Mehveş Evinコラム:ガラタサライ新スタジアム、首相ブーイング事件を読む
2011年01月17日付 Milliyet 紙

アメリカ人文学者のポール・オースターは、スポーツにおけるライバル意識が、人為的な大惨事の特効薬になると書いている。オースターは、ヨーロッパのサッカーと戦争を比較して、次のように書いた。

「サッカーにかける人々の情熱は熱いものである。国家を斉唱し、国旗を掲げ、サポーターは互いに侮辱しあう。しかしユニフォームを軍服に見せかけたこの連隊による戦争ごっこは、未亡人も孤児も増やすことはない。両軍の損害は、緑の芝生の上で乱闘騒ぎを起こした時に、手の指を折るくらいがせいぜいだ。」

ガラタサライの新スタジアム「チュルクテレコム・アリーナ」のオープンにおいて巨大スクリーンに表示された「獅子頭のサッカー戦士」を見て、オースターのこの言葉が頭に浮かんだ。確かに、サッカーは戦争のイミテーションであり、選手はある種の戦士(グラディエーター)なのだ。サポーターの気持ちは、古代ローマの闘技場で流血に興奮し叫び声を上げた人たちの気持ちと大差ない。

■ライバルは観客席に

しかし新スタジアムのオープニング式典において、今回の「ライバル」はピッチ上ではなく、まるで観客席にいたかのようであった。この巨大スタジアムの建設に大きく貢献した集合住宅局(TOKİ)幹部や首相、大臣らが、観客からブーイングを受けたことを「恩をあだで返された」と受けとったことも当然だろう。

では「王様」に対し観客席からなぜ、拍手ではなくブーイングが起こった?なぜ人々は、来賓者を知らせるアナウンスにブーングで抵抗したのか?今度の件は、イスタンブルで開催されたバスケットボール世界選手権以来、数千人規模のブーイングが起こった2度目の事件であった。8年にわたり絶対的権力を保持し、次の選挙も確実だと言われている政治家にとっては、この状況は決して喜ばしいものではない。

首相がこの無礼な行為を、またエリート主義によるものだと批判するのは間違いないだろう。そもそもガラタサライは、エリートたちのチームと知られている。しかしブーイングはVIP席からではなく、普通の観客席から沸き起こっていた。つまりは純粋なサポーターのブーイング、ということである。VIP席は静かで、応援の拍手さえしなかった!チケットが売りに出て、熱烈なサポーターの数がもっと多かったとしたら、この光景は違ったものになったのではないのだろうか?いや、そうは思わない….

■政治パフォーマンスの場ではなかった

ブーイングの原因は、たぶん首相がフェネルバフチェのファンだったからではない…。現在のガラタサライの経営陣に対する強い怒りもあるし、アリ・サミ・イェン・スタジアムとの別れの悲しみも影響しただろう…。しかし耳が聞こえなくなるほど大音量のブーイングの根本的な原因は、政府が新スタジアムを宣伝材料に使ったことに対するブーイングなのである。

首相は、サポーターたちを元気にするような、新シーズンにチームに健闘を祈る、というような簡単な挨拶をするべきだった。4月23日(国民主権とこどもの日)の演説のような挨拶は、この場にあったものではなかった。たしかに首相は、中東諸国やアナトリアで熱烈に歓迎されるほどの人気者である、であるが… しかし西部沿岸部だけでなく、アナトリアの大きな都市においては、そうした人気は得られていない、というのも事実なのだ。

一生続くかのようなエルゲネコンの公判の一方で、ヒズブッラーの連中は釈放され・・・、司法の不公平さや思想の自由に対し、だまし討ちのように踏み出された諸策…、(カルスの)彫像に対する(「醜悪な」だと罵った)首相の失礼な発言・・・… そして最たるものは「唯一の指導者」といった振る舞い… 予想以上に選挙民をしらけさせ、怒りをかっている。つまりこれらすべてが、新スタジアムで、観客のブーイングで拍手がかき消された原因なのである。

■ボックス席のようす

*電話問題:みんな携帯がつながらないことに対して不満に思っていた。私が聞いたものによるとガラタサライ・クラブチームは、アスランテペの新スタジアムにいくつか受信基地を新設するため電話会社と契約を結んだらしい。しかしここは公共のものではないのか?誰にそんなことをする権利があるだろうか?

*ザマン紙のボックス席:スタジアムからのながめはどこからでも素晴らしい。2階は全てがVIP席で、スタジアムをぐるっと取り囲むように、ボックス席がある。私たちはボーダフォンのボックス席から試合を観戦したのだが、マスコミで唯一、専用のボックス席を持つのがザマン紙なのだ。

*ケータリング:ボックス席のあるフロアでは、ディーワン・ケータリングによりサービスが振る舞われており、コーラのメーカーはコラ・トゥルカ(Cola Turka)であった。今後もそうかどうかは、不明。

*VIP席からは試合を観戦できない:新スタジアムには何百ものボックス席がある。豪華なテーブルを囲むソファや椅子、洋服かけに洗面所もひとつついている。しかし、このボックス席からは試合を見ることができない。ボックス席を出たところに置かれている椅子に座って観るのである。代わりにボックス席では、奥様連中が世間話をするのだろう……。

*桑畑:(これまでガラタサライのホームであった)アリ・サミ・イェン・スタジアムがオープンした当時(1964年)、(スタジアムのある)メジデキョイは、おじいさんたちの言い方によれば「桑畑」だった。ここも同じ運命をたどるだろう。セイランテペの回りの丘では、すぐにも工事がはじまりそうだ。何年かのうちには・・(注)。

訳者注:メジデキョイは現在、交通の要所で町のど真ん中にある。新スタジアムのできたセイランテペ周辺はイスタンブル郊外で、現在、まだ建物のない丘が続いている。

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( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:21203 )