メスト・オズィル(エジル) は、協調の象徴?、同化の象徴?、それとも裏切り?
2010年10月11日付 Hurriyet紙

ドイツ対トルコの試合を自分の国にいながらアウェイの環境で観戦した。より明確に言うと、イスタンブルのギュムシュスユ地区にあり、ボスフォラス海峡を望むドイツ総領事館の「皇帝の間」で、多くのドイツ人とともにその試合を観戦した。

私はサッカーにはかなり詳しい方だ。しかしこの記事のトピックはグース・ヒディンキ監督の戦術でもサブリ・サルオール選手の左バックでのプレイでもない。

この記事のトピックはメスト・オズィル選手に注がれたブーイングのことである。実際、メストは昨日、ひどい板ばさみの立場におかれ、つらい一夜を過ごした。この若者については、長年かけて育まれ、結局答えが出ないほど凝り固まってしまった議論がある。

試合の間メスト選手に注がれたブーイングについて、隣にいた、本紙外信部のムフタファ・カラクシュに向かって「何なのよ、これ!何の必要があってこんなことを!」と私はいった。ムスタファはドイツで教育を受け、ドイツ文化と、ドイツにおけるトルコ人の状況についてもよく知っていた。

ムスタファは、「私にはわかるよ」と答え、次のように続けた。「彼らはメスト選手が自分たちを裏切ったのだと感じているんだよ。」

その瞬間私の中で、画面上の試合の映像がゆがみ、90分間の終了のホイッスルがその瞬間私の中で鳴り響いた。

■統合か、同化か

私は「外国人労働者」について考えはじめた。そしてそのとき気づいた。その根底にはただひとつの問いがあるということに。

メスト選手は統合の象徴なのか、同化の象徴なのか。

ドイツでトルコ人の統合問題が特にここ数年とても激しく議論されている。トルコにいる私たちは、あまりそのことに気づいていない。

ドイツ人たちは、1960年頃にドイツにやってきていたトルコ人たちが(一時的な)「ガストアルバイター」でないことにようやく気づいた。そして、今まで排除してきたトルコ人たちを、ドイツのシステムの中に引き込もうとしている。

これまで、選挙の前になるとトルコ人たちのことを思い出し、トルコ人地区にいってドネルケバブを切りパフォーマンスをし、その後にはすぐトルコ人のことなど忘れてしまっていたような政治家たちが、いまや政策を生み出そうとしている。

少し前に話したあるドイツ人外交官の話から、このドイツにおける変化をさらによく理解した。

その外交官は、ドイツからやってきた公式代表団の中にいた一人のトルコ人に、トルコに帰るかどうかを尋ねたそうだ。このトルコ系のドイツ官僚は、生まれも育ちもドイツである。その返答は驚くべきものだった。「私にとって帰るというようなことはない。私はドイツで生まれ育った。ある場所へ『帰る』としたら、それはドイツだ。」

この話をした外交官が私にした次の告白は、さらに驚くべきものだった。「トルコ人たちがわれわれの社会の一部であるということをそのとき理解した。」

ドイツには300万人ほどのトルコ人が暮らしている。このうちの100万人近くがドイツ国籍である。つまり、選挙権を持ち、自分たちの住む国で発言権を有しているということだ。

ここで、一番初めに私が出した問いに戻ってみよう。メスト選手は統合の象徴なのか、同化の象徴なのか。

■メスト選手の選択

しかしながら、この複雑な問題にはひとつの簡単な答えがある。

メスト選手はただ、ひとつの選択をしただけだ。もしかしたらそれはプロのサッカー選手として選択だったかもしれないし、ほかの理由からかもしれない。しかし、結果としてはこれはひとつの選択なのだ。

現在リアルマドリッドでプレイしていることを考えると、少なくともプロのサッカー選手という角度から見れば、正しい選択だった。

昨夜トルコのユニフォームを着たハミト・アルトゥントプ選手やハリル・アルトゥントプ選手、ヌーリ・シャーヒン選手、メフメト・アウレリオ選手(旧名マルコ・アウレリオ)らとちょうど同じように。

オスィル選手に対して昨夜、行われたことは正義ではないと思う。しかし、同様に、海外で暮らすトルコ人たちの声に注意深く耳を傾ける必要があるということも私の心に浮かんだ。

多様性という問題に対するドイツの過去の歴史はあまり輝かしいものではない。しかしドイツ人たちは状況に気づきはじめ、10年間無視しつづけてきた現実に目を向け始めた。今こそ一歩を踏み出さなければならないのだ。

今後進む道は、昔のような二重国籍を妨げたり、トルコ語の使用を制限したりするような抑圧的なものになるのだろうか、それとももっと自由主義的なものになるのだろうか。

同様に、何年も自分たちの暮らすドイツの言語さえ学ばないトルコ人たちも、自分たちの暮らす社会のへの協調のために、自身の価値観をすてることなく、より多くの努力を示すのだろうか。つまり、メスト選手やハミト選手、ハリル選手のような成功例がもっと増えるのだろうか。

メスト選手やハミト選手、ハリル選手たちは、彼らが暮らす国と、彼らの同胞たちの両方から、不当な扱いを受けてきた。それが終わるかどうかの成否は、ドイツの政治と同様に、トルコ人たちの態度にかかっている。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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(翻訳者:阿部将之)
(記事ID:20406)