは好きでしたか?
いいえ、それ程好きではありませんでした。でも、不平は言いませんでした。学ぶという気持ちが好きなんです。

どうして哲学科に進まれたのですか?
(本当は)心理学が大好きで、ずっと「心理学者になりたい」と言っていました。進学先の大学を決めるときにも、1,2点の差で哲学科に進学したのです。実のところ、哲学科に進むのを残念に思ったことを覚えています。とても難しく感じました。

あなたは音楽に逃避したのですね。
ええ、圧倒的な力で音楽に惹かれました。

■空想家としての性質は私を孤独にする

一人でいるのを好みますか?それとも大勢でいる方を?
一人を。

どうして?
好きだからです。

一人で過ごすことが最も多い場所はどこですか?
家です。家ではより生産的で、勤勉になれるから。子供のときからそう知っていたのか、わかりません。子供の頃、孤独だったと思っていましたけれど、実際は孤独ではありませんでした。妹弟もいましたし。

何があなたを一人にさせるのでしょう?
空想家としての(生まれ持った)性質が私を一人にさせているのでしょう。何かを書くには一人になることが必要ですから。自身のための一人の時間が必要なのです。本当のうつ状態はそれらが奪われた時に始まります。(その状態が)終わったとき、信じられないぐらい気分が楽になります。

共同生活への順応はあなたにとって難しいことなのでしょうか?
ええ、その通り、難しく感じられます。普段、人と一緒にいるときでさえ、気が抜けてしまうのです。(人の中にいるときにも、)違うことを考えてしまいます。集中力の問題のようです。例えばその間に、歌のことを考えていることがあります。

あなたはご自身が経験したことの何を批判していらっしゃるのですか?
今の世の中は人間を個人的生活へと押しやります。私も一人で生きていて、これは自分本位な生活へと転じ得るものです。他の人のためではなく、ただ自分のために何かし始めるのです。
孤独を愛していますから。
これは(誰かと)対にならないということです。自身の生活に介入されるのを非常に苦手とします。

誰かと対になるということは重いことなのでしょうか?
私には重く感じられました。私は孤独で、女性で、生き続けています。だから、これぐらい、誇りを持って述べることができます。将来、何が起こるかわかりません。もしかしたら、1年後に「結婚しました、とても幸せです」と言っているかもしれません。「夫婦になることは素晴らしいです」と。

一人になってからどのくらい経ちますか?
2年になりました。最初の夫とは…最初と言っていました、また結婚するみたいですね(笑み)。7年間続きました。でも、その前にも一人で生きていました。

どちらかを選ぶのは難しいですか?
とても困難に感じます。結婚は非常に難しい選択でした、本当に。

離婚したとき、ご自身の能力がなかった、あるいは力が足りなかったと考えましたか?
全くその通りに思いました。敗北を感じるものです。離婚する過程は、それはひどいものです。罪人のように裁判官の前に出て、「上手くできませんでした」と言うようなものです。名前が読み上げられ、自分に向けられる態度や言葉はとても胸に痛いものがあります。

では、「妻」となることをどのように感じていましたか?誰かに結びつくこと、つながることについて。
それを感じたために、離れたくなったのです。

それについて何か解決することが出来ましたか?
いいえ。おそらく、結婚は人の自然に反したものなのでしょう。私たちには間違って教えられるようです。みんな勇気を出して言わないのでしょう。私はそう思います。

それは非常に偏った意見のようですが…。
このように表現してしまったことを残念に思います。私の言ったことが誤解されないといいのですけれど。複婚について言及していないつもりです。ただ、ひとりの人に合わせた形での生活が、人を「苦しめる」ものとなることについて述べているのです。

おそらくその考えは、あなたが経た苦い経験に関係しているのでしょうね。
そうだと思います。私たち(夫婦)は音楽活動も一緒に行っていました。(上手くいかなかったのは)互いにひとりで息をつく場所を作らなかったせいかもしれません。結婚生活を50年続けている夫婦たちはすごいと思います。その人たちがとても困難なことを達成し、そしてどれくらい努力したのか、わかってますから。

では、どうして(ある人たちは夫婦生活を続けることが)上手くいかないのでしょうか、もしくはやめてしまうのでしょう?
関係を継続できない理由は、女性が男性に、男性が女性のようになってしまったことだと思います。女性たちだけではなく、男性たちもおかしくなってしまいました。

おかしいというと?
女性が外で働いて個人の生活を大事にする一方、男性たちも責任の念と懸念の気持ちが減ってしまいました。わかりません、たぶん私たちはあまりに多くのものを男性に期待しているのでしょう。

ご両親はどのようなタイプの夫婦でしたか?
私は古典的な種類の家庭で育ちました。父は仕事に行き、母が子供たちを育てました。母はいつも父の後ろにいて、彼女自身のためだけの生活の場は全くありませんでした。私はずっと、働く女性になりたいと思っていました。

おそらく、お母さんのような妻にはなりたくなかったのでしょうね。彼女ができなかったことをするために、(今現在)このように過ごしていらっしゃるのでしょう。
全くその通りです。私が自由を願望し、介入を好まない性質なのはこのためなのでしょうね。

あなたにとって「対」となることの(理想の)形はありますか?
両者が平等であること、均衡がとれていること、個々に自由な領域のある形がいいかもしれません。

「一体」となることは悪い考えでしょうか?
いいえ。「一体」となるという気持ちはとても素晴らしいものだと思います。けれども、「一体」となるとき、自分自身を無くしてはいけません。

それでは、どうして結婚されたのですか?「キャリアも積んだし、もう結婚しよう」と考えたのでしょうか?
結婚するときはアルバム「キョレベ」を出して、とても有名になっていました。アルペル(元夫)ととても上手くいっていました。30歳になっていて、結婚しなければならないと思っていました。

ふたりの関係で、あなたのどのようなところが問題となるのでしょう?
譲歩し過ぎてしまうところにあると思います。相手のことを優先させてしまうのです。

自分のことを後にしてまっているのですね。
ええ、ずいぶんとそのようにしていました。そのために、今はもう一人になって自分を守りたいのです。

家族が欲しいと感じていますか?
はい、そう感じています。そのためにもう一度結婚します。

(後略)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:19020 )