外出禁止令にもかかわらず、イラクで再びデモ
2011年03月04日付 al-Quds al-Arabi 紙


■外出禁止令に抗し、イラクで改革と変化を求めるデモ

2011年03月04日付『クドゥス・アラビー』紙

【バグダード】

 数千人のイラク人が外出禁止令に抗して首都バグダードその他の都市で「尊厳の金曜日」デモを行った。これは先週金曜日に行われたデモの犠牲者を顕彰し、改革と変化、汚職撲滅、公共サービス悪化の根本的解決、失業者への雇用創出といった要求を訴え続けるためのデモだった。

 金曜朝、バグダードのデモ隊は市中心部のタハリール広場に向かって行進した。それぞれイラク国旗や要求を書いたプラカードや横断幕を掲げ、広場に到着すると、マーリキーよ手を引け、国民はお前を望んでいない」いった反政府のスローガンを繰り返した。

 また、イラク国民の団結を表明した次のようなスローガンも繰り返された。「スンナ派とシーア派は兄弟だ 我らはこの祖国を売り渡さない」「魂と血をイラクよ、あなたに捧げます」「1、2、イラクの石油はどこだ」。

 先週金曜日のデモとは違い、バグダードでのデモの様子を衛星で生中継することが複数の衛星テレビ局に許可され、政府の治安要員もほぼ姿を見せなかった。

今やデモ隊は要求に特定の時限を設けて、遅滞なく応えるよう求めている。デモ参加者の一人によれば、治安部隊はタハリール広場を取り囲んだものの、群衆には近寄らず、デモ隊がタハリール広場以外の方面に向かうのを防ぐため、広場に向かう道路に柵を設置した。そしてサナク橋とジュムフーリーヤ橋をコンクリートブロックで封鎖して、チグリス川の対岸にあるグリーンゾーン側にデモ隊が渡るのを防いだ。

フェイスブック上の「ジヤーウ(飢えた者たち)」というサイトのメンバーは、イラク国旗で包んだ棺を担いだ。このサイトの責任者の一人であるシャムヒー・ジャバルは、「この棺は以前のデモで亡くなった殉死者たちを象徴しています。治安部隊が行使した過剰な暴力に光を当て、それを断罪したいのです」と語った。シャムヒーは数十人と共に歩いてやってきた。「政府の外出禁止令は負けです。デモ参加者はどんな状況でもやってきますから」。

 同様に、フェイスブック上の「ビラー・サムト(沈黙せずに)」というグループも改革を求め、「不当なバグダード県議会」や「爆発物の設置、コンクリート壁や窃盗や賄賂の拡散」を非難した。

 他方、カラーダ地区に住むファイサル・ハビーブ・ナスルさんは「群衆は政権の改革というスローガンの下にデモを継続していく。なぜなら宗派間での分配という原則に基づいて作られた政権であり、国を率いる能力がなく、個人の利権だけを追い求める人物たちを連れてきた政権だからだ」と語った。

 また、身だしなみのいい40代の公務員ムハンマド・ザイヤードさんは、ある役所での汚職に関する情報が書かれているというファイルを手に、「私たちはバアス党員じゃありません。私たちは公共サービスという最低限の権利を求めているイラク人なのです」「道路のコンクリート障壁を撤去するよう求めます。イラク人は検問にも治安コントロールにもうんざりなのです」と語った。

 スンナ派アラブ人が居住するニネベ、キルクーク、アンバール、ディヤーラ、サラーフッディーンの各県では、同様のデモが起きた際に事態を掌握するため、全面通行禁止が発令された。

 バグダードから南に550キロのバスラでは、外出禁止令にもかかわらず、市中心部の県庁舎に近いサアディー通りにおよそ300人が集まり、公共サービスの改善や失業対策、汚職撲滅を求めた。デモ隊はイラク国旗を持ち、「バスラ県議会の解散」を求める横断幕を掲げて、「我々には石油があるのに仕事がない」などのシュプレヒコールを叫んだ。

 先週金曜日にもイラクの各都市でデモがあり、公共サービスの改善と失業対策、汚職撲滅を求めた。その一部には暴力が振るわれて16人が死亡、およそ130人が負傷していた。

Tweet

Tweet
シェア


原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:21721 )