Oral Calislarコラム:ビンナズ・トプラク氏のいうのが「真のイスラム」か?
2010年12月01日付 Radikal 紙

「真のイスラム」という枠組みを設ける人々は、それに続いて、「さあその通りにしなさい」と主張してくる。

ビンナズ・トプラク氏は、ラディカル紙で「都市的イスラム」に関して二つのコラムを書いた。彼女は、一つ目のコラムを次のように締めくくる。

「二年前、アナトリアのいくつかの町で行った調査のなかで我々がたびたび耳にした苦情のうちの一つに、上流の地方の名家が町を離れるのに伴い、町の伝統的な構造が破壊されたこと、社会生活が保守化したこと、他と異なるものに対する非寛容が増加したことがあげられる。私は、アナトリアで、世俗化した生活様式を身に付けた人々が次第に減少するにつれ、「都市的イスラム」も失われていると考えている。」

しかし、私は、アナトリアの都市や町は、いかなる時もトプラク氏が述べるような「現代的イスラム」が支配的な場所ではなかったと考える。そもそも私たちが知っているアナトリアの町の「宗教性」は、人々が村から町へ移住する過程で発展し、より保守的な性格を得たものだ。特に、「町での信仰」は「村での信仰」と比べ、より伝統的、あるいは伝統主義的なものである、ということができる。(その実例として、女性が家に閉じこもっていることがあげられる。)ビンナズ・トプラク氏が描写する「上流の地方の名家」は、いかなる時も、社会の一般的状態を反映した特徴とはならなかった。このため、アナトリアの町で「世俗的なイスラム生活様式」が、かつて、より一般的であったとする説には確実な基礎がない。

■一つの「伝説」

共和国という言説が、一つの「アナトリアのイスラム」という伝説を生みだした。「現代的なアナトリアのムスリム」は、礼拝をし、断食をし、水着を着、町のクラブでのダンスパーティーにフェルト帽をかぶって行く、ケマリスト的な現代化を内面化した一つの人物像として「描かれた」。この種の人間がアナトリアで、ある時期大勢いたという見解は「伝説」と呼べるだろう。エリート・ケマリストによれば、共和国設立者たちはトルコ社会を「現代的で都市的なイスラム」に向かわせた。彼らにとって、「真のイスラム」とはこれであったのだ。「狂信者」は「真のイスラム」とは異なっていた。「真のイスラム」という理解をもてるのは、「白人のトルコ人」とケマリストの国家だけだった。その一方で、反説を唱える者は、長い間強制的に黙らされていた。

■全体主義的なアプローチ

ビンナズ・トプラク氏はこの考えを次のように要約している。「都市的イスラムでは、この地で宗教を異なる形で理解し、信仰をアイデンティティの問題に転化させずに「真のイスラム」の教えにあるように、それをアッラーと人間の関係として見る。あの静かで内に秘めた感情は、ある時期のアナトリアでは広く見られた。しかし、それは徐々に失われている。現在、トルコの多文化性と寛容さがしきりに宣伝されているが、逆にイスラムは単一化させられている。」

トプラク氏は女性知識人である。どのイスラムが正しく、どれが間違っているかを明らかにしようとすることは、まず科学的ではない。というのも、社会科学は「絶対的な真実」からは距離を置くのだからだ。

トルコ共和国において、「ケマリスト政府のイスラム」もしくは「アナトリアのイスラム」と要約されうる定義が長年主張され、イスラムがこの意味において単一化されようとするのを我々は目にしてきた。しかし、この主張は、社会の大部分に対して、少しも影響を与えることはできなかった。

「私のこそが真のイスラムだ」といって、ある「枠組み」を設ける人々は、後から「さあその通りにしなさい」と主張し始める。カダフィーやアフマディネジャドも、自身が行っていることこそ「真のイスラム」だと主張し、社会をこの枠組みに当てはめようと強制している。アルカイダが「本当のイスラムとは私たちのもので、他は異教徒だ」と言ってはいないだろうか。全体主義とはまさにこれではないのか。「アナトリアの名家」と定義される一部の人々の、「世俗的」だと仮定される生活様式を「真のイスラム」だと考えることは、カダフィーやアフマディネジャドのやっていることのように、全体主義、単一化へと門を開く。もう放っておこうではないか。誰もが信じるように暮せばいい。信じるように信仰すればいいではないか。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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この記事に対するトプラク氏の反論はこちら

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( 翻訳者:細谷 和代 )
( 記事ID:20912 )