Binnaz Toprak コラム:「リベラル派」の抑圧―チャルシュラル氏の批判によせて
2010年12月06日付 Radikal 紙

世間で「リベラル派」として知られている思想グループは徐々に我々を抑圧しつつある。

わたしはこのコラムの執筆を始めたとき、特定の人を相手に個人的な議論をするのはやめようと決めていた。しかし2010年12月1日付のラディカル紙でオラル・チャルシュラル氏がわたしに向けて書いたコラムによって、この決意はくつがえされた。世間で「リベラル派」として知られている、けれどもその構成員の多くが、リベラルというのは異なる考えに対して寛大であることを意味するということをあまり理解していない思想グループは、徐々に我々を抑圧しつつある。もしあなたの主張が彼らの考えにそぐわなかったら、あなたには直ちに「ケマリスト」の刻印が押されてしまう。それほどまでに抑圧的なのだ。チャルシュラル氏も同様だ。彼はわたしがこのコラムで書いた「都市的イスラム」についての2つの文章を気に入らず、更にはわたしを「知識ある女性」に相応しくないと考えたようだ。気に入らないということもあるでしょう。わたしだって、彼の文章はいつも同じ文句の繰り返しに見えるので気に入らない。前述した彼の文章はそのいい例である。「都市的イスラム」という表現を誰が発明したって?たいそう驚かれることでしょう(!)、もちろん「ケマリストたち」、と来る。今日におけるあらゆる問題をケマリズムと共和国初期に遡って説明することは、分析的思考に取って代わってしまった。この点については、今後のコラムで触れることにしたい。

■ファトワ(宗教に関する法判断)のような文

「(アナトリアの)都市や町はいかなる時も、トプラク氏のいう『現代的ムスリム』が支配的な場所ではなかった」とチャルシュラル氏は述べている。どうやってこの確信に至ったのだろうか?わたしと同じように、観察によってである。しかしチャルシュラル氏は、その確信が自分の観察によるものであると書くのではなく、ただ、「世俗的ムスリムの生活スタイルは昔の方がより一般的であったという説には確固たる根拠がない」と述べるだけである。一体このファトワのような文のどこから、わたしが主張した説に「確固たる根拠がない」ことが分かるというのだろう?というのもチャルシュラル氏はわたしと正反対のものを観察したのだ。彼がそのような観察を行なったのなら、確かに(彼の主張は)正しい。

2010年12月3日付のタラフ紙のコラムにおいてチャルシュラル氏の文章に言及したムラト・ベルゲ氏は、「概ね」チャルシュラル氏に賛成だとしたが、ベルゲ氏がコラムの後段で用いた事例や観察はわたしが用いたものと同じだ。彼は、「地方の生活において『現代的生活スタイル』と呼ばれうる一部の要素が失われたというのは正しい。それらの多くに宗教的なものを見てとることができる」と述べている。ベルゲ氏が挙げた事例は、アナトリアをよく知る人々が彼に伝えたものらしい。同じように、わたしも自分の観察のみによってこの確信に至ったのではない。わたしがアナトリアで行なった調査では、訪れたすべての町でベルゲ氏に伝えられたような話を耳にした。ベルゲ氏のわたしに対する批判は、彼がわたしのコラムをチャルシュラル氏のコラムを通して間接的に読んだために、わたしが「現代的生活スタイル」を身につけた人たちのことを「真のムスリム」と見なしているという「仮定」に基づいている。

しかしわたしはそのようなことは主張していない。わたしはただ、真のイスラムの教義において信仰はアッラーと人間のあいだに存在するものだと述べたのだ。わたしは「真のイスラム」について書いたわけでもなければ、「偽りのイスラム」について書いたわけでもない。むしろ反対に、かつてアナトリアで異なる信仰生活を送っていた「都市的なムスリム」について述べ、そのような人々が失われたことや「イスラム」が次第に単一化しつつあることを主張したのだ。単一化をもたらすイデオロギーに反対している「リベラル派たち」が、宗教の認識や生活様式の単一化には全く違和感を感じていないことにわたしは驚いている、とも書いた。チャルシュラル氏はわたしの言ったことを理解しなかったか、故意に歪曲したのだろう。どちらにしても、わたしの主張は彼の言うような「全体主義」などというものではない。

■チャルシュラル氏へのすすめ

もちろんわたしの考えへの批判はいつでも受けつける。しかしそれらの批判がわたしを黙らせる目的でわたしの名前に勝手にニックネームを付けたりしない場合に限って、である。そもそもそういう行為こそが「権威主義的」な態度であると思う。ついでにチャルシュラル氏には「全体主義」と「権威主義」の違いを学ぶことをすすめる。この区別は、政治学部の一年生の入門授業で教わることである。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
この記事が批判するチャルシュラル氏のコラムを読む
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:20881 )