Cengiz Çandarコラム:エジプト革命、3つのモデル―トルコ、イラン、パキスタン
2011年02月08日付 Radikal 紙

エジプトは、イラン、それともトルコとなるのかとの問いに、さらに可能性として、あるいはパキスタンとなりうるかも、との問いが加えられた。エジプト、そして中東地域にとっての「トルコ・モデル」は、最終的にはアメリカ中東政治における身にまとうべき「救命具」となるであろう。

当紙の昨日の市内版で、私のコラムの締めの文章が、技術的なエラーにより掲載されなかった。コラムの見出し(題)は、その掲載されなかった文章が要であったので、ここでもう一度書こうと思う。

「エジプト人達は、エジプトとその首都であるカイロを『ウムウ・ドゥンヤ』即ち『世界の全体』と言い表す。これは、彼らの歴史の深みがなせる大きな自信の表れである。(一方で)イラン人達はといえば、イスファハーンを『ヌスフ・ジハーン』と言う。『ヌスフ・ジハーン』即ち『世界の半分』という意味である。
トルコは、『世界の全体』(エジプト)にたいしては『モデル』であり、その国を『世界の半分』(イラン)とめぐり合わせ、協力させる世界における『ムスリム民主主義の中心」に位置する。この2つをバラバラに分けることは出来ない。文化的なムスリムの伝統と政治的な民主主義の伝統のことである。トルコはこの点で目下、中東地域における最も強力な国であり、そしてこの2つの特徴を身にまとっている限り、そのような立場に止まるであろう。」

エジプトで起こっている歴史的展開は、トルコのこうした特色を輝かせることとなった。疑いなくエルドアン首相が、ムバラク政権をたいへん不快とする結末を、つまりまさにカイロのタフリール広場を満たした群衆同様、彼自らにも「退場せよ」と呼びかけたことも、トルコの国際及び地域的な役割をより鮮明な形で明らかにした。

しかし、ムバラク政権(の退陣は)すんなりといきそうにない。さらには、ワシントンの動向の不透明さと、スレイマン副大統領が情勢をみながら打ち出した大胆な発言は、エジプトで広まった反政府デモを沈静化させ、そして日に日に高まりを感じる反政府デモグループ間の亀裂を醸成して、エジプトの「革命の雰囲気」がゆっくりと鎮まることを同時に進めているかのようだ。

エジプトでの民衆革命の蒸気が時間の経過とともに静まり、体制が何ヶ月も維持されるかもしれないという印象を与え始めた。アメリカのジャーナリストであるファリード・ザカリア氏は、エジプトが近い将来、国のモデルとして「トルコ・モデル」を追求する以上に、軍が背後にとどまる「軍事後見体制」つまりは「パキスタン・モデル」に向かう可能性があるとの注目に値する意見を述べた。

エジプトは、イラン・モデル或いはトルコ・モデルになるのかという問いに、さらに可能性として、「パキスタン・モデル」となるのか?という問いが付け加えられた。

■ エジプトはどこに向かうのか?

もしエジプトが、イランはいうまでもなく、トルコとも異なり、パキスタンの方向へ向かったとしたら、トルコがもつ、中東地域における「モデル」という特質は意味のないものになるのだろうか?また、ムバラク政権の維持、或いは「軍事後見体制」を構築しようとする仲間達がその任務に留まり続けたとしたら、エルドアン首相が先週明らかにした政治態度が、「誤り」であると特徴づけられるのであろうか。答えは「否」である。

その理由を、シャルク・エル・アウサット紙に数日前に、主筆のタルク・アルフマイイド氏の以下の観測記事から窺うことが出来る。
「エジプトの現在の政治情勢を「激震」という言葉以上により良く定義する言葉はない。(ムバラク大統領が)辞任しても、任期を全うしても(2011年9 月)、エジプトは、ポスト・ムバラク時代のことを考えている。従って新しい事態が生じており、そしてこの激震を全世界に伝えているのである。アメリカがエジプト問題を取り上げる際の動揺に影響を受けた国際不安も存在する。何故なら、極めて重要な諸利益が、劇的な形で影響されることに対し、大きな不安が伝えられているからである。」

(引用を)続けよう。
「数多くの問題が提出されているが、これらの返答の全ては、予測の域を超えるものではない。エジプトは何処に向かっているのか?若者達の努力(の結果)が彼らから取り上げられ、そしてエジプトは、ムスリム同胞団の指導下に入るのであろうか?それとも、エジプトが自身を再び軍にかっさらわれて、そして発展や経済的喪失をよそに、最近手に入れた物の全てを失いかねない真の独裁制へと最終的にはなるのだろうか?もしくは、エジプトは問題の中で窒息し、そして長い時間をかけて引きこもるのだろうか?或いは、真の民主国家となる方向に進み、イスラム主義者達の手に落ちることの恐怖を払拭する形で再び影響力を有する地域的な役割を果たす形で、政治と経済を向上していくのだろうか?これら全ては良い問いである。これらの全ては、我々全員に、地域の全員に、友人や敵達に、アメリカを筆頭とする国際社会に不安を与えている。これは、イスラエルとアメリカの旗が燃やされることなく、そして国際政治のスローガンが叫ばれることのないアラブ国家での最初の事例である。公正、民主主義、不正との闘い、そして国民の意思に基づく為政の同様に、普遍的な意味をもつ価値観が、現地(エジプト)で叫ばれている。西側諸国、特にアメリカは何一つ出来ることはない。何故なら、(民主化を求める)波は彼ら(欧米)が予測しているよりも大きなものであり、そして変革の風は、アメリカが考えている以上に速いものであるからだ。上記のことは、各国の首都から届く発表において明白に窺える。アメリカは、現時点まで、なす術がない。」

■ 民主主義の不可避

さて、トルコが(アメリカと)異なっている点、そして影響力を有している点は、この点である。一時の事態の沈静を考えて、「現状維持」、或いは「機会に乗じた利益」を政策の基本とはせずに、(むしろ)避けがたい「変化のダイナミズム」を考えて、そして「エジプトの国民を基本に据えた」政治的態度を明らかにすることである。このことを信憑性のあるものにするには、国民がムスリムであることのほかに、エジプトが本当の民主国家になること、或いは民主化の方向へと向かうエジプト国民の決断、どのような形であれ「軍事後見体制」へと逸れることなく、そしてこれを(軍事政権)許さないことが必要である。つまり、公正、民主主義、そして国民の意思に基づいた政権を有することである。

■ 与党と野党

トルコにおいて「エジプトの教訓」を正しく学ぶ必要性を少し前に言及した。この「教訓」を正確に学ぶことは、単に与党だけにあるのでなく、とりわけ、ここ最近軍との不必要な馴れ合いを欲しているように見える共和人民党(CHP)にとっては特に必要である。トルコにとって好機なのは、エジプトに巻き起こり、そしてエジプトから発せられる変化のダイナミズムの影響を受けることを運命づけられたアラブ世界にとって「触発の源」となる可能性をもつものが、トルコ的民主主義モデルであり、「モデル」として、イラン、さらにはパキスタンの、一層前面に据えられるべきものであるからである。

エジプト、そして中東地域の将来にとって、「トルコ・モデル」は、最終的にはアメリカをして、日ごと信用が揺さぶられているその中東政治における身にまとうべき「救命具」となるであろう。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:21413 )