Oral Calislarコラム:軍のヘゲモニーの伝統いかに
2010年08月08日付 Radikal 紙

15年ほど前、参謀司令本部の招待により多くの新聞記者が南東アナトリアの問題が深刻な地域を視察した。
その時代は、新聞記者たちが大きな脅威の下に置かれていた時代であった。その視察の間はじめて、(記者団が)大勢まとまってクルド人問題について軍人たちと議論をすることができた。脅威と議論の間で、行きつ戻りつの議論がなされたものだった。

我々の同僚の多くは参謀司令本部の上級司令官たちによって脅されていて、何人かは死の恐怖の中にいた。おのずと、彼らは非常に不安定な精神状態にいた。ある者たちは命を守るために国外に行く道を選んだ。この脅しに対し何かすることなど不可能であった。さらに、政治家も部分的には似た圧力の下にいて、彼らも心理的に不安定だった。参謀司令本部によって政府が作られ、また、退陣していった。(この圧力の最重要のピークのひとつは1997年の「2月28日事件」の時代である)

参謀司令本部は、新聞記者、高等裁判所メンバー、大学理事らが情報をえるセンターとなっていた。政府はこの構図に何も言えないでいた。社会の大部分が「心理的な戦い」の影響下に置かれた状態に陥っていたことが、政府のこの態度の原因の一つであった。

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軍事最高評議会で昨今起こった緊張状態が、「今日だけの問題」ではないことは明らかである。最近おきたことのすべてことは、非常に深いところへつけられた傷が、あるいは、あるひとつのシステムが、ようやく変化しようとしていることを示している。

話をもどすと、あの軍との(南東アナトリアへの)視察の頃にアンカラで陸軍士官学校本部を訪ねた時だった。よく名の知られた新聞記者の同僚と数人の軍司令官と共に、視察について我々は話していた。私の同僚のある新聞記者は「ほら、軍の人たちは何でもきちんとやっている。政治家なんてなんでもかんでも、めちゃくちゃにする」と言った。(この同僚がその頃、軍による死の脅迫の下にあったことを私は後になって知った。)私は彼のこの意見にこのように答えた。「軍に対し「何でもよくやっている」という言い方をしないでほしい。何故ならこの種のお世辞は、彼らに自分たちこそがこの国を最もよく運営できると思わせるからだ。そしてクーデターをおこし、我が国は足腰たたなくなる。」

私のこの反応を受けて、軍司令官の一人が「オラルさん、クーデターとは何ということですか?私たちは市民団体へ協力を呼び掛けているのです。彼らが必要なことをやっているのです」という風に答えた。軍司令官のいう市民団体組織とはTÜSİAD(トルコ実業家協会)、TÜRK- İŞ(トルコ労働組合連盟)、DİSK(トルコ革新労働組合連盟)、TESK、TİSKのことである。これらの組織は2月28日体制の時代にこの種の軍の干渉を容易にし支援する態度をとっていた。

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軍人たちは「この国は我々が運営しなければならない」という伝統の中で訓練されてきた。そうと信じ込まされている。「政権と政治への干渉」は彼らの心理システムの基礎的構成要素の一つとなった。自分たちは監督もされず、責任も取らないくせに、彼らが望む相手に対しては責任を問うことが出来る地位にいることが、彼らに根深い慣習を植え付けた。もちろんこれほど閉ざされた権力が自らへの監督の水準を保ち続けることは不可能だった。クーデターと政治干渉の準備をいつもしていたため、軍の多くの組織の中に、「政治干渉への小規模センター」さえ作られた。このような定着した一つの「政治干渉の心理」を取り除くには長い時間と努力が必要なことは非常に自然なことである。これほど多いクーデターの企てや、これほど多くの問題行動をする士官たちが、いろいろな場で行動を起こそうとしたことを、偶然と呼ぶことが出来るだろうか?(エルゲネコン裁判の)起訴状にみえる、海軍、空軍、陸軍、軍警察からの、様々な恐怖と脅迫のシナリオが、検察官によってでっちあげられた作り話としていえるだろうか?この「クーデターと政治干渉の心理」が確かに終わるまで、様々なサプライズと出くわす可能性があるだろうことをここで申し述べておくことは、意味のあることだろう。

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軍事最高評議会の混乱が、長年蓄積した遺産を清算するという意味をもつこと、そして、この遺産とは、「この国は、文民政治家たち、すなわち選挙で選ばれた政治家たちによって運営され得ないこと、彼ら(政治家)を、軍と司法の監督のもとにおくことが必要だ」という理解のもと作られた遺産であることをすでに多くの人が気づいていると私はみている。

軍事最高評議会でいま行われている「清算」を、私は今後、更にはっきり分析をすることが出来ると思う。緊張関係の当事者たちさえ、確かな分析をすることが出来ないような、歴史的な転換期を通過しつつある。軍人は、手にしていた「政治的権限」が、目の前の現実と、かつて全く出逢わなかったほどの厳しさで直面するのを経験している。彼らが望むと望まないとにかかわらず、一つの道の終わりが近付いている。

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軍の中の、社会から遊離した、社会の選択を恐れる精神状態が消し去られ、より健全な心理環境が軍を支配したならば、軍の「本来の守備範囲」の理解と21世紀の環境への適合のプロセスは加速するだろう。軍が「本来の守備範囲」の内側に撤退することは単に社会のためだけでなく、軍の正常化、現代化の基本的要件である。

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( 翻訳者:清川智美 )
( 記事ID:19899 )